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夜間中学その日その日 (363)    拳通信編集委員会

国会議員11人、守口夜間中学に
夜間中学の授業を考えたとき、学習者と教員との波長が合い、学びが編み上げられていく過程が双方で実感できるときは体の中からうれしさと力が湧きあがってくる。こんな体験、できることはめったに起こらない。


「授業で大事なことは単に目的地までたどり着くことでなく、その教材を通して、いかに学習者と豊かな時間を過ごせるかという認識だ」「多くの人は三次元の世界を生きていると思っている。でも実際、私たちは時間軸を含めた四次元の世界を生きている。夜間中学生の体験は誰かに伝えない限り、一代で消えていってしまう知識である。でもそれを教室で話すことで、その記憶は共有され後世に引き継がれていく。それは教科書に書かれた知識などより、ときにずっと意味がある」。
2014年7月17日、守口夜間中学に、義務教育などの学習機会充実をめざして設立された超党派の「夜間中学等義務教育拡充議員連盟」の、衆参国会議員11人の訪問があった。夜間中学の授業参観のあと夜間中学生との交流の場は参加者が組み立てていく「夜間中学の学び・授業」であった感がする。ある時は夜間中学生が先生。次の瞬間は国会議員が先生に。豊かな学びの空間が形成されていた。

3人の夜間中学生が体験発表を行った。「1945年8月15日、私が17歳のとき戦争が終わりました。私は韓国のソウルで電話の交換手をしていました。その仕事場から、『万歳!万歳!』と叫ぶたくさんの人の声が聞こえました」(李貞姫さん)。「赤紙1枚で人の生死や、生き方までも決めてしまう戦争を私は憎みます。私は生前の父に会いたかった」(木下俊さん)。「母は残留日本人婦人です。1950年代終わりから3年間自然災害が続き、食糧難のあとは文化大革命がおこりました。学生は学校に行ったらすぐに大きな字でポスターを書いたりして、正式な勉強はまったくありませでした」(楊桂芝さん)。夜間中学にたどり着く自分史を4次元の時空で発表した。
「ここにいるのは、文部科学委員会に所属する国会議員です。夜間中学があまりにも日陰の扱いになっていることに怒りを覚える」「税金を使って安心して学んでいけるよう法を整えたい」「皆さんの発表を聞いてびっくりした。本人の責任ではなく、学ぶ機会を奪われたこと、強く受け止めました。こんな機会を作っていただいたことお礼申し上げます」と馳(はせ)会長は感想を述べた。
4月入学した10代の夜間中学生は、「ポスターで夜間中学があることを知りました」と話した後、自分の生い立ちと重なり合う仲間の発表に胸いっぱいになり声にならなかった。さらに8人の夜間中学生が獲得した文字とコトバで「学ぶことの意味」、「学んでどう変わったか」について意見を述べた。
「全国には自分と同じ人生を歩んだ人がいっぱいいる。私の故郷福岡には公立の夜間中学はない。夜間中学は私たちに次の力を引き出す不思議な力がある。すべての都道府県に夜間中学ができるよう、おねがいします」
これら意見を受け、国会議員は一人ひとり、意見を述べた。「今日あらためてお教えいただいた。夜間中学開設運動を展開した髙野雅夫さんともお話しさせていただいている。憲法で書かれたすべての人に学ぶ権利が保障されるよう。九州にも公立夜間中学ができるよう頑張ります」
この日参加した首藤修一守口市教育長は、6歳から80代の夜間中学生が学ぶ小中一貫校が2016年発足することを述べ、理解と協力を訴えた。
参加いただいた国会議員は、赤枝恒雄(自民)・伊佐進一(公明)・遠藤敬(維新)・神本美恵子(民主)・河野正美(維新)・国重徹(公明)・鈴木望(維新)・馳浩(自民・会長)・宮本岳志(共産)・吉川元(社民)・笠浩史(民主・事務局長)。また出席できなかった議員の秘書の参加も何人かあった。
[ 2014/07/29 09:49 ] 夜間中学・白井 | TB(-) | CM(-)


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