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奈良おんな物語《38》「奈良を拠点にフリー編集者・ライター、倉橋みどり」中:鄭容順

「奈良との出会い」
結婚した夫が奈良の人だった。会社で出会った。結婚を機会に奈良に住むことになった。夫の実家は奈良市西部、実家の近くにマンションを購入した。義母がよくできた人で多忙な倉橋みどりさんの自宅に来ては部屋の掃除などをしてくれる。一番の応援者だ。



「あかい奈良」
地域の情報誌「あかい奈良」の編集長を6年余り務めたが休刊になった。発行人の都合だったが、ここでけじめをつけてよかったと思っている。
倉橋みどりさんは「小さい雑誌だったが熱心なファンが少なくなかった。『あかい奈良』を通じて出会った人たちは今も大切な宝物だ」と話す。
「あかい奈良」の編集長したことで人脈は今も生かされ多くの仕事の要請が入ってくる。
雑誌「あかい奈良」は広告が一切なく、編集も執筆も撮影もボランティアだった。考古学や民俗学の話題をはじめ、人物像、芸術、伝統的な行事、食べ物、文学にいたるまで、様々な角度から地元・奈良を紹介、多くの人に親しまれた。

「事務所」
編集の仕事は取材や打ち合わせで多くの人に会う。事務所を探していたとき、奈良きたまちの古民家が見つかった。手頃な家賃で借りることができた。また大家さんが「あかい奈良」を知っていたこともうれしかった。「踏花舎」と名付け、ここを拠点にまちづくりにも関わるようになった。

アトリエ「踏花舎」ホームページ

倉橋事務所の猫

「奈良を案内して」
<奈良を学ぶ―2009年>
初の案内講座を3回シリーズで開催、平城遷都1300年祭」に向けての企画だった。地域の情報雑誌で案内をした。東大寺の僧侶がコーディネートをしたその企画は「飛鳥」「東大寺と正倉院展」「大和野菜」について案内した。この企画が好評でカルチャーセンターでの仕事につながっていった。

<架け橋学習>
2010年より、「サンケイリビング」「読売文化センター」「NHK文化センター」、他多くのカルチャー講座で講師をつとめている。1回で1か所の案内を原則にしている。
倉橋みどりさんは「たくさん見学したいなら他の講座を受けた方がいい。奈良はじっくり見て、初めてその魅力が伝わるところが多い。好評なのは破石町にある『頭塔』『志賀直哉旧居』の見学も評判がいいです」と話す。
志賀直哉旧居では本を少し朗読する。景色を見ながらも当時を偲ぶことができる。大神神社が好評だった。
カルチヤ―教室は月に6回以上、たまには夫の父母も参加して楽しんでいる。
「普通の人生を歩んでこられた夫の両親だが私の活動を見守ってくれています。夫も元同僚なので私の仕事を理解し、応援してくれています」

「講演会から」
2014年5月17日、「名勝―依水園」(公益財団法人)で「まちの魅力・水門町から奈良きたまちへ」と題して講演があった。30人が参加、「水門町」一帯の歴史、史跡について話した。時間と足で調査した資料からの講演、分かりやすく、また水門町を深くもっと知りたい気持ちをさせるものだった。肩書は編集者というハードな仕事の内容に反して、語り口は優しく穏やかである。奈良きたまちのマップ地図と照らし合わせながら水門町をたどってい

倉橋講演会1

「水門町」の地名は吉城川の水門があったからといわれている。江戸時代になると水門村となり、東・西・南・北水門村と分かれていた。吉城川の豊富な水を使い、奈良晒が行われていた。奈良晒業者の清須美道清が財を成して別邸として作られたのが依水園である。
江戸時代は楽人の家も2軒あった。
水門町には多くの著名人が住んでいた。武者小路実篤、蒔絵師の吉田包春、写真家の入江泰吉が住んでいた。
また下水門橋の尼の妖怪の話、玄肪の肘塚弁財天に、戒壇堂前の「大界外相」ついて、「威徳井」は小野小町との関連を話した。現在の押上町自治会館前にある。「威徳井」と彫られた小さな井戸枠がある。この井戸は名水として知られ、その昔、小野小町が、この井戸を見て「したしきは同じ流れや汲みつらん おとどひの子やいとこいの水」と詠んだ。ということは吉城川と威徳井の水が兄弟のようであるという意味で「従兄弟井」が「威徳井」と解説した。

倉橋みどりの資料

依水園の歴史も話した。
明治32年(1899)、奈良の豪商、関藤次郎がこの地を継承し、東奥に広げて柳生・芳徳寺から移築された柳生堂、裏千家12代宗匠又妙斎が設計指導した茶室「清秀庵」などを点在させ、地泉回廊式庭園(後園)を作庭し、依水園と名付けた。昭和14年(1939)、関氏から神戸の貿易商、中村準策が譲り受けた。収集した美術品を展示する寧楽美術館を併設する場所として財団法人寧楽美術館を創設した。戦争を経て昭和33年(1958)から一般公開されて現代に至っている。

依水園入口

その他に奈良きたまちの町の様子も説明、きたまちは「喜びの多い町、喜多町」「いつか来たまち」「再び来たいまち」の3つの思いがこめられた通称である。高円山、若草山、春日山連山を仰ぎ見る町である。きたまちは時空を超える縦の旅が楽しめる町であると締めくくった。

「NPO法人 文化創造アルカ 現地講座」
亀井勝一郎が昭和初期から戦後の奈良の古寺について名著、「大和古寺風物誌」をひもときながらの案内です。
日 時:2014年6月22日(土)午後1時~
集合場所:近鉄奈良駅 噴水広場
案 内:倉橋みどり(文化創造アルカ理事長)
参加費:2500円(会費2000円)、当日支払い 先着20人
申し込み/問い合わせ: NPO法人 文化創造アルカ
    電話0742-22-9080
    FAX0742-22-9081
    〒630-8288奈良市東笹鉾町32
今後の予定:第2回・西ノ京(9月開催予定)、第3回・斑鳩(11月開催予定)、
      第4回・新薬師寺(2015年3月開催予定)

他にも催しを企画、ホームページを参考にして下さい。

NPO法人 文化創造アルカく。

依水園のホームページ

奈良きたまちの案内ホームページ

<写真説明>1、アトリエ「踏花舎」の縁側で昼寝していた猫2匹、緊張していた心がほぐれた。2、「依水園」で講演する倉橋みどりさん、2014年5月17日午後2時頃の撮影。3、講演会で配布された倉橋みどりさん手作りの資料の1つ、門町界隈の石碑など。4、「依水園の正面入口」、2014年5月17日午後1時頃の撮影。







[ 2014/05/29 05:00 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


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