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夜間中学その日その日 (374)    蟻通信編集委員会

夜間中学の歩みを訪ねて(1) 天王寺「夜間中学生の像」
各夜間中学には夜間中学生が知恵と力と技を結集して作り上げた共同作品がある。その作品がどのようにして生まれたのか、構成詩であれば、その詩はどのようにして出来あがったのかを考えることは、夜間中学の学びの一つとして重要ではないだろうか。


夜間中学生が油粘土と格闘して作り上げた共同作品が天王寺と文の里の2校の夜間中学にある。どちらも、沖縄で活躍中の彫刻家、金城実さんが夜間中学の教員としておられたとき、美術の授業のなかで出来上がった作品だ。
「仕事で疲れた体にムチ打って勉強を続ける苦しさ。やめていった仲間のことなど。口では言えない夜間中学生の本当の姿をわかってほしい。そのためにはぼくたちの像をつくろう。それもみんなで」。美術の授業の終わった後、金城実先生を囲んで話し合っているとき、「だれとはなしに話が持ち上がった」。
夜間中学の廊下のすみで、さっそく制作が始まった。初めはクラスの最年長者をモデルにしたが「仲間全員を象徴するものに」という意見が出たため、途中から抽象的な若ものの像に変更したという。モデルは力仕事できたえた2年生の野極達二さん(31)だ。このとき野極さんは朝9時から午後4時まで職業訓練所に通い、午後5時から9時まで夜間中学。終わると深夜2時までボウリング場で働くという毎日であった。
週3時間の美術の時間に作業を進めていった。「粘土をこね、のばして、丸め、肉付けをする。目のふちを深くえぐり平らにしたナイフをまぶたに押しつけるとくっきりした二重まぶたになった。耳たぶはフォークでえぐり、柄で丸みをつけた。できあがったねんど像は石膏を流して型をとり合成樹脂を流し込む・・。
台座の基礎や枠組みを作ったのは3年生の大工の北村さん(39)。みんなでブロックを重ね、碑文をはめた。台座の上に据えられた像は高さ約1m。両手に持った本をくい入るように見つめる夜間中学生の姿だ。肩の筋肉はりゅうりゅうと盛り上がりたくましさを、きっと開いた目は意志の強さを表現している」。
295人の天王寺夜間中学生が1年かけて制作をつづけた「夜間中学生の像」が完成。1974年2月27日夜、校内木魂(こだま)の森で除幕式が行われた。「1年がかりの労作だけに、夜間中学生の喜びはひとしお。同夜は家族も招き、給食のコッペパンもアンパンに格上げ、ささやかなお祝い」をおこなった。
このことを伝える報道記事がある。見出しは「苦しくとも励まし学ぼう・・『夜間中学生の像』完成 天王寺中校庭で今夜除幕式」(1974.2.27 朝日)。完成した像を囲んで喜ぶ夜間中学たちと説明がついた写真も掲載している。
この記事では夜間中学生の出席状況を次のように伝えている。「府教委によると府下の夜間中学は、2年前の3校から8校と増えた。が、長期欠席を続ける生徒が目立つという。同中でもこの像の完成を知らずに長期欠席を続ける仲間が多い」と。
野極さんは「いったん手がけた以上、何としても完成させたいという気持ちでした。みんなもよくがんばった。でもなんとか学べるぼくらはまだ幸せなのかもしれない」。金城実さんは「ひとつのことを、みんなでなしとげるなかで、育っていった“仲間意識”が、ひとりでも長欠者を減らし、新しい仲間を増やすことになれば」と話されていた。

いま、天王寺夜間中学の校庭の南東隅で、夜間中学生や、昼の中学生の活動の姿を見つめる「夜間中学生の像」は40年前の夜間中学生のこんな思いのこもった共同作品である。

[ 2014/10/04 10:26 ] 夜間中学・白井 | TB(-) | CM(-)


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