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奈良おんな物語《17》「撮影・接写に取り組む宮崎加津子」下:鄭容順

「奈良新聞雑記帳との出会い」
奈良レディフオトサークルの第1回の写真展を大阪市北区の阪急イングスで開催した。奈良新聞の投稿者と読者たちで構成している「雑記帳の集い」の会員ではなかったが奈良新聞の関係者が大阪まで取材に行った人が「雑記帳の集い」の入会を進めて下さった。


それから奈良新聞の投稿欄「雑記帳」に投稿するようになった。
宮崎加津子さんは幼い頃、父親に連れられて大阪まで落語の高座によく行った。
それから落語が好きになった。
自宅があった箸尾から昔は国鉄線、湊町駅まで出た。
父親は落語の高座のチケットを安く買う方法を知っていた。
高座が始まる寸前に行く。会場の前にはダフ屋さんがいる。始まる寸前、ダフ屋に買うと安いらしい。
宮崎加津子さんは「一人っ子の私を父はどこでもよく連れてくれました。それから落語が好きになりました。結婚して主婦生活の中で障害者を支援する活動団体に行き音訳ボランテイア活動していました。落語は好きで落語家の独演会はよく聴きに行きました」と、落語の話になると写真と同様に熱が入る。
こんなことも影響しているのだろうか、1980年代の初め頃から今もそうだが「わて猫でおま」と、猫が世の中のことを話す。猫になって世相を書いていく文章作成、独特の個性のある文書スタイルを作った。宮崎加津子さんの心模様を代弁してきた。
「落語が好きで文書も落語的に好きな猫になって書いてみよう。人の言葉で書くと言いたいことがいえない。猫になると案外に世相も批判できる。大阪弁で書く。落語が影響していて猫になって面白く書いてきたのです」と宮崎加津子さんの「わて猫でおま」の文書の構成を話す。

猫-1

2002年1月11日付けで奈良新聞「雑記帳」に投稿された文書です。
「わて猫―チョット、聴いたァ―」
―第九は、ベートーベン、と思っていましたら、ある夜、テレビを見るともなしに聴いていましたら「ドボルザーク作曲、交響曲第9番」と言わはりました。
ヘェー、ナニナニ、と目も耳もくぎづけ、首をかしげているわてにおかまなく、ロリン・マゼルはんの指揮で演奏されているその曲は、ハハハハハと笑うてるときやない。交響曲第九番ホホホホホ短調の作品95「新世界から」ちゅう曲でした。

猫-2

第二楽章で皆さんもきっとご存じの「新世界より」のメロディーが出て来まして、第三楽章が演歌にイケそうな旋律がところどころに出てきて面白く、第四楽章では、これも知っているメロディーで、ロリン・マゼルはんや、ドボルザークはんが急に身近に感じられて、うれしおました。
それにしましても、この作品の前になんと94もの作品があるニャンてワァォー。音楽 よろしおますな。 心が安らぎますワ。
安らぎ過ぎて、お母はんはいつも居眠り。けれど見事なタクトさばき?のロリンマゼルはんを正面からカメラがとらえるたびに、客席前列で熟睡の女性が共に映って、なるほど名演奏なのだと納得いたしました。
耳障りな音では、こうはまいりません。
「新世界から」ねえ。ウーンニャゴー。
ビン・ラディンはんもブッシュはんも天国に来てからこの曲を聴いたんではおそい。この演奏会は夏に開かれた録画やそうでしたが、ご一緒に聞いてほしおしました。
2002年からは地球が平和な星になればいいなあと願いを込めて恥ずかしながら投稿させて頂きました―

猫-3

猫-4

猫の立場になって書いている原稿だが落語的にとらえて最後に落ちをつけるのもさすが落語ファンで落語の知識も深い。
「猫になって書く文章は難しい」と筆者がいうと宮崎加津子さんは「猫だから何でもかけるのです。自分の立場で書きたいことを猫になって書いているので世相や時事を批判しています」と話す。 

