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奈良おんな物語《16》「韓国語で奈良観光案内をする笠松浩子」上:鄭容順

「フロフイル」
笠松浩子さん(53歳)は奈良市在住。1958年、大阪市此花区生まれ、大阪市立梅香小学校から西宮市の武庫川女子中学に進むが3年の時に堺市立上野芝中学校に転校した。大阪府立鳳高校に進んで大学は神戸松蔭短期大学英文科で学んだ。笠松浩子さんは日本人ですが韓国語と出会って韓国語を奈良県で生かす活動している。



笠松画面上の1

また奈良女子大学内にあるNHK放送大学に入学し、「人間と文化コース」で5年間学び、2011年10月に卒業した。
短期大学卒業後、商社に入社、ここで現在の夫と出会い結婚、結婚後まもなく韓国に赴任する夫について行ったのが韓国との出会いである。子どもが3人で5人家族になった。
韓国語は後の人生で活動の原動力になった。現在は大阪の韓国語教室で韓国語講師を行い奈良県では韓国語で観光案内のボランテイアガイドをしている。
http://web1.kcn.jp/nara-guide-club/
「NPO奈良外国語観光ガイドの会」のメンバーで韓国語のボランテイアガイド、奈良は韓国慶州と姉妹関係都市、奈良県は韓国忠清南道とは海外友好提携をしている。韓国忠清南道扶餘郡と関係の深い奈良県高市郡明日香村にある飛鳥寺を中心にした史跡見学者も多く、韓国からの観光客を韓国語で案内している。

「韓国の出会い」
結婚してすぐに夫が韓国赴任になったのが1987年、まだ子どもがいない新婚夫婦が韓国の駐在員になった。
韓国語も何もわからない。まだ子どもがいなかったので延世大学校韓国語学堂に留学した。在日韓国人も多くそして在米韓国人の人もいた。新聞記者の奥さんもいて仲良くなった。
仲良くなった人と2人で鬱陵島(ウルルンド)に行こうとソウルから高速バスに乗り浦項に着いたが台風の影響で船が出ず行き先を変更し浦項(ポハン)から直行バスで江陵(カンヌン)に向かった。江陵の安宿(たしか400円ほどだった)、街で出会った軍人、高速バスで3年の兵役を終えてソウルに戻る若い青年と話を交えたことなど多くの思い出が残っている。

笠松画面上-2-ウルルント

笠松画面-上-3-プヨ

長男は日本に戻って出産したが次男はソウルで出産した。
笠松浩子さんの実母にソウルまで来てもらって1ヶ月産後の養生をした。韓国語のわからない実母、それまで笠松浩子さんが慣れ親しんだ市場、買う品物によってその市場の行き方を教えた。リヤカーで野菜や果物を売るおじさんも実母に親切に接してくれた。笠松浩子さんがどんなものを買うのか知っていて実母は教えてもらったりすることがあった。
韓国での駐在は5年、88年からKBS国際放送の短波放送「アンニョンハシムニッカ ソウルです」の「ソウルだより」という5分間のコーナーに週1回、約3ヶ月程度の出演もした。実家の父が短波を受信してテープに録音してくれていたのだが未だに照れくさくて聴くことができないままである。

韓国駐在の間、延世大学校韓国語学堂に1年半、在籍して韓国語を学んだ。これが後に奈良で暮らす中で活動に生かされてくる。
日本に戻って1995年から96年、1998年から2000年、夫の赴任でタイ、イタリアにも駐在した。
2003年、11年ぶりに5人家族でソウルを訪問した。
ソウルで生まれた次男の出生地に次男を連れて生まれた病院も案内した。住んでいたソウル特別市竜山区東部二村洞にも行った。住んでいた外人アパートは壊され、LGが開発した高層マンションになっていた。2泊3日、11年ぶりの韓国訪問は笠松浩子さんに何か感じるものがあったようだ。

<写真説明>1笠松浩子さん(2012年2月16日筆者が撮影=奈良市内の喫茶銀杏や) 2友人と2泊3日のバス旅行、浦項から江陵に向かう(1987年、笠松さんは左側) 3語学堂仲間と扶餘に旅行、在日韓国人女性、シスターや神父さんなどバライテイ豊かなクラスメイト(1988年)右から2人目、白い上着が笠松浩子さん
[ 2012/04/24 06:00 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


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