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コラム「風」 詩を読む国、読まない国:嶋村初吉

▼福岡市内に「尹東柱(ユンドンジュ)を読む会」がある。尹東柱は植民地時代末期、使用が禁止されていた朝鮮語で創作を続けた叙情詩人で、近代韓国を象徴する国民的詩人といわれる。1917年、北間島で生まれた彼は、延禧専門学校(現、延世大学)で学んだ後、日本に留学。立教大学を経て同志社大学英文科に入るが、従兄弟の宋夢奎が独立志士であったことなどから治安維持法違反で逮捕され、鴨川刑務所に拘置された。判決は懲役2年。しかし、解放を半年後に控えた1945年2月、福岡刑務所で急死した。


▼幼いころにキリスト教の洗礼をうけた彼は、『カトリック少年』誌に児童詩を発表することで、本格的な創作活動に入り、延禧専門学校の卒業記念には19編からなる自選詩集『空と風と星と詩』を準備するまでになっていた。この計画は時局が許さず挫折するが、解放後、すぐ出版された遺稿集にはその後の客地生活で生み出された秀作が盛られ、より多様で内容の濃いものとなっている。

▼鴨川警察署から福岡刑務所(福岡市西区)に移送された尹東柱は、ここで英語版の聖書を読んで時間を過ごした。死後、遺体は親族によって母国に搬送された。2009年、「ここが知りたい」という長寿ドキュメンタリー番組で知られる韓国SBSの取材陣が福岡を訪れ、「尹東柱の詩を読む会」メンバーの案内で拘置所周辺、研究者を取材した。ミステリーとして、取材陣の頭を離れなかったことは、①尹東柱が人体実験で死んだのではないか、②なぜ日本人が尹東柱に親近感を覚え、彼の詩を粘り強く読んでいるのか、ということである。詳しいことは省くが、人体実験とは戦時下、人命を軽視した軍の暴走である。尹東柱は、ある注射を継続的に打たれていたといわれるが、これが問題視されている。真実であるならば日本の戦争犯罪として、無視できない。

▼「尹東柱を読む会」は、20年余り続く会で、代表の馬男木美喜子さん、福岡県立大学の西岡健治教授が中心となって月1回の例会を開いてきた。現在は馬男木さんが主宰して、活動を続けており、毎年、尹東柱の命日(2月)には、福岡刑務所の北側で献花し、詩を朗読する追悼会を催している。これには九州一円、遠くは関西からも参加者がいる。余談になるが、福岡刑務所は宇美町への移転に伴い、1965年に解体され、近代的なビルに模様替えされた。

▼日本人が詩を読むことが少なくなった時代に、なぜ韓国の詩人の作品を愛し、輪読し合うのか。その訳を馬男木さんは「日本、それも身近な地元、福岡で亡くなったこともあるが、尹東柱の詩が瑞々しいからです」という。それは尹東柱の代表的な作品、「序詩」からも感じ取れる。
死ぬ日まで天を仰ぎ/一点の恥じ入ることもないことを/葉あいにおきる風にすら
/私は思いわずらった。/星を歌う心で/すべての絶え入るものをいとおしまねば
/そして私に与えられた道を/歩いていかねば。/今夜も星が 風にかすれて泣いている。         (金時鐘訳、尹東柱詩集「空と風と星と詩」もず工房より)

▼在日の詩人として有名な金時鐘(キムシジョン)氏は尹東柱を改めて翻訳し直して感じたのは、「渡日までに書かれた作品の色あいは、沈痛なまでに重い殉教者の息づきに満ちている」ことだった。尹東柱は植民地時代、抵抗詩人として生きたといわれるが、彼の生活からは民族主義的な闘争運動、そのパッションとしての行為がない。なぜ、「抵抗詩人」なのか、という疑問の声をかねがね耳にしていた。当時、軍国主義の空気で表現の自由が圧殺された時代、時局便乗型のエセ文学が流行していた。思うことをストレートに、また婉曲的にも表現できない重苦しい空気の中にあった。ペンで生きるマスコミも、文学者も、体制に迎合して生きた。軍部を真っ向から批判する人は姿を消した。権力に刃向かえばどうなるか。その恐れに慄いて、軍事体制を讃美した。
▼「一歩一歩の後退が全面退却となり、ついにまったく息の根をとめられるところまで行き着いた」(金時鐘氏)。その中で、従兄弟の宋夢奎が独立志士であったことなどから、尹東柱も治安維持法違反で逮捕され、未決囚として鴨川警察署に拘置された。彼は抗日運動に情熱を燃やす闘士ではなかったが、母国語で表現をすることを貫いていた。それを日本警察につかれた。このこと自体、勇気のいることである。国の独立を、表現を通して訴えた激しい抗議であったからだ。金時鐘氏は、そのような尹東柱に殉教者の姿をみたという。

