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夜間中学その日その日 (360)    白井 善吾

教育再生会議が夜間中学の設置を促進する報告をまとめたとの報道

夜間中学をめぐってこれまで私たちが経験したことのない変化が起こっている。

就学援助補食給食の府補助廃止(2008)、奈良県御所市教育長の「(夜間中学は)役割終わっている」発言(2009)、千葉市の夜間中学設置検討委員会の「設置しない」報告(2010)、夜間中学「複式学級」展開の出現(2013.4)、横浜の夜間中学の統廃合(2013.9)、天王寺夜間中学を廃止する動き(2013.12)と続いている。これらに対し、私たちだけでなく、近畿の夜間中学生徒会は一貫して闘いに立ち上がり、粘り強いとりくみを展開している。また一方で「夜間中学 全国に整備を 超党派議連設立」(2014.4)そして「政府の教育再生実行会議は、公立中学校の夜間学級、いわゆる「夜間中学」が、義務教育を修了していない人の就学の機会を確保するうえで重要な役割を果たしているとして、7月、安倍総理大臣に提出する提言に設置の促進を盛り込む」(2014.6.28 NHK報道)との動きも起こっている。
夜間中学の明日に明確な展望を持ち、とりくみを組み立てていかないと教育行政は夜間中学の教育環境改悪、夜間中学つぶしにくみしてきたことはこれまでのあゆみの中で私たちは知っている。大阪では1989年から各夜間中学の垣根を取っ払い関係者が協議を重ね、夜間中学の教育運動の展開をおこなってきたことも、一方的な改悪に歯止めをかけ、夜間中学の新増設委を実現する動きにつながったことも私たちは経験している(1994.2.22)。
とりわけ、義務教育未修了者が火の玉になって立ち上がらないと夜間中学の新開設はあり得ないのである。法律ができても、当事者が声をあげ動かない限り、教育行政が夜間中学を作ったりはしない。仮にできたとしても、学習者が求める学校ではない。
「千葉市の夜間中学検討委員会」を例に夜間中学開設運動を見ておく。
千葉市議会で夜間中学開設を求める議会質問が行われ(2006.12.13)、本来の夜間中学は学齢を超えて中学校を卒業していない人が対象であるが、ニーズが多様化している今(ア)中学校3年生で学校に来れていない、不登校生徒(イ)中学3年生に編入学した外国籍生徒 (ウ)卒業したがもう一度勉強したい人。これらの人たちが学習できる場として千葉市教育委員会は、2006年夜間中学の開設を考え検討を始めた。そして千葉市立中学校夜間学級設置検討会議(教育委員会10課12人)。千葉市立中学校夜間学級設置検討委員会(外部委員4人と学校教育部長の5名より構成)を設置した。
ところが計4回の検討委員会を開き、2010年5月「設置しない」との結論を出し報告書にまとめた。その理由の中に、「夜間学級設置について学校現場の校長・職員からの強い要望はない。市民団体もない。市民代表の声はあった(市会議員の議会質問)」と記述している。
検討委員会で議論が進んでいるとき、全国夜間中学校研究会として行動を起こすべきではないかとの意見に対し、「非常にいいニュースだ」「千葉では、この間2回ほど担当係長と話し合いを持った」「設置を前提とする具体の質問があった」「外部から何も言わず、静観しているほうがよい」と全国夜間中学校研究会の担当者は第54回大会(2008年)で発言していた。
これとは好対照の事例を私たちは知っている。
1968年大阪で夜間中学開設運動が展開されたとき、「同和教育や解放教育がとりくまれている大阪で、義務教育未修了者はいない」と断言する教育委員会に対し、夜間中学開設を求める“生き証人”を見つけだし、その“生き証人”が夜間中学開設を迫っていった。
夜間中学卒業生が街頭でビラをまき、テレビ番組に出演し、義務教育未修了者に夜間中学で学ぶことを呼びかけ、名乗り出ることを訴えた。それら一連のとりくみを新聞、テレビ、ラジオが報道した。
1968年12月14日、毎日新聞は8段抜きの記事で報道した。見出しは「越境かまいませんよ」「神戸の夜間中学に大阪の4人」「尊い熱意拒めぬ」「映画の訴え実結ぶ」だ。
桂米朝さん司会の『ハイ、土曜日です』(関西テレビ)で夜間中学をテーマに番組を報道した(1968.11.23)。出演した髙野雅夫さんは未修了者として名乗り出るよう呼びかけた。呼びかけに応え、16歳の小林晃さんら4人から電話が入った。当時大阪市内には夜間中学がなく、夜間中学の入学を強く訴えた小林さん親子を連れて、髙野さんは神戸の夜間中学を訪ねた。この頃、大阪では「越境は差別だ」「越境をやめよう」の運動が展開していた。これに対し、新聞は「越境かまいませんよ」と応じた。教育政策の矛盾を突くこの展開は大阪の夜間中学開設に大きな引き金になった。
「代理戦争」ではなく、義務教育未修了者が“生き証人”として開設運動に参加し立ち上がった。“生き証人”が夜間中学開設を迫っていった開設運動が運動の原則であったことを改めて想起すべきである。
はじめに述べた状況下、夜間中学の重要な舵取りが夜間中学関係者に求められている。議論を重ね、明確な指針をもって、近畿の夜間中学の立場から考えを明らかにし、主張とその実現に向け行動を起こすことが大切ではないかと考える。
[ 2014/07/08 22:19 ] 夜間中学・白井 | TB(-) | CM(-)


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