長い間「猫」になって雑記帳に投稿し会員の活動にも参加してこられた。
1998年(平成10年)には「雑記帳の集い」の会長に就任された。
宮崎加津子さんが59歳のときである。
同集いの総会は5月の終わりか6月の初めに行われている。
1年で任期満了、総会で役員選出が行われる。
新会長の就任に伴って奈良新聞では人物紹介で新会長の記事が掲載される。
新会長に決まった宮崎加津子さんの記事をここに少し紹介します。
記事は1998年7月23日付けです。
《奈良新聞生活面に毎日掲載されている投稿欄「雑記帳」。その投稿者でつくる「雑記帳の集い」の本年度の会長に就任した》
【子どもや家のことを書いて投稿を始めたのは13年前。子どもが拾ってきた猫を飼い始めて、いつの間にか関西弁の会話が登場する独特の文書スタイルができていた。ペンネーム「宮崎房」も猫の名前「ブサ」から取ったという。今、使っているのは「宮崎富沙」。昇天したので「富沙」です。
「娘たちは自己満足で書いていると批判します。でも、猫がしゃっべっていると思えばだれも腹も立てない。言いたいこと書かせてもらい雑記帳は私のストレス解消の場。楽しみながら書いています」と笑う。
一笑一若(いっしょういちじゃく)という言葉が好き。小さいころから好きだった落語の影響もあるのかもしれない。
猫との会話を楽しんでいるうちに想像力もたくましくなった。いろんなことを空想し、おおげさに考えるから人の10倍、20倍生きているからシワが増える。「会長にシワの数で選ばれたのかも」と笑い、「笑うことが生きる原動力」とまた笑う。
「私は本当は下でワイワイやる方が好き。だから会長の大役は恐れ多いけど、迷惑をかけながらでも自分の中にあるものをうまく出していければ。役員や会員に支えてもらいながら来年の20周年につなげていきたい」と意気込む】

猫の言葉で書いた独特の文書スタイルは好評です。
筆者も書きたいと思うがなかなか難しい文章法です。
落語が好きな宮崎加津子さんの成せる技と筆者は思っている。

「奈良レディフオトサークル」
来年30周年を迎える「奈良レディフオトサークル」、会員たちは撮影旅行と称してあちらこちらと出向いて会員の個性が出た写真を撮影している。
しかし家族の介護が生活の中にあることから家で居ながらにして取れる被写体を30周年に向けての展示会に備えて「接写」に取り組んでいる宮崎加津子さん。「雑記帳の集い」が1年に1度、発行する冊子「雑記帳」に「奈良レディフオトサークル」の活動が掲載されていた。
一文を読むと宮崎加津子さんの思いが伝わるので紹介します。

1986年(昭和61年)6月発行の冊子です。冊子は6号、創刊して6年の冊子です。
『ピント甘けりゃ考え方も』
―「谷の鶯、歌は思えど、今日も昨日の雪の空」と、懐かしい歌『早春賦』さながらのきょうこのごろです。が、私は、とうから春、春でした。
「奈良レディフオトサークル」、ご存じですか。大和に住む女性ばかりでフイルムの入れ方から習って、はや4年目(K先生にお世話になっています。血圧はいかが)。3回目の作品展を1月末に聞きましたところ、この私めの「春を呼ぶ行」が最優秀賞に輝いたのであります。
『お水取り』。あの薄暗い食堂(じきどう)内での作法に戸のすき間からレンズを向けたところが、偶然も偶然、湯気の向こうにお坊さんが写って在(おわ)しまして、ピントが不思議にもビタッ。
この写真の横に展示されたのが姪の花嫁さん。食堂に比べ大変明るく撮りやすい場所にもかかわらず見事なピンボケでありました。まさに作品展の「ピン」から「キリ」までをご披露申し上げたわけで---。
「キリ」は出品せぬ方が---とのご意見のございましたが、そこがそれ、「レディス」の「レディス」たるゆえんでありました。まず花嫁なら引き伸ばせば喜んでもらってくれるだろうとの経済観念が先にたち、重ねて、かわいい姪を皆さんに見て頂きたいとの井戸端会議的願望が表れたのであります。でもサークルの皆さんの足を引っ張ったのは事実で反省しています。
ところで最優秀賞を奈良新聞で知った時、わが母は開口1番「加津子っ。この写真、なんぼかかったんや」。「お金をぜいたくに使うたら健さん(主人)に申し訳ないやろが!」。明治生まれの「女」の一言、心に深く食い込んで主人に感謝のひとときでありました―

「奈良レディスフォトサークル作品展」の記事、奈良新聞、1986年(昭和61年)1月20日付けの1面を使って記事が紹介されている。
そして国平幸男さんの「選評」が掲載されている。
最優秀賞を授与したされた写真は「春を呼ぶ行」です。国平幸男さんは「東大寺二月堂「お水取り」の行事に、篭(こも)りの僧が薄暗い部屋で食堂作法を行っている場面で、立ち上がるご飯の湯気が寒気を連想させる格調高い作品に昇華している」と言葉を述べている。

なら新聞お水取り

お水取り拡大

1985年(昭和50年)7月15日掲載の記事も1面を使っている。
見出しは「心こもった作品それぞれの味」としている。
宮崎加津子さんの掲載写真は娘さんの新体操の写真、タイトルは「1、2、3ソレー」である。

