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奈良おんな物語《37》「奈良のママが仕事をつくる会(ナラマーシカ)代表―井上京子」上:鄭容順

「プロフィル」
井上京子さん(42歳)は「奈良のママが仕事をつくる会」の代表として何かをしたい女性の声と意欲を集めて子育てをしながら活動している。「奈良のママ が仕事をつくる会」の名称が長いことから略して「ナラマーシカ」にした。奈良、ママ、仕事を作る会をつなげて簡単にした言葉だ。



井上京子1

奈良市内で生まれて結婚して大和郡山市に在住、結婚して子供ができるまで東大阪市の会社、キッチンメーカーのショールームに勤務していた。ずっと働く主婦を想像していたが子供ができると専業主婦になっていた。長女、次女と3人の子育ての間は長く感じた。社会参加をしないといけない気持ちは次女が生れた年に思い放送大学で13年間学んだ。
仕事の経験を生かして子育てと両立できる仕事を探すが就業時間との兼ね合いで仕事に就くのは困難だった。
「同じ思いを持つママたちと力を合わせて自分たちで仕事を作りだそう」
この思いが外に向けての井上京子さんの活動になった。

「専業主婦に思う」
井上京子さんは専業主婦になりたくない。「子育ての間の専業主婦はとてもしんどった」と。「家族のために自分のやりたいことが何もできなかったとはいいたくない。私の母の時代は結婚すると男性は働き女性は家庭を守る専業主婦というのがほとんどだった。母親は戦後の教育を受けた人なので『男女平等』といいながらも従来からの生活習慣も多くあった。封建的な構造からなかなか抜け出せなかった。いつも何かをしたいといいながら何もできずにいました。そんな母親を見て育った影響もあるのか積極的に外に向かっていました。

「活動の開始」
井上京子さんは最初、ひとりで活動を開始しインターネットのツイッターでよびかけた。「子連れでできる異業種交流会を奈良で
私と一緒に活動しませんか」と書き込んで呼びかけです。そうすると1人が答えてくれた。またチラシも配付した。喫茶店にも配布した。そしたら人のつながりができた。喫茶店のマスターが「ここで活動したら」といってくれた。2人きりの活動だったが初回の会合は10名の参加があり盛りあがった 。

「活動の広がり」
2人の活動から始めたのが奈良市学園前の教室で講座を開講した。場所を提供してもらったが企画は井上京子さんら2人が考えた。講師も講座内容も決めた。
講座内容は「働きたいママの応援講座」、2012年4月、フエスブックで発信した。そして異業種交流会となった。このとき同じ気持ちを持つ子育て真っ只中のママ、30代から40代の女性たち約20人が集まった。
そこに目を留めて下さった企業があった。

会合1-井上京子3

京都府木津川市にある「京都サッス」の会社の社長だった。
「家庭で一緒に料理したくなるキッチンの共同開発、企業と共同開発は2012年5月、「家族皆が集まるキッチン」をテーマーに掲げて約15回の打ち合わせを重ねた。ひと目で何があるのかわかる収納、子どもが使う踏み台の収納スペース、複数人でも使いやすい2つのシンクと 4口のガスコンロを採用した。にした。共同開発を一緒にした会社社長は「普通の主婦から出てくる意見には職人が気付かない発見がたくさんありました」と話した。
井上京子さんは「とても使いやすいキッチンを作りました」と話す。
キッチン開発に取り組み少し活動が軌道に乗せた井上京子さん。
「子どもの母親というのでなく自分自身が主体的に関わることができる仕事は生きがいにつながるのです」

<写真説明>1、2014年2月7日、「奈良のママが仕事をつくる会」の事務所で話す井上京子さん。2、会員が集まって話し合う作業をする会合の写真(奈良のママが仕事をつくる会)が写真を提供。

[ 2014/04/29 05:00 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


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