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映写室「傍 かたわら~3月11日からの旅~」伊勢真一監督インタビュー:犬塚芳美

 ―「FMあおぞら」で繋がる被災者に寄り添う―

 この作品は、センセーショナルに惨状を映すよりも、そこで暮す人々の心模様、少しずつ日常を取り戻す様を、映画的に映してベテラン・ドキュメンタリー作家の本領をいかんなく感じさせられます。制作秘話等を伊勢真一監督に伺いました。
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(C)いせフィルム

<その前に、「傍 かたわら~3月11日からの旅~」とはこんな作品>
 吉田浜の美しさに惹かれ、ここに住み着いたシンガーソングライターの苫米地サトロ。10年前にこの浜が作らせてくれたのが、「満月」だ。震災で床下浸水したが、幸い家も家族も職も失わずにすんだ。妻の吉田圭等と共に、町に臨時災害放送局「FMあおぞら」を立ち上げ、情報を発信し続ける。

<伊勢真一監督インタビュー>
―題名の通りに、まるで被災者の傍に寄り添うような作品ですね。この題材でこんな視点の作品は、伊勢監督ならではのものと感動しました。この作品の始まりはどんなだったんでしょう?
伊勢真一監督(以下敬称略):あの日、僕は撮影で高知にいたんです。携帯に友人たちから安否を気遣う電話が入って、テレビをつけると、三陸沖の大変な状況が映り、驚きました。目の前の海の続きで、あんなことが起こったのかと、唖然としました。「風のかたち」の主題歌を作って謳ってくれた、シンガーソングライターの苫米地サトロ等、親しい友人が東北にいるんで、心配にもなった。東京に帰って安否確認の電話をするんだけれど、なかなか通じない。そのうち、サトロは避難所にいて無事らしいと解ったんだけど、心配で、とにかく行って見てみようという話になり、震災の4日後の15日に、仲間で山男のカメラマン宮田八郎が、一人で支援物質を持ってサトロを尋ねてくれたんです。で、手持ちのカメラ、スチールについている動画機能で彼を撮影してきてくれました。それがこの映画の始まりです。でもこの時はまだ、映画を作ろうとまでは思ってなかった。

―映画と言うより、友人の安否の記録から始まったと。
伊勢:ええ、そうです。もっとも僕の作品は何時もこんな風に始まるんです。その後4月に、今度は僕も、以前から決まっていた東北の上映会の後で回る形で、支援物質を積んでサトロのところに行くんですが、被災地はまだ大混乱で、撮影していると「何をしている」と怒鳴られたりしました。5月頃になると少し落ち着いてきて、メディアの取材も収まってきた。サトロらの作った「FMあおぞら」が、月命日に亡くなった方のお名前を読み上げるというんで、それをカメラに収めたくて、支援物質を持って通いながら、今度はサトロらだけでなく、犠牲になった人たちの周辺の物語を映しにかかっていったんです。

―お墓にお参りに来る方々が映っていますね。
伊勢:ええ。東京のメディアは、凄いスピードで、心の問題を置き去りにして、話を復興にもって行きました。でも親しい人とかが亡くなると、充分に悲しむ時間が必要です。それをしないと次に進めない。復興復興と言うけれど、心はまだ其処に向かっていないんですよ。ただ、そんなシーンを撮ろうにも、誰が亡くなったのか解からない。マスメディアは死亡確認をして遺族のところに取材に行くんですが、僕はあの状態でそれは卑怯だと思った。だから、ともかくお墓に行って、ボーっと待っていました。でも、お花を持ってきたりする人がいると、事情が想像でき、お気の毒で声をかけれないんですね。じっとしてると、向こうから話しかけてくれたりして、あのシーンはそういう人たちを撮っています。

