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“東大話法”の対極にある映画「“私”を生きる」 三室 勇

今、ちまたでは“東大話法”なる言葉が、関心を呼んでいる。安冨歩著『原発危機と「東大話法」――傍観者の論理・欺瞞の言語』(明石書店)が原発事故以降の東大に代表される原子力村の住人たちの言葉の虚偽性を見事に射貫いているからだ。また、著者の安冨氏自身も東大東洋文化研究所の教授であり、自分の立ち位置の批判的検証を正面きって行っている。

2005年12月25日、公開討論会「玄海原発3号機プルサーマル計画の『安全性』について」の場で、推進派の東大大学院工学系研究科システム創成学専攻、大橋忠弘教授が反対派の京大原子炉実験所の小出裕章助教に対して、次のような発言をしていた。「専門家になればなるほど、そんな格納容器が壊れるなんて思えないんですね」、と。この人を小馬鹿にしたような発言は、現実によって裏切られる。しかし、こうした発言がなぜできるのかを安冨歩は解析する。
「原子力の専門家であるための条件は、原子力についての真理に曉通することではない、のです。そうではなくて、欺瞞言語を心身に浸透させていって、まともに思考できなくなり、原子力業界の安全欺瞞言語でしかものが考えられなくなって、『格納容器なんて壊れるわけないよね』と<思い込める>ということが専門家の条件なのです」。

安冨氏は「東大話法規則」を20上げているが、その1は「自分の信念でなく、自分の立場に合わせた思考を採用する」。2から8は「自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する」「都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事する」「都合のよいことがない場合は、関係のない話をしてお茶を濁す」「どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す」「自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判す」「その場で自分が立派な人だと思われることを言う」「自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する」と続く。

昨日、私は映画「“私”を生きる」を大阪・十三のシアターセブンで観た。東京都は石原都政になってから、教育委員会による「日の丸君が代」強制、教育現場の言論統制が徹底される。それに抵抗しつづける3人の教師たちのドキュメントである。3人が共通して訴えていたことは、こうした強制・言論統制を容認したら、自分たちが信念を持って子どもたちに教えてきた基本的人権、自由な討論による民主主義を否定してしまうことになる。それは自分自身を偽ることだ。だから自己欺瞞を排して、苦しくても「“私”を生きよう」とする教師たちが描き出されていた。そこには自己を偽わらない清々しさがあった。

専門性をもった人間たちが情報の非対称をよいことに素人に対して「東大話法」のような説得をしていないか。専門性に隠れて、人を騙すことが当たり前の社会は、人間の内面を崩壊させることにもなるだろう。それはいくら説得されても、私たちは騙されていることはわかるからだ。社会の閉塞感はさらに深まることになる。
[ 2012/02/11 10:29 ] 三室勇 | TB(-) | CM(-)


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