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夜間中学その日その日 (239):   拳編集委員会

守口夜間中学教員集団は「拳(こぶし)」と名づけた新聞を発行している。その編集委員が今回の執筆者である。
守口夜間中学は1973年4月25日開校した。来年で40年を迎える。今年度の開設記念行事は夜間中学生、教員参加による劇の上演だ。どのようにして守口夜間中学がつくられ、私たちが今、ここで学んでいるのかを劇に参加して、一人ひとりが考えた。


開設時の新聞報道記事、議会議事録にもあたり台本が考えられた。守口夜間中学のあゆみを入れ、参加者全員で考えることのできる、よくできた台本だ。(場面1)誕生の第一歩 (場面2)守口成人基礎学習講座「あけぼの教室」誕生 (場面3)山を動かした・ピンチはチャンス (場面4)アリとゴジラの4場面である。
場面1 誕生の第一歩
ナレーター:1971年の秋のことです。ある人が守口の先生たちの組合いを訪ねてきました。
OOさん:字も数も分からない人間が,駅で切符を買えますか。そんな人間が全国で百万人いるんです。
ナレーター:この人は、誰でしょうか?  「―」。   そうです。夜間中学開設運動を進めていた野さんです。守口から天王寺・菅南の夜間中学に通学していた生徒は、「是非守口に夜間中学をつくってほしい」と声をあげました。それを「夜間中学を育てる会」の人たちも後押しをしました。野さんや守口で勉強したいという人たちの言葉に心を動かされた先生たちの組合は、守口に夜間中学を作るために立ち上がり、市長さんに訴えました。そのときの守口市長は木崎さんという人でした。
木崎さん:よっしゃ、守口夜間中学、これやりましょう。私は家庭的、社会的、何らかの事由によって義務教育の修了を断念しなければならなかった方々のうち、勉学の意欲に燃える人たちのために、第3中学校にて夜間中学校を開設、教育の場を醸成したい考えであります。
ナレーター:このように守口市の議会で所信表明をしました。こうして1973年、守口夜間中学校が誕生しました。一期生の東山さんの言葉が残っています。
東山さん:妻が「守口市に夜間中学校ができるらしいよ。新聞に載っておりますよ。あんた行かない?」といいますので、二人で協力して行こうかということになりました。私は一から出直すつもりで入学しました。
ナレーター:1973年5月7日から、パン・牛乳・添加物の給食が始まり、生徒会は完全給食に向けての話し合いを重ね、署名活動をしました。
現在の夜間中学生:「先輩たち、すごいなぁ」「生徒会長さんの力なんやろか」「初代の会長さんは、漢字かれへんかったいうのを、去年の開設記念の時に聞いたやん」
開設当時の生徒会長:私は初代生徒会長の内林です。漢字も読めないし、話す事もできない僕でしたが、僕はメモをすることもできないので他の人がメモしてくれました。みんなが僕を助けてついて来てくれました。みんながいるから、僕が安心して生徒会長をやっていくことができるのだと思いました。
ナレーター:校内の生徒会活動、一泊学舎、同窓会、そして生徒会連合会にも当初から参加し、守口は夜間中学の中でも活発に活動をしていました。
現在の夜間中学生:「誰か一人だけの力と違うんや」「一人ひとりの力を寄せ合って、生徒会活動ができるんやなぁ」
この劇の舞台は参加者が座っているところ、開設記念行事の参加者は即、出演者。時間と空間を越え、現在と過去が対話をする。そして明日を創造する。校長が演ずる、口髭をつけた木崎市長は台詞を終えたところで拍手喝采。参加者が一つにつながった。
2008年、就学援助、補食給食がどうして生まれたのか、新聞記事を基に脚本を書き、劇を演じる取り組みを行ったが、演劇を夜間中学の学習で展開する。面白い試みであった。学びの幅がさらに広がった。
[ 2012/05/17 08:47 ] 寄稿 | TB(-) | CM(-)


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