▼「敬虔なキリスト教徒の家庭に生まれ育った彼からして、真理を究めるための<日本への道>が、真実を守り通すための十字架を背負った旅立ちであったとしても、けだし当然のなりゆきであったといえなくはないが、やはり無残な道程であることに変わりはなかった。変節をいさぎよしとせず、筆を折る詩人作家たちならまだしも、ほとんどの文人たちが時流におもねて安立をはかるか、溜息ばかりを現実の物かげで空々しくついていたとき、『亡びるものへの愛につかれた男』が屈辱の市街をよぎり『もし十字架がイエス・キリストに与えられたように許されるならば/暮れゆく空の下をこの首もたげ/花と咲く血しおしずかにたらしつづけ(「十字架」)』るべく、“また別の故郷”の日本へ渡ったのだった」(金時鐘訳、尹東柱詩集「空と風と星と詩」もず工房より)

▼尹東柱の詩は鄭芝溶に学んだ抑揚のきいた枠のなかに平安道の土俗的なモダニズム、詩人白石の詩から得た北国情緒とそれへの強い望郷の念、また国を奪われた民族の悲哀を孤独な下宿生活にオーバー・ラップさせており、植民地下に生きる知識人の精神状況を十分、追体験しうるものとしている。

▼日本人が韓国の詩人の作品を愛し、読み合っていること自体、韓国の人には意外に映ったようである。韓国のテレビ局(SBS)が2011年、東京、京都、福岡の愛好家を取材し、番組を制作している。取材された馬男木さんは「純粋に隣国の詩人の作品を味わっている私たちの心情の一端が理解してもらえたのではないか。尹東柱の詩は魅力的です。魂が洗われるといっても過言ではない」という。彼の詩は己に負わされた運命を支配者側のせいにせず、あくまでもみずからに課せられた形而上学的問題として応えた点に意味がある。

▼金時鐘氏は長年、尹東柱の詩からへだたって過ごしたという。その理由は、「まずもって、総身うぶ毛でおおわれているような尹東柱の、あのなよなよしいまでに清純な抒情感には、正直立ちすくまざるをえなかった」。確かに、金時鐘氏の詩は、「思想詩人」と評価されるように、ごつごつして重い。雄大な歴史をバックに、大河の流れを感じさせる歌いぶりである。だから、「私のごつごつしい日本語をもってしては、却って尹東柱の詩情を損ねる気がしてならなかった」という金時鐘氏の言葉にも、得心がいく。そして、尹東柱の詩に正面から間向かう時期がきた。「私も世間並みに齢を取り、自分の抒情の律動にも振幅のはばができた」からだと、金時鐘氏は謙遜して述べている。

▼詩人の才覚とは、時代を先取りした言葉を紡ぎだすことにあるようだ。時代の空気にもまれて、「なぜ」と根本的、哲学的命題を自分自身につきつける。その思索が深ければ深いほど、自由で澄んだ音色が奏でられる。時代に制約されながらも、時代を越えて生き残る言葉の重みが感じられる。詩人は現代に止まらず、時空を越えて次の時代を見通す。尹東柱の「序詞」を読めば、納得していただけるのではなかろうか。

▼韓国は現代でも、詩がよく読まれている。詩集がベストセラーにランクインする国である。一方、日本は、読書人の間でも詩が話題にのぼらない。詩歌を含め日本の文学は、とかく私文学的な要素が大きいが、探してみれば、その中には時代を越えて読まれる詩歌は多くある。しかし、それは古典の類で、同時代の詩人への共感は少なく、希薄である。詩が読まれる、読まれない。その違いから何が読み取れるか。それは、即物主義、功利主義を越えるかどうかの命題になるのではないか。極論すれば、ロマンがあるかどうかである。尹東柱は、それをやってのけた。日本人が朝鮮人を抑圧した重苦しい空気の中で、『序詞』をはじめ時代を越えて人々の心を打つ瑞々しい言葉を紡ぎだしたことに感動する。生きる勇気を与えられた、と思う人は尹東柱の愛好家以外にも多くいるのではなかろうか。その意味で、尹東柱は誇るべき抵抗詩人である。
  
[ 2012/02/25 00:00 ] 嶋村初吉 | TB(-) | CM(-)


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