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メデイアウオッチング「奈良にリニア中央新幹線」:鄭容順

奈良にリニア中央新幹線の構想は38年前から始まっていた。

筆者の知る記憶だが整備計画に紆余曲折があったものの奈良市付近に中間駅の設置の構想は1973年、旧運輸相が定めた基本計画に盛りこまれていた。

筆者の記憶を少し掘り起こしてみよう。
1980年代はバブル景気の前兆に入っていた。
日本高度経済成長で右肩上がりだった。奈良の観光が潤うと奈良県民は信じていた。奈良は文化財の宝庫、奈良は「大和の国のまほろば」が枕言葉で日本全国さらに世界に知られていた。東大寺に「大仏さん」が鎮座している限りは奈良に観光客が来る。これを「大仏商法」といって良い意味でも悪い意味でも奈良県内ではよく使われた。

輸送力に限界に達していた東海道本線を解消するための根本的対策として別線増設という形で1959年(昭和34年)4月20日、十河信二郎国鉄総裁は高速化が図れる標準軌新線として着工、東京オリンピック直前の1964年(昭和39年)10月1日に開業した。建設開始時は「第二の東海道線」ということで「東海道新線」といっていた。「新幹線」の呼び名は戦前、東京―下関間で計画された「弾丸列車計画」で内部関係者が使用していたものといわれている。
工事着工は1959年、戦後14年後の着工だが構想計画はさらにそれより遡ってされていただろう。その時、奈良にも新幹線を通してほしいという要請は誰もしなかったのだろうか。東京―名古屋―京都―新大阪の駅の設置に奈良県民は何も違和感を持つ人はいなかったのだろうか。

経済成長に伴って観光客が新幹線で京都に来れば奈良まで観光客が来ると誰もがそう思っていたのだろう。必ず奈良で宿泊をして奈良の夜を楽しむと思っていた。しかしその思考が外れた。
奈良に修学旅行生など観光には訪れるが観光バスで来て奈良の東大寺と法隆寺を見学して京都に戻っての宿泊、奈良に経済構築の金目となるものが落とされなくなった。京都の経済が潤っていった。
飛鳥路に関心のある旅行客は1泊、宿泊していく人もいたがやはり京都、奈良の京奈バイパスができて交通至便になると観光バスで奈良市内を見学、駆け足で飛鳥路に行く。石舞台と飛鳥寺を見学して京都に戻っていくという観光コースが定着していった。

1980年代に入ってやっと奈良県の商工人たちは「大仏商法」では奈良に観光客が来なくなるという危機感にやっと腰を上げた。
当時の商工人たち、老いも若きも「奈良にリニアモータカーを引っ張ってこよう」がうたい文句になって「奈良にリニアモータカー」という看板も掲げられて活動が活発化した。そして世論を喚起した。

筆者は1982年から5年間、奈良県内で読まれていた社団法人・現代奈良協会が発行する「月刊奈良」編集局にいた。当時の編集局の関係者たちはいつも「奈良にリニアモータカー」といっていた。
幹部役員は山梨県に何度も行ってはリニアモータカーに試乗していた。
試乗した感想をよく話していた。
「とにかく早い。スピードは速いがまだよく揺れる。まだまだ開通まで時間がかかる」と話していた。
そして「奈良は大仏商法で黙って座っていても観光客が来ると思っている。もうそんな商法では奈良は廃れていく。人件費節約で商店街は8時に閉店している。これも悪循環でますます奈良に来る観光客はバスで来て日帰り観光して京都泊まりになっている」とも、よく話していた。
奈良の商店街も活気があったころはまだ9時、10時まで店を開けておられたのだろう。修学旅行生の多くも京都泊まりになって人件費や光熱費の節約で観光客がまばらになったことから早々と店を閉めるところが多くなった。
今の奈良市内の商店街は8時になると店のシャッターは下ろされていく。
開いているのはかろうじて飲食店だが飲食店もほとんど8時に閉店している。
商店街近くで宴会して2次会のコーヒーを飲むところもない。
かろうじて開いているのは外資系の店だけである。

ようやくリニア中央新幹線の駅が奈良を通して新大阪につなげていく構想になってきた。1980年代の奈良県の商工人たちが奈良にリニアモータカーと設置運動を地道にしてきた活動の目先に光が見えてきた。

東京―大阪間の開通は2046年(平成57年)、34年後になる。
リニア中央新幹線の奈良駅に奈良県は近畿の奥座敷のイメージから近畿の玄関口になり広域の人の流れの変化によって奈良に人が集中してくることになる。
奈良県知事は歴史、文化、観光そして経済を結び付けていく奈良駅、道の駅的な幅広い構想を考えているが京都府がリニア中央新幹線の中間駅は京都に設置を要請した。
これに対して荒井正吾奈良県知事は「リニア中央新幹線は基本計画ができ整備計画ができてルートが決まるまで38年かかっている。大インフラ(環境整備など)は何十年もかけてできるものだが、急にあっちだこっちだと決められたことはない。名古屋以西が奈良だ京都だといっていると大阪までの前線同時開業を求めている時期なのに開業がまた遅れるんじゃないかと心配している」とコメントしている(奈良新聞2012年2月9日付けの記事から)
生駒市が学研都市にリニア中央新幹線駅をと名乗りを上げ、奈良県知事は大和郡山市に設置と声を上げた。
奈良県内でリニア中央新幹線駅の設置で白熱する論議の中で奈良市の仲川元庸市長は3月30日の定例記者会見で「足の引っ張り合いをしていると京都に漁夫の利をさらわれる。県が一丸となって奈良をアピールするべき」という見方を示した(奈良新聞2012年3月31日付けの記事から)
リニア中央新幹線中間駅の設置場所は県外や海外からの来訪者が多く利用するJRとの結束や市中心部のアクセスが選定の焦点になってくるだろう。

京都に東海道新幹線駅の設置で奈良の観光は年々減少していき奈良県の経済構築の1つ、観光産業に大きく影響したことに奈良県民は身を持って体験してきた。今回は東海道新幹線の轍を踏みたくない。その時の教訓をバネにして県あげての中間駅の設置をしていかなければならない。
リニア中央新幹線が開通すれば時速505キロ、東京―大阪間は約70分で結ぶ計画となる。
だが現在、設置運動に凌ぎを削っている関係者、長寿者の多い日本、開通する頃にも生存している人もいるだろう。しかしおそらくはほとんど開通を見ないだろう。それでも現在、中間駅設置を懸命に取り組んでいるのは先人たちの苦しみを後に残さないという覚悟でしておられる。
多くの先輩たちが奈良にリニア中央新幹線の駅の設置をと活動に邁進してきた人たちを見てきた。多くの先人たちの努力が実を結ぶことを願っている。
でも筆者は心の中で思っている。東京―大阪間のリニア中央新幹線70分、乗りたい。それも奈良駅から乗りたい。
筆者の夢は乗らないで終わるだろう。しかし未来の奈良県のためにそう願わずにいられない。



[ 2012/04/03 06:00 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


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