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奈良おんな物語《38》「奈良を拠点に活動するフリー編集者・ライター、倉橋みどり」上:鄭容順

「プロフイル」
倉橋みどりさん(47歳)、1966年、山口県美袮市生まれ、山口県立山口女子大学国文学科卒業、近代文学・大宰治研究を専攻。現在は奈良市在住。大学卒業後、大阪府堺市の会社に就職、編集の仕事に就いた。結婚を機に奈良に引越し、1999年からフリーに。奈良での仕事が増えていく。

奈良の季刊誌「あかい奈良」にライターとして参加、後に編集長になる。奈良県内をかけまわった取材活動、やがて「あかい奈良」は休刊になるが取材で繋がった人の縁が現在の仕事につながっている。項目に応じて活動を紹介していく。NPO法人 文化創造アルカ理事長。

倉橋―顔写真


倉橋事務所でピクセル加工

「書くということ」
倉橋みどりさんは書くという仕事についたのは「母親との影響が大きいです。母は新聞などによく投稿していました。母の書く様子や新聞社会、大学の先生と会っていることなど見て育ちました」と話す。

「将来は」
書くことが職業になるとは思っていなかった。学校の教師になるか公務員になるという将来像だった。両親も編集や書くことは趣味の世界、書くことで収入になる仕事をするとは思っていなかった。

「大学を卒業して」
1990年に大学を卒業、山口県の大学を卒業して、毎日新聞の関連企業に就職、本社は大阪府堺市にあった。部署は、クリエイティ、ブセンター。住居はレディスハイツ、建物は夜の仕事をする人が多くおられたが女性だけの住居で安心して住める所だった。
1994年、勤務している会社が西梅田の毎日新聞ビルに移転、堺市から西梅田に通勤をした。
書くという仕事に就くことができて大変うれしい気持ちになっていた。入社してすぐに上司のいった言葉が忘れられない。
「仕事で書くということはお金をもらい、クライアントの思いを汲むことだと肝に命じて仕事をして下さい」と。
田舎から出てきた大学を卒業したばかりの23歳の女性、この言葉は今も役立っています。文章を書く仕事、編集するのに相手の気持ちを大切にしないといけないことを叩き込まれました。」と、倉橋みどりさんは話す。
この会社で多くのことを学んだ。
文章を書くだけでなく写真撮影のアシスタントもよくやった。
例えば撮影用のリンゴの買い物を頼まれ1個だけ買ってきた。カメラマンはいくつか買ってきて、選べるようにするのがプロの仕事だと教えられた。

<写真説明>1、倉橋みどりさんの正面からの笑顔。2、事務所で応対する倉橋みどりさん、古民家の優しさが倉橋さんにも出ている。




[ 2014/05/27 05:00 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


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