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夜間中学その日その日 (358)    蟻通信編集委員会

2013年12月9日大阪市教委から天王寺夜間中学に届けられた文書「大阪市立天王寺中学校夜間学級」は行政管理庁が発した“夜間中学早期廃止勧告”(1966年11月29日)だと私は思った。

早期廃止勧告を報ずる新聞記事を見た時のことを髙野さんは次のように書いている「体中から血の気がすっと引き、やがて心臓がドキンドキンと高鳴り、震えが止まらなかった。それは、まさに俺にとって信じられない、突然の死刑宣告だった」(『夜間中学生タカノマサオ』解放出版社 54頁)。夜間中学を卒業して2年後のことだ。
早期廃止勧告に対し自分たちは何ができるかを考えた経緯が著書では次のようにある。
恩師・塚原雄太を呼び出し、「先生、行政管理庁の廃止勧告をどう思いますか?」『どうって、俺たちは公務員だからな』「今まで夜間中学が廃止されたとき、反対運動をしたところはありますか」『ないだろう』「じゃ、今度も他所はやらないよね」『まずやらないだろう』、しばらく二人とも沈黙した。「先生、カメラを回してください。俺が声をとるから」『映画をつくるのか?』・・・とある。
この頃、荒川9中夜間中学の在校生の様子を記した新聞記事がある。
「オレたちの夜間中学がなくなる!オレたちの生活の支えであるこの学校を廃止する。なぜだ?」―彼らは、裸電球のぶら下がった教室で話し合った。先生たちにもたずねた。「たしかに、夜間中学は法的には認められていない」「ではなぜあるんだ」「必要だったからだ」「それをなぜやめる」「法にないから。もう黙認の必要がなくなったからだ。戦後の遺物だそうだ」話は堂々めぐりをくりかえした。そこへ彼らの先輩、髙野雅夫君がやってきてこの話を聞いた。彼は激怒した。(中略)「まだ、文部省が廃止するとはいっていないのだ。それより君やみんなの気持ちを世間に知らせることが大切なんだ」先生たちがなだめた。髙野君を中心に話し合いが続いた。「映画を作ろうじゃないか」(読売新聞1967.11.19)。
こうして「夜間中学の24時間」が撮影されていった。「夜間中学生がスターとなり、助手をつとめ、演出家になった」。「フィルム代、現像代やいろいろ全部で36万8千円。できあがった映画は確かにしろうとくさい。しかし出演者のまじめさと熱心さは一目でわかる。それが、見るものの胸をえぐる迫力となっている。(読売新聞)
かくして証言映画「夜間中学生」が完成した。荒川9中夜間中学開設10周年記念として封切り上映、記念文集「ぼくら夜間中学生」を発行。髙野さんはこれらを背負って夜間中学の開設運動を全国で展開した。この運動の結果生まれたのが天王寺夜間中学とあらためて公認された岸城夜間中学だ(1969年)。
これら行動を支えた考え方は、義務教育未修了者の恵まれない人々を救うという慈恵的な考え方ではなく、憲法で規定されている教育の権利を保障するのだという権利思想に裏打ちされたものであった。

天王寺夜間中学を閉鎖するという大阪市教委の策動を断念させる夜間中学生側の取り組みに活かしていかないと。先輩たちができて、私たちができないはずはない。

[ 2014/06/25 10:33 ] 夜間中学・白井 | TB(-) | CM(-)


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