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奈良おんな物語《36》「万葉の花研究家・万葉花寧豊会主宰―片岡寧豊」下:鄭容順

「対談1」
『きものWORLD』が主催した「きもの対談」は2001年新世紀・特別号の本誌で掲載されたもの。片岡寧豊・植野真知子先生(友禅作家)の対談は「京都・丹後の古代米と奈良・万葉の花との出会い」から、丹後のかかわりに、「丹後の弥栄(やさか)町にいらっしゃる郷土史家の芦田行雄さんとの関係については町おこしで赤米を栽培、その試食会をするために奈良へ来られたのがきっかけでした。


奈良の平城京跡から出土した木簡に弥栄町の地名が入っていて、丹後の地から奈良の都へ赤米が税として献上されたことが木管の文字から判読されています。
「赤米というご縁で丹後にも何度か寄せていただいております。赤米はもちろんですが稲は万葉集にも歌われているということもあり非常に興味を持ちました。丹後では芦田さんのお誘いを受け、赤米の田を見せて頂き試食もさせてもらいました。
その後、赤米の稲穂を見たくて奈良から大勢で丹後へやって参りました。そのときテレビ局のリポーターをさせていただきました。また、万葉植物の講演を丹後でして下さいというお話があり、毎年、夏にお伺いするようになりました」
対談記事は3ページにも及ぶので記事の出だしだけ紹介、「独自の視点で創造」というタイトルから対談が始まる。「赤米が縁で丹後と交流」「赤米できもの制作」「ユニークな絵を創作」「遊び心を大切に」「古代米の稲穂を生かす」「新しい発想で生け花」などについての対談だった。



「対談2」
片岡寧豊・菊原初子先生(地歌人間国宝)の対談では「日本の古典芸能の一つである琴(筝曲)は奈良時代に伝えられた。日本最古の歌集である万葉集も同じ時代に編まれ、いずれも今日に受け継がれている。
筝曲、地歌の第一人者、人間国宝の菊原初子先生の白寿を祝う記念演奏会が1997年1月18日、大阪フエステイバルホールで開催されるのを機会に対談させていただいた。題して「心の真髄を学ぶ―この道一筋」(きものWORLD1996年秋・冬号)。
「菊原初子人間国宝に筝曲、地歌について聞く」「音色が肝心」「菊原家に伝わる組歌を楽譜に」「季節感を大切に」などの対談となった。一言一言に奥深いものがあり貴重なお話を聞かせて頂き、感動したことが今なお思い出す。

これまで多くの著書を出版、『やまと花萬葉』(東方出版1992/4・初版から第14刷)、『万葉の花をいける』(保育社1993/3)、『野の花をいける』(保育社1997/4・初版から重版)、『万葉の花』(青幻舎2010/3・初版から第3刷)、『やまと花万葉・新装版』(東方出版2010/4・初版から第2刷)、『大和路の花万葉』(奈良中央郵便局)、『日本列島花マップ(大阪・京都・奈良』『日本列島花マップミニ』『花の旅サクラ』共著(北隆館)、月刊『煎茶道』連載中。
著書の『やまと花萬葉』(東方出版)、『やまと花万葉・新装版』(東方出版)、『万葉の花』(青幻舎)は、いずれも「日本図書館協会選定図書」に選ばれている。
『やまと花万葉・新装版」は「万葉集の和歌の英文、植物152点、春日大社万葉植物園地図付き、花と歌の情報が豊富、美しい写真、分りやすい万葉植物事典」として好評を得ている。

