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コラム風「故郷」が国歌なら:井上脩身

  中国人歌手、李広宏さんにとって、東日本大震災は人ごとではなかった。子どものころ、蘇州の自宅のラジオに流れてきた歌「夏の思い出」に感動、1987年、26歳の時に来日した李さん。皿洗いのバイトをしながらレッスンに励み、歌手として知られるようになったころ、西宮市の自宅が阪神大震災に見舞われて全壊、3歳の子どもを抱いて逃げ惑った。

 東北の悲惨な状況に、李さんは居ても立ってもおれなくなくなった。「万里の長城」とまでいわれた高さ10㍍の防潮堤が津波で木端微塵に壊れ、多くの人が犠牲になった岩手県宮古市田老の避難所をはじめ各地を慰問。「北国の春」「千の風になって」などとともに「故郷」を歌った。「いつになったら戻れるのだろう」。家を流された人たちは涙を流して歌った。 ♪兎追いし彼の山 小鮒釣りし彼の川

 今年2月、李さん自身からこの話を聞いて、私(筆者)はウクライナ人女性歌手のナターシャに思いをはせた。父親がチェルノブイリ原発の技師だったため、子どもだった彼女は原発近くの両親の家で被曝。避難は無期限となり、キエフの小学校に転校。2000年に来日し、声楽を学んだ。06年、大阪で開かれた小児がんの子らを励ますコンサートで、彼女が最後に日本語で歌ったのが「故郷」だった。帰ることのできない故郷への思いが込もる哀愁の帯びた調べ。病と闘う子どもたちもステージに上がって声いっぱいに歌った。

 「故郷」は1914(大正3)年、尋常小学校の唱歌として発表された。高野辰之作詞、岡野貞一作曲とされている。日本人拉致被害者の支援団体のなかには、一日も早い故郷への帰還を願って「故郷」を歌う人も多く、外国人歌手が歌っても日本人の心をとられる国民的歌謡なのだ。

 橋下徹・大阪市長が大阪府知事時代、国旗国歌条例が制定された。次代を担う子どもが「我が国と郷土を愛する意識」を持つことなどを目的に「学校行事で行う国家斉唱は起立により斉唱する」と規定。今年2月の卒業式で起立しなかった教員17人が懲戒処分(戒告)され、岸和田市の府立高校では、実際に歌っているかどうかの口元チェックを校長らが行ったことも明るみに出た。

 1999年、国旗国歌法が制定され、国歌を君が代とすることが正式に定められた。だが、君が代が天皇を奉祝する歌であった戦前の天皇中心国家が戦争に突き進んでいった歴史を思うと、君が代を歌うことに抵抗感を覚える人は少なくない。事実、スポーツイベントの開閉会式での国歌斉唱に際し、起立しても歌わない観客はかなりにのぼる。国歌なのに歌わない人がいることよりも、歌いたくない人が少なからずいるのに国歌であることの方が問題なのではないだろうか。

 もし、「故郷」が国歌とまでいかなくても、国歌的なものだったら、卒業式で誰もが素直に歌うことができるだろうに。
♪志を果たしていつの日にか帰らん 山は青き故郷 水は清き故郷

井上脩身:フリーライター。1944年、大阪府生まれ。70年、毎日新聞社入社、鳥取支局、奈良支局、大阪本社社会部。徳島支局長、文化事業部長を経て、財団法人毎日書道会関西支部長。2010年、同会退職。
[ 2012/06/09 00:01 ] 井上脩身 | TB(-) | CM(-)


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