新体操

「筆者の感想」
2012年4月10日、桜満開の奈良、宮崎加津子さんとお会いするために近鉄田原本駅に向かった。車を運転できる宮崎加津子さん。田原本駅で待っておられた。
車で向かったのは「馬見丘陵公園」、何度も耳にしている公園だったが1度も来たことがなかった。近鉄橿原線をよく利用しているが田原本駅を素通りしていく。いつも行くのは畝傍御陵前または八木駅から近鉄大阪沿線、仕事のためで現場取材が終わると急いで自宅に戻っていく。

桜満開の公園に大勢の人が桜見物に訪れていた。
公園を見てまたゆっくり来たいと思った環境のよい公園だった。
気候は少し曇っていた。
宮崎加津子さんは曇り空に残念の様子だった。
「この時間に太陽の日差しがあれば花1輪でも接写レンズでみるとまたそこは今まで知らなかった新しいことを見つけることができるのに残念です」という。
ベンチに腰掛けてお話を聞いていく。
前から宮崎加津子さんの撮影活動のお話を聞きたかったが家族の介護で身動きとれない状況と友人から聞いていた。
そしてちょうど気候もよくなってきた3月の半ば、勇気を出して自宅に電話をすると快い会話で取材にご協力をして下さった。
宮崎加津子さんは私へのお土産に和菓子をもってきて下さった。
話すことで和菓子を食べる時間がなく筆者が頂いて帰ることにした。
昔から和菓子店を営んでいる近所の和菓子店で買って来たその和菓子は「六方」、自宅で頂くととても美味しかった。ほんのりとした甘さ、昔から親しまれている味に筆者の心もほんわかとした。

展示会拡大

持参されたカメラ、愛用の「キャノンAEI」、30年間仕事の中でカメラを使う筆者だがとても使うことができない。絞りや露出を手で調整して撮影していくカメラ、筆者が持つのはデジタルカメラ、時代の流れといえ恥ずかしい気持ちになる。たとえば「キャノンAEI」の機種で撮影を依頼されると筆者は撮影できない。機械音痴で絞りや露出が難しくずっとインスタントカメラを持って現場取材をしてきた。
愛用のカメラ機種を見て尊敬をしてしまうほど宮崎加津子さんはカメラ愛好者だった。そして撮影が好き、カメラを使うのが好きだから愛用のカメラ機種で撮り続けておられる。物の大事さもあるがこの機種が好きということが伝わってきた。
なんでも続けることがその人の人間性を構築していくことも改めて認識した。
カメラと投稿欄だけでは計り知れなかった人間性を垣間みることができた。
「猫」を素材にして書く文、やはりそこは落語を親しんだことが影響している。なるほど宮崎加津子さんの文書に面白い落ちがある。これは生活の一部で体感としてあることを知った。
「続けることも才能」とある大学教授が筆者にいって下さった言葉だがこうして「奈良のおんな物語」を取材してその人と成りを見ると「奈良おんな物語」で取材する人たちに「続けることも才能」という言葉があてはまる。

チケット

宮崎加津子さんは筆者にカメラを持たせてくれて花の「接写」をさせてくれた。
光とレンズと距離で織り成すその写真の世界、思わず虜になりそうな不思議な世界があった。カメラを離すとその不思議な世界が見られない。
だから撮影する。なるほど、どの写真を撮る人もその人の理論があることを知った。またお会いしたい人です。
田原本駅に戻る途中、高田川の桜並木を見学、堤防の道に車を走らせて桜を見せてくれる優しさ、取材協力をしてもらってまた桜見物もさせてもらってと感謝を心に刻みながら帰途に着いた。
「接写」の写真、ハガキポートもたくさん頂きました。資料として大切に保存します。この画面では宮崎加津子さんの半世紀を記述、半世紀の中で猫の写真と娘さんの新体操が印象に残った。「接写」はこれからさらに活動されることで「接写・宮崎加津子さん」を紹介とした。

高田川桜

<写真説明>1・2自宅で寝ている猫、音楽を聴いている様子が想像できる 3・4娘さんが猫を抱いている。もう1枚は猫の雄叫びが聞こえる「私はこの家を守っていると。これが落語になるとどうなるのかな 5・6奈良新聞の掲載記事「奈良レディスフオトサークル」の記事、それを拡大した宮崎加津子さんの写真、お水取りの篭りの僧とご飯から湯気が上がる 7娘さんの新体操 
8奈良レディスフオトサークルでの展示会場、左端が宮崎加津子さん(写真を拡大) 9好きな作家、印象や関心のある作家の写真展などに時間を見つけて鑑賞にいく。ある展示会のチケット1枚 10今年2012年4月10日、宮崎加津子さんを取材、近鉄田原本駅に送って頂く途中、案内して頂いた高田川の満開の桜、午後4時半ごろ車窓から筆者が撮影。










[ 2012/06/02 06:00 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


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