片岡著書2

片岡著書1

かたくりの花-片岡

〔近江妙連〕
近江妙連と名づけられた蓮の花びらは何と5000枚もある。この花びらが5000枚もある蓮にまつわる体験談をNHK『ラジオ深夜便』に出演依頼があった時、4話の中の一つとして話したことがある。
4日間連続で4つの話を準備した中には、もちろん春日大社万葉植物園の見応えのある万葉の花も紹介している。しかし、最も反響を呼び、放送後に問い合わせが多かったのが近江妙蓮の話だった。
じつは、京都新聞の蓮の記事の中にわずか1行だったその文字を読んでびっくり。蓮の花びらが5000枚と書かれていたことだが、どうしても信じられなくて、真実を確かめたい一心で守山市の田中という地名だけを頼りに、新聞記事を握りしめて、とにかく車を走らせて守山市へ向かった、まだ見たこともない蓮だ、半信半疑の思いのまま、しかも初めて訪れる守山市へ行った時の話を語ったのだ。行くにあたっては心細い思いを打ち明けて、友人のカメラマンに同行を頼んだ。内心、もしも、その蓮にめぐり逢えたら写真に収めて欲しい思いがあったのだが、けんもほろろ、あっさりと断られた。まさか5000枚もの花びらがある蓮なんて、そんなのあるわけがない、の一言だった。やっぱりその数は印刷ミスではないのか?とも疑ってはみたが、やっぱり自分1人でも行かなくては、と強い気持ちが湧いた。結局一人で出かける羽目になってしまった。

三郷町教室1

三郷町教室2

南華会生け花

守山市田中町のバス停で通りがかりの人に聞いてみたら、知らないと首をかしげた。最初、お寺があって池があり、そこに蓮が咲いているのかもしれない、と思い巡らせていたが、そのような景観はなかった。ここまで頑張って来たのだから引き返すわけにはいかない、それなら、と飛び込んだ家が田中さんだったが、角の田中さんを訪ねるように教えてもらったものの、気がつくと辺り皆、田中さんの表札がかかっていた。訪ねて訪ねてやっと『近江妙連』を少し育てていて鍵を預かっているという田中家を見つけた。周辺は新興住宅が押し迫っていた。その一角に、フエンスで囲った長方形の昔懐かしいプールのような所に旺盛な蓮の葉がちらっと見えた。もしや、とドキドキした。フェンスの扉を鍵を回しながら開けてくれた。色々と質問をし始めたがとても親切に対応してくれた。嬉しかった。田中さんの説明によると蕾は普通のように見えるが、花が徐々に開くと閉じることはなく、最後まで開ききり、しまいに茶色に枯れてしまうのだそうだ。大賀蓮で有名な蓮博士の大賀一郎博士が田中さんの家に逗留して、花びらを3000枚から5000枚あることを確認していた。研究された書き物が残っている。八重咲きの蓮が1本の花柄の先に3~数個つけるので、花びらが5000枚近くあるのだと説明してくれた。八重咲きのため種子はできない。根で増える。翌年、カメラマンと再度訪ねた。NHKラジオ深夜便はその後に放送したわけだが、折しも放送があった翌年から、近江妙蓮公園が完成し、さっそく田中さんにもお会いする機会に恵まれて、講座の受講生とも何度か訪れるなど、珍しい蓮、驚かされた蓮、の成育を見守っている。7月下旬が見ごろとみているが、8月初旬ももちろん開花している。5000枚の蓮の花びらをいつか数えてみたいと密かに願っている昨今だ。見学するたびに感動している。放送されてから今では相当時間が経過しているが、この時にラジオ深夜便で4回も出演させて貰ったその話を聞いてくれていた方々が何人か身近におられて、蓮を観るたびに思い出してくれる。花が取り持つ縁が何より幸せ、と感じている。
ホームページ---近江妙連と大賀ハス 近江妙連と大賀ハス