―赤ちゃんをおぶった若いお母さんとも、偶然に出会ったと? 周りの方たちが、ご主人が亡くなったと、ぼそぼそと話していましたね。
伊勢:あの方たちもそうですし、一杯お菓子をお供えして、お供えを食い散らかす鳥にも生きる権利があると話す男性とも、偶然の出会いでした。淡々と前向きな言葉も吐いていますが、あれはそういうことを言わないと、今を乗り越えられないからで、自分に言い聞かせているんですね。悲しみに浸るにも時間が必要で、当初はそんな余裕もない。サトロの「満月」の歌の中に、「君は 泣いているだろうか。僕は 泣けるようになったよ」と言う言葉がありますが、この言葉を実感として受け止めれました。「FMあおぞら」が、毎月月命日に、亡くなった方々のお名前を読み上げるんだけれど、それも何よりの鎮魂だったと思いますね。名前にはその人の物語がある。付けてくれた両親の願いも篭っていますし、その人の人生も浮かび上がりますからね。夏ごろに、一度、もう止めようかという話が出たんだけど、やっぱり続けようとなりました。

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―とつとつと読み上げる声が、逆に色々なことを想像させて印象的でした。映っているのは読み上げる側だけれど、それを聞いている遺族や、故人の友人等、ラジオの向こうで、お名前から生前の姿に思いを馳せる人々が浮かび上がります。
伊勢:ええ。僕らも月命日には必ず行き、カメラを回し続け、被災地の春夏秋冬を映しました。季節の回る時間が悲しみを癒す時間なんですね。
―時々挿入される、海の美しい映像も印象的でした。
伊勢:海に行くと、誰でもが波を見て、色々なことを考えます。本当に綺麗で、この海にあんな猛威があったのかと信じられない思いもする。出来るだけ綺麗に撮ってあげようと思いました。

―その海の上に浮かぶ大きな満月。サトロさんの歌が被さり、聞き惚れました。とても映画的なシーンです。
伊勢:あの歌は10年前に作ったものなのに、まるでこの作品のために作られたようですよね。物語と歌詞がぴたりと一致している。あそこに立つと、美しくてこの浜があの歌を作らせたんだなあと思いました。名曲ですね。
―カメラアングルも低いものが多く、瓦礫の中で咲く花が本当に美しい。意図的ですか?
伊勢:僕らは低予算だから、空撮も出来ないし、CGも使えない。でも無いことの強さで、人の目線で、ローアングルや引きを使っています。人間が人間を見た映像になっているのではないでしょうか。

―被災地の方にとっても貴重な映像ですよね。
伊勢:実は今日、亘理(サトロさん一家が住む、物語の主な舞台の町)に行ってきたところで、完成した作品を映っている人たちに観てもらいました。
―反応はいかがでしたか?
伊勢:皆喜んでくれましたね。映画的に良かった以上に、1年前のことですが、もう忘れられたのではと思っていたらしく、記録に残してもらえて良かったと言っていました。あれほどの災害でも、瓦礫が撤去され新しい建物が建ったりすると、以前の状況を忘れるんです。僕にしても、編集している段階で、自分の映したところを忘れているのに驚いた。そういう意味でも、忘れていくことを記録できたのではと思います。それに、マスメディアが取り上げる被災地は、被害の大きいところに集中しました。ここでも300人、隣町で700人亡くなっていているように、沿岸部の小さい町が一杯被災してるんだけど、ここは取材も始めてきたと言われたりしました。単に20000人亡くなったんじゃあない。家族や親しい人にしたら、1人1人の事が20000回起こったわけです。この作品を作りながら、しみじみと僕らとマスメディアとの役割の違いを感じました。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記> 
 臨時災害放送局の最初は、阪神大震災の時、神戸で出来た「FMわいわい」だそうです。新潟の震災でも出来たそうで、被災された人々が、放送するほうも聴くほうも、ラジオを通して心を結びつけ、これを拠り所に再生へ向かって行く姿が印象的でした。美しい海とサトロさんの歌が心に染みます。

この作品は、3月31日(土)より、シアターセブン(06-4862-7733)で上映。  
      4月1日(日)12:30~の上映時に、伊勢監督の舞台挨拶があります。


画像付きの記事はhttp://eiganotubo.blog31.fc2.com/blog-entry-332.html
[ 2012/03/31 07:18 ] 犬塚芳美 | TB(-) | CM(-)


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