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奈良おんな物語《16》「韓国語で奈良観光案内をする笠松浩子」中:鄭容順

「日本に戻っての韓国語」
2003年、家族で韓国に訪問して久しぶりに韓国語に触れ、笠松浩子さんの心の中でまた韓国語を勉強したい気持ちにかられていく。日本に戻ってからすぐに韓国語教室を探し、2003年の秋、民団奈良県本部の韓国語教室に行った。奈良市民だよりに教室が紹介されていた。


笠松浩子さんは「民団奈良県本部に韓国語教室があったのでうれしかったです。大好きな韓国、大好きな韓国語が習えたのです」と話す。
教室には8人ほどが受講していた。
教室には10数年も韓国語を習っている人もいた。その人たちは上級クラスで学んでおられた。
笠松浩子さんは「すごい人がいると思って驚きました。日本にいながらにしてこれほどまで韓国語を勉強して流暢に韓国語を話されるのですから」と話す。
笠松浩子さんは2009年まで民団奈良県地方本部の韓国語教室で約6年間学んだ。

笠松画面-中-1-語学堂-左から2人目

笠松画面-中-2-語学堂-赤いカーデン

《韓国語弁論大会》
1週間に1回、毎週木曜日、教室に通った。ソウルで生まれた次男は小学6年になっていた。コツコツと勉強した成果は2008年11月30日、韓国語弁論大会で発揮された。2008年は韓国の建国60周年を記念しての記念式典が奈良100年会館で開かれた。記念式典で「韓国語弁論大会」が開かれ、韓国語を習う受講生たちが弁士で出場した。
笠松浩子さんも出場した。笠松浩子さんは優秀賞を受賞した。
弁論した内容の演題は「ボランティア通訳」。発表した弁論です。
―私が韓国語と出会ってから21年という歳月が過ぎました。韓国で5年間過ごし、その後は子育て、夫の転勤の連続で韓国語とも遠ざかっていたのですが5年前、奈良韓国教育院でまた勉強を始めたのです。
おりしも韓流ブームの到来でたくさんの韓国ドラマが韓国語で見られるようになり、16年前、韓国から日本に帰国した当時とは考えられないような環境になりました。
好きなドラマを韓国語で見ているだけで満足していたのですが次第にそれだけでは物足りなくなり、何か社会に韓国語で貢献できることはないかと思い、いろいろな研修会にも参加し、いくつかのボランテイア団体にも登録しました。
そこで出会った友人の紹介で今年の10月中旬、ボランテイア通訳の仕事をすることになりました。韓国から視聴覚障害者の方々が来られ、国立図書館、大阪の盲学校を案内通訳する仕事でした。
友人と2人で協力しながらの通訳でした。韓国から来られた方々は全国12ヶ所から集った点字図書館の館長さんや大学教授、みなさん立派な方々でした。視聴覚障害者の方の手を取る随行の方を含めて約20名です。
マイクを持って通訳するということは本当に難しかったです。もっともっと勉強しなくてはと痛感しました。
2日に渡る通訳で勉強になったのは韓国語だけではありません。初めて見る点字図書館、絵が膨れていて指で絵を感じることができる本があります。点字のシールを貼った子どもの童話本や目が見えにくい人たちのための文字を拡大する機会もありました。
盲学校は幼稚園から高校まであり、高校卒業後は専門の技術を習得できるような環境が学校の中にあります。
そして私が感嘆したのは韓国の方々の情の深い様子でした。手をとって一緒に歩く姿は本当の家族のようでした。ほとんどが同じ職場で働く職員の方々でしたが、手をとり、ぴったり寄り添い歩く姿は見ていても心が温かくなりました。
日本人よりも韓国の方が他人との距離が近いといいますが、目に見えないということが障害ではなく、ひとつの個性のように感じました。
2日に渡る通訳で、至らない面もありましたが、笑顔で接して下さった韓国の方々に感謝するとともに、このような経験をする機会を与えてくれた友人にも感謝しています。これからも一生懸命勉強して少しでも社会に役に立つことができればと思います―

また2005年にも民団奈良県本部・奈良韓国教育院が主催する「韓国語弁論大会」で笠松浩子さんは「韓国との出会い」を発表して優秀賞を受賞している。
ソウルオリンピックのことなどが発表されている。
1988年に開催されたソウルオリンピックから23年過ぎているが当時のスピーチを見るとソウルオリンピック競技場のことなど韓国の様子が懐かしく思い出される。その時、笠松浩子さんはソウルに滞在しておられた。
そこに住んだ日本人の情景が浮かんでくる。
それでもう1つご紹介します。