近江妙連-片岡提供

「『近江妙蓮』資料から」
近江妙連の花は八重化して1本の茎に花びらが数千枚もつく。いったん開花しはじめるとそれらは閉じることなく開き続け外側の花弁を少しずつ散らしながら2週間咲き続ける。散りきることはなく最後は立ち枯れをしていく。
雄しべも雌しべもないために実をつけることはない。地下茎で増えるしかない消極的な繁殖戦略、なんともユニークな花を愛でる人間のおかしな趣味によってかろうじて生存してきた。伝説では1000年以上前、正確な記録では600年以上前に中国から日本に伝わり咲き続けてきた。
日本に伝わったのは14世紀頃といわれている。妙蓮を献上された足利義満、当時の近江守護職の佐々木六角満高に育成するように命じた。満高は田中左衛門尉頼久にこれを下命し、以後、600年も守り育ててきた田中家だった。
1956年(昭和31年)世界的な蓮学者、大賀一郎博士に近江妙蓮の復興を依頼、博士の研究によると金沢の加賀妙蓮の蓮根がこの地に再移植された。
1963年(昭和38年)、68年ぶりに近江妙蓮が開花した。1つの中に蕾が2つ以上、内包されて双頭蓮、多頭蓮となる。
近江妙蓮の仲間、国内では金沢の加賀妙蓮、府中の武蔵野妙蓮などごく少数地しか見られない。
1965年(昭和40年)近江妙蓮と大日池が滋賀県天然記念物に指定、1975年(昭和60年)近江妙蓮が守山市花に制定された。
「近江妙蓮公園」などの案内は「広報もりやま」のホームページを参照

片岡修正1

片岡修正2

片岡修正3

「白毫寺志貴親王御忌」ご参詣下さい。
□毎年、9月の敬老の日に白毫寺において「志貴親王御忌」が営まれる。献華と献曲(琴演奏)、唄は岩島佳子さんが「白毫寺の歌」を熱唱。30年間ずっと連続でご奉仕活動をされている。萩の寺で親しまれている白毫寺にちなみ、献華は萩(紅白の対)とススキ、そして椿と決めている。法要が滞りなく終わる
と、参詣者のご希望の方と共に高円山の向こうの田原の里にある田原西陵(春日宮陵=志貴皇子の御陵)へ墓参。皆様の御参詣をお待ちしております。
(白毫寺 電話(0742-26-3392)

片岡-銀杏や

「筆者の言葉」
このたびの原稿は片岡寧豊さんから聞いた話をそのままの言葉を出して原稿にした。そして片岡寧豊さんが多くの資料を提供して下さり書き手は大変助かった。それでも見解のためにインターネットから資料を検索、片岡寧豊さんが語る言葉の端々にあったのでそのままの言葉にした。
筆者は片岡寧豊さんとお会いしたのは雑誌社「月刊奈良」編集局に勤務していたころの1987年の春です。万葉花を取り入れて生花をする片岡寧豊さんを取材した。そのときの印象だが筆者の方が大変せつなくなるほど寂しい顔をしておられた。そして片岡寧豊さんから直接に聞いたのは夫の突然の逝去だった。片岡寧豊さんの活動は幅広い。奈良市と慶州市は姉妹締結をしている。片岡寧豊さんは姉妹締結の交流で慶州市に訪問して交流活動をしていた。そんな縁もあって民団奈良県地方本部会館にあって韓国語教室の韓国政府派遣教師を訪問されていた。たまたま筆者は1987年4月から韓国語教室で韓国語を習いだしたところだった。筆者の名前を韓国語教師に話されたのだろうか。
韓国語教師は「片岡寧豊さんが訪問されましたよ。何か寂しい顔が印象に残っています」といわれた。筆者はありのままに「夫をなくされたところです」と話した。
それからどこかであっていても言葉を交わすことなく26年の歳月が流れた。
活躍の様子は新聞記事や人づてに聞いていた。何かしら片岡寧豊さんのことは脳裏から離れていなかった。いつか機会があれば「奈良おんな物語」で取材したいと思っていた。多忙とは人づてに聞いていたのでいきなりの電話要請には気を使い、メールアドレスを探した。インターネットで検索すると片岡寧豊さんに関する事柄はたくさん検索できたが肝心のアドレスがみつからない。たまたま見つけたところ、古都飛鳥財団で講演活動をしておられたことが目に入った。古都飛鳥財団は取材で訪問して連絡や原稿の校正をメールでやりとりしたことがあった。気がついたのはたまたま昨年の年末、押し詰まった暮だった。「片岡寧豊さんのアドレスを教えて下さい」とメールで連絡を要請した。
年が明けて片岡寧豊さんからメールが届いた。古都飛鳥財団はきちんと連絡をしてくれていた。心からありがたいと感謝していた。
片岡寧豊さんