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奈良おんな物語《16》「韓国語で奈良観光案内をする笠松浩子」下:鄭容順

「NPO奈良外国語観光ガイドの会の活動」
笠松浩子さんは「韓国語を勉強して多くの人と友人になりました。在日韓国人の人たちとも仲良くなりました」と話す。
そして韓国語を通して韓国から奈良に来られる人たちに韓国語で案内する観光ボランテイアをしている。


「NPO奈良外国語観光ガイドの会」のメンバーで韓国語の他に英語、中国部会もあるガイドの会に所属している。
「NPO奈良外国語観光ガイドの会」の代表は池田常雄さん。笠松浩子さんが民団奈良県本部の韓国語教室に行くと10数年間、韓国語学習をしている熱心さとすごさに驚いた人である。池田常雄さんが韓国語を生かしてガイドの会を立ち上げられた。
笠松浩子さんが案内する所は、法隆寺、東大寺、春日大社、奈良町、元興寺などである。
2010年に行われた「平城遷都1300年祭」はメーバーが担当を決めて多くの人に韓国語でガイドを行った。
2011年3月11日は東日本大震災、その前の年で韓国から多くの人が奈良に訪れた。メンバーは月に2回、集って現地研修会を開いたり、公民館で机上勉強をしたり情報交換をして次のガイドにどう生かしていくのか話し合っている。
「ガイド案内は楽しいです。聞いて話して人と会っていろんなことを吸収しています」と話す。
「昨年秋から冬にかけて飛鳥観光協会主催の研修に参加し 現在自主メンバーで飛鳥も勉強しています。飛鳥は韓国、百済と深いご縁のあるところです。石舞台や飛鳥寺などまわって現地研修をしてきました。飛鳥路を家族でサイクリングで回ったことがありますが韓国の扶餘(プヨ)を思い出しました。飛鳥路は不思議なものを感じる所です」と、笠松浩子さんは飛鳥と百済、扶餘の関係の深さを話す。

笠松画面-下-1平城遷都祭

「2003年、家族で韓国訪問」
1992年、日本に帰国してからは転勤族で韓国に行く機会がなかったが家族5人は2003年、11年ぶりに韓国を訪問した。次男がソウル生まれ。生後6ヶ月で帰国となったが小学6年の時、自分が生まれた国を見たいというので家族が2泊3日で訪問した。かつて住んでいた東部二村洞、住んでいた当時はスーパーに行く道の途中でリヤカーに果物を並べて売っているおじさん、道端に座って豆や雑魚を売っているおばさんがいた。2003年の訪問のときはチリメン雑魚を売っていたおばさんと出会った。おばさんは昔と全く同じ場所で商いをしていた。「おばさんは私の顔を見るや『久しぶりだね。また引越をしてきたの』と言うのです。私の顔を覚えてくれていたのです。感激して手を握りあいました。そして『これは情であげるものだから』といって売り物の茹でたとうもろこしを3つ、子どもたち3人にくれたのです。2泊3日の韓国の家族旅行で1番印象に残っています」と、当時のアジュマ(おばさん)のことを思い出して「韓国人は情の熱い人たちばかりです」と笠松浩子さんは話す。
2003年当時はまだ韓国のこうした光景が見られた。しかし2009年末、一人でソウルに行きかつて住んでいたところを訪ねたがおじさんやおばさんの路上での商いの姿はなかった。道路は整備されてこざっぱりしていた。
笠松浩子さんは「なぜか物悲しくなりました」

笠松画面-下-2-次男とソウル

ソウル生まれの次男は現在20歳、特別な感情はないが友達や他の人と生まれたところが話題になると次男は「ソウル生まれ」といっている。
笠松浩子さんは次男にソウル生まれの感想を聞くと「優越感も劣等感も感じない」と話されるそうだが、今後、長い人生の中で韓国の生誕は人のふれあいに役立つことだろうと筆者は見ている。合わされた縁がどこかでまた接点になっていく予感がする。

笠松画面--下-3-長男の1歳

「韓国語講師」
2008年、たまたまネットで韓国語講師を募集していたので応募し採用された。週2回、お小遣い程度だが今も楽しく韓国語講師をしている。ホームページ・ハングル教室
KJハングル教室は大阪市内にある。
韓国と日本の交流の橋渡しとしてハングル教室を開講している。
講師たちもホームページで受講者とのコミュニケーションの広場としてブログを書いている。笠松浩子さんも韓国と日本で触れ合う韓国人の様子や生活を見聞した事柄をユニークに伝えている。

