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夜間中学その日その日 (364)    白井 善吾

守口市成人基礎学習講座
守口市成人基礎学習講座(あけぼの教室)の教室を訪れた。吹田市から自転車で通っている夜間中学生がどんな想いでペダルをこぎながら通っていたのか、私も挑戦してみた。

時間は45分かかった。西日がまだ高い。淀川にかかる豊里大橋を越えて守口市に入る。橋の上の日陰で自転車を止め、一時休憩した。川面を吹き抜ける風に涼をとっている人たちがいる。この橋を渡れば、守口夜間中学迄10分だ。
明治の中ごろ、淀川は交通の大動脈だった。淀川の流れを緩和するため、岸から直角に細長い石積を築いた。その後、石積と石積の間に土砂が堆積し岸に近い部分に人工池ができた。それがワンドだ。土砂で浄化された淀川の水が流入して、水質が維持され、天然記念物のイタセンパラやアユモドキが生息する環境ができた。その石積みが豊里大橋から確かめることができた。
45年前、この橋ができた。それまではここに江戸時代から続く「平田の渡し」があった。「私が娘時代、この船に乗って吹田市の仕事場に通っていました」と顔を赤らめ、語っていたオモニも亡くなってしまった。夜間中学で淀川の学習をおこなった時だ。
淀川の堤防に寄り道してとってきたという「燕麦(えんばく)」をある夜間中学生が学校に持参したのもこの時だ。その燕麦を使って学習を展開した。たねの皮をむき、細長い紡錘形の黒い種を口に含み、かみしめながら夜間中学生が語り始めたのが、「平田の渡し」の船に乗った話だ。50~60年の時空を超えて夜間中学生の話はつながっていく。
水流の強さに応じて船首を向ける方向を微妙に変え、操船していた。ある夜間中学生はベクトル図を描いてみんなに説明していた。
そんなことを思い出しながら流れを眺めていた。
守口市の中央公民館につくとあけぼの教室の学習は始まっていた。
先生よく来た、何か話をしてくださいの声に押されて私は
「今日はなんようですか?」「かようです」「いいえ、どようです」(笑い)。「食べましたか?」「ウナギですか?」「たこうて、口には入りません」「今日は土用のうしの日です」。「うしの字はどんな漢字やったか?」ここまでくれば、教師の介在する必要がない。学習者同士で話がつながっていく。「牛か?」「いや違う。ネ・ウシ・トラのウシや」
一呼吸おいて、一画ずつゆっくり黒板に漢字を書いていった。「ウシの前は?」。「ねずみのネ」・・
いつの間にか夜間中学で勉強した時使ったプリントを出してきて十二支の漢字のチェックが始まった。ミは「巳、己?」と尋ねると「うえにくっつきます」と返事が返ってきた」。「トリは?」「サンズイをつけたら酒」と返してきたのは「えんばく」を授業に持ち込んだ、しずこさんだ。「今は自転車では、かよっていません」と笑顔で話した。
「立秋の前18日間が夏の土用。年によって土用の丑が2回ある年もあります」。‥
暑いこの季節。人数はいつもの日より少なかったが、元気な返事が返ってきた。昼の学校が夏休みに入る前、あけぼの教室の参加者は守口第一中学に招かれて、出前交流を行ってきたという。
守口市成人基礎学習講座の開講は1997年守口夜間中学生が開設運動をとりくみ実現した学校教育でもない、社会教育でもない。両者のいいとこをつなげた「成人基礎学習講座」である。
この日姿がなかった、ふみこさんからハガキが届いた。「夜間中学やあけぼのにもっと姿を見せてください」と書いてあった。元気づけのために訪れて、逆に元気を分けてもらったこの日の訪問であった。

[ 2014/08/08 03:17 ] 夜間中学・白井 | TB(-) | CM(-)


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