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夜間中学その日その日 (238):   守口夜間中学  白井善吾

竹田孫太郎さんを偲んで
守口夜間中学卒業生竹田孫太郎さんが2012年4月29日お亡くなりになった。3月、夜間中学を卒業されたばかりなのに。3月26日入院、その後病状も安定し、リハビリの日程も決まり、これからというとき、肺炎を併発、帰らぬ人となった。


毎日時間が許せば、早く登校し、一人で学習を始めていた姿が思い出される。鉛筆を毛筆に持ち替え、書く姿は、近寄りがたい雰囲気があった。その姿は『学ぶたびくやしく 学ぶたびうれしく』(解放出版社)14ページに収録している。またこの本の書名は竹田さんの筆だ。
8歳で叔父に連れられ、中国大陸に渡り、敗戦を迎え、中国大陸に残され、15歳から一人で生きていくことになった。1994年、日本に帰国するまでの半生を夜間中学入学後書きはじめた。そして孫たちに、祖父が歩いてきた半生をつづった原稿用紙は200頁になる。その一部は『学ぶたびくやしく 学ぶたびうれしく』に収録されている。
学び取った文字とコトバで、就学援助・補食給食の闘いにも、積極的に立ち上がった。一文字、一文字、力のこもった文字で知事や国会議員へ手紙を書いた。動きも早かった。中国文でしたためた、「行動決意書」が翌日手渡された。
   
 決意書
大阪の夜間中学生 団結せよ!
制度の不道理を糺す闘いが開始された。
言論とペンの力で、われわれの学習する権利を奪い返し、
われわれの人権を奪い返すために。
われわれは戦争が原因で、学習する機会を失った。
われわれは夜間中学の灯火を守るため、決意した。
われわれは完全勝利するまで闘いを止めない。
団結は力、団結は鉄、団結は鋼。
民主主義に反する制度に私たちは立ち上がった。
夜間中学への援助費をすべて認めさせるまで、闘いを続ける。
この決意書を発表、仲間に大阪市庁舎横での街頭署名活動参加を訴えた。国会議員に手紙を送り、夜間中学来校を要請、それを実現させたのも、竹田さんのペンだ。村上史好衆議院議員(民主)は、夜間中学の法的位置づけと、教育環境整備法案の実現を政府に求め、国会質問をおこなった。
卒業式(2012年3月14日)で竹田さんは次のような挨拶をおこなった。
私は、竹田孫太郎です。中国残留日本人孤児です。中国を五十年余り彷徨い、一九九四年三月九日、妻や子どもと一緒に祖国に帰りました。
まず日本政府に、そして守口夜間中学に感謝します。私は中国では
ちゃんと学校に行けなかったので、この学校で九年間日本語を勉強しました。先生方は私を温かく見守り教えてくださいました。心から「ありがとう」を言います。
私は、この九年間に二つの大きな運動に参加しました。ひとつは、帰国者の日本政府に対する生きる権利の要求。もうひとつは、前大阪府知事による「就学援助、給食の廃止」に対する運動。これは私たち夜間中学生が学ぶ権利を侵すものです。先生と一緒に闘っていますが、まだ 解決していません。
守口夜間中学ができて三十八年、私たちの大切な世界にも誇れる学校です。在校生の皆さん。私の最後のお願いです。先生方と一致団結して、この学校を守ってください。 さようなら。

竹田さんの葬儀のあった、5月1日、守口夜間中学、基礎コースでは竹田さんが出演したNHKテレビ番組(2008.7.29)を視、在りし日の竹田さんを偲んだ。教室に入ると、いつも座っていたところに、今も座っている。「こんばんは」と声がかかった気がする。
[ 2012/05/14 10:43 ] 寄稿 | TB(-) | CM(-)


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