「筆者の感想」
日本人の韓国との出会いは個々に違いがあるが筆者の周辺で仕事の赴任に伴って家族が一緒に行く人を多く見てきた。やがて韓国語は日本で生かされるという韓流になった。メデイアで活躍している民放の元女性アナウンサーも父親の仕事で韓国赴任になって家族がソウルで暮らした。
日本人子弟のほとんどは韓国にある日本人学校に通学するが元女性アナウンサーは2・3日行っただけで韓国の国民学校に通った。これは母親の教育方針だった。せっかく韓国で滞在するのに言葉を使えるようにならないといけないと。韓国語はまったくわからなかったがそのうちに友達ができて遊びながら韓国語を覚えていった。子どもの頃に覚えた韓国語は体で収得しているのか発音もきれいで流暢に話す。
今、フリーになって活動している様子はテレビなどで拝見している。
ポジャギ作りに熱中している生駒市在住の日本婦人も夫の韓国赴任がきっかけだった。
笠松浩子さんも夫の韓国赴任で伴って韓国暮らしになった。
しかも紹介したこの3人、韓流が始まる前の1980年代の韓国赴任である。
韓国はまだまだ国力の弱い発展途上国だった。いい面と悪い面を見てきた人たちである。
しかし韓国を忘れないで韓国のことを日本で紹介して架け橋の役割をしている。
民間外交の人たちである。国力をつけ経済的にも発展して世界第10位に入った韓国に様々な思いがあるだろう。
民放の元女性アナウンサーと笠松浩子さん、韓国語を通しての活動に筆者は憧れの目で見ている。在日韓国人の筆者も勉強して韓国と日本を通訳で案内できるようになればと心の中で願っているがそれは頭の中の理想論である。

韓国と正面から向き合う在日韓国人、何か組織の中で活動している人以外はほとんど日本社会の暮らしにどっぷりと浸かっている。偏見、侮蔑、差別の中で生きてきた人生、韓国に焦点を合わしていくという人はごくわずかである。
韓国語はまた何らかの形で現地の語学専門学校で学んでこそ身についていくのがほとんどである。しかし例外もある。日夜努力して韓国語を収得して流暢に会話のできる人も多く見てきている。日本人にもおられる。
一方の朝鮮総連組織に関った人たちは言葉ができるだろうがその言葉は韓国では使えない。北朝鮮の言葉になっている。韓国に語学留学して学びなおしをした同胞も多く見てきた。
そうなると韓国の現地で学んだ韓国語の活用は幅が広い。
笠松浩子さんは夫の赴任中、無駄に過ごさないで語学堂に留学して韓国語を収得していくそのひたむきさに筆者は心を打たれた。
以前から笠松浩子さんの韓国語を通しての人生を聞きたかった。やっと実現して画面構築できることになった。
奈良は韓国の百済が渡来して飛鳥文化を築いた。やがて新羅、高句麗、高麗と多くの古代史の中に韓国の先人の功績が残されている。
そんな奈良に人一倍愛着を持って韓国から来られる人たちに愛情をいっぱいにして奈良を案内しておられる。頼もしい奈良の女性である。
韓国の人たちの厚情、慈悲を韓国でたくさん頂いたことを知っている笠松浩子さん。慈愛の民族ということも知っておられての対応、韓国人の気質を知っての観光案内にまたさらに絆が強くなっていくと筆者は思っている。
奈良と韓国、もっと熱いものが流れていくものにして頂きたい。韓国語で観光案内をする皆さんに期待しています。

笠松画面-下-4-青空の風船

笠松画面-下-5-大極殿

<写真説明>1平城遷都1300年祭は2010年に開催、日本及び世界からの観光客が訪れた。韓国語で案内した笠松さんと仲間たち 2次男が小学6年の時、生まれたソウルを見たいという。2003年家族で訪問、ゲストハウスでソウル生まれの次男と 3日本に戻って生まれた長男は赴任先のソウルで1歳の誕生日を迎えた。韓国の民族衣装で1歳の誕生日の写真を撮影 4平城遷都1300年祭の開会式は2010年4月23日に開かれた。筆者が会場取材での撮影、青空高く上がったお祝いの風船などと完成した大極殿の見学には行列ができるほどの人気となった。高く舞い上がった風船に明るい奈良の未来を感じた筆者だった。
[ 2012/04/28 06:00 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


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