題名は「韓国との出会い」です。
―私が韓国に行くことになったのは夫の仕事で駐在員の妻としてでした。
それは1987年、その当時は韓国に住むことになったと友達に話しても羨ましがる人は1人もいませんでした。私自身も韓国が一体どんな国かまったく知りませんでした。まさに近くて遠い国でした。
生まれて初めて見たソウル。今でも印象的なのは当時、バナナがとても高価な果物で1本ずつ売られていた。3月に行ったので緑がまったくなくさびしい風景だったのに4月になって突然、レンギョウの花が咲いてソウルが黄金色に染まりとても美しかったです。
まだ新婚で子どもがなかった私はすぐに韓国語を習いに学校に通いだしました。外国に住むのにあたって自分の言いたいことことが言えないほどつらいことはないからでした。
この学校でたくさんの人々と出会いました。そしていろんな話をして私が日本人として知らないことがあまりにも多いことに気づき恥ずかしい思いをしました。
8月15日を韓国で初めて迎えたとき、その日は韓国では独立記念日の祝祭で夜には花火が上がりました。長い間、生きてきて日本から見た終戦記念日としてしか考えたことがなかったのですがその間、隣の国ではこうしてお祝いをしていたことを目の前で見たとき大きな衝撃を受けました。
一方からだけ見ないで実際に両方を体験しなければわからないことはきっとたくさんあるのだと思います。
そうして学校を卒業しソウルオリンピック、物価の高謄、出産などを経験し5年住んで韓国を離れました。
その後、私は夫の仕事で他の外国にも住むことになり、韓国が私の頭の中からまた遠い国になった時期がありました。しかし子供たちが大きくなりソウルで生まれた次男は自分が生まれた国を見たいとしきりに言い出し2年前、家族みんなで行ってきました。
11年ぶりに見るソウル。ずいぶん変わったところもあり、昔の雰囲気そのままのところもありました。私たちが住んでいた町を訪ねたとき、あるおばあさんが道端に座って商売をしていました。私はもしや、と思い覗きこむとまさに、この町に住んでいたときによくちりめんじゃこを買っていたおばあさんでした。昔と同じ場所に座ってまったく同じものを売って商売をしているのです。そのおばあさんは顔を上げて私を見るや「久しぶりだね。また引越ししてきたの?」と言うのです。私は覚えてくれていたのがとてもうれしくありがたく、お互いに手をとり合って再会を喜びこれからの健康を祈りました。
この旅行を通して久しぶりに韓国語を話し私はやっぱり韓国語が好きだと実感し、日本へ帰国するやいなやこの教育院を尋ねました。
今、私のクラスには日本で暮らしながら長い間、熱心に韓国語を勉強されてきた方々がたくさんいます。この方々と一緒に勉強することは私にとってもよい刺激になります。これからも韓国語を一生懸命勉強してほんの小さな力でも韓国と日本の交流に役立てることができればなと思います。ありがとうございました―

筆者は笠松浩子さんの見たもの、体験したものを前向きにとらえてひたむきに努力する姿勢にやはり奈良県に置いては韓国との交流事業ではなくてはならない大切な存在だと強く思った。
日本で暮らし仕事を持って夜は韓国語の授業にほとんど休むことなく通われた日本人男性と笠松浩子さんが重なってくる。日本人男性は奈良市と慶州市との姉妹締結関係で韓国から来られる韓国人をホームステイされることがあった。そんなときに相手に合わせて僕が韓国語を覚えないといけないと痛切に感じられて民団奈良県本部の韓国語教室で学ぶようになった。言葉がわからないと言いたいことがいえない辛さで韓国語を習った笠松浩子さん。相手の心をくみ取るのに言葉を知ること。両人は心の育みは言葉と重要視された。韓国語を通しての真摯な生き方が伝わってくる。
「韓国との出会い」、韓国語スピーチコンテストの発表文から伝わるものがあった。

「言いたいことが言えない辛さ」という笠松浩子さんの発表文に筆者はふと涙が出そうになった。1世がこの日本で言葉が話せず言いたいことが言えなかったそのときの心情、だから今も日本植民地支配が許されないところはこの言語にあるのだろうかと考えてしまった。2世は当たり前に日本語を使っていて1世の言葉の苦労に気づくことはつい忘れている。しかし笠松浩子さんのこの発表文で思い出し1世の渡日史はまだまだ言葉にしないままにこの世を去っていったことを実感している。


<写真説明>
3・4延世大学校語学堂の仲間たち(1987)この中に有名女優の弟がいます。3の写真の左から2番目、4は右端の赤いカーデンが笠松さん。
[ 2012/04/26 06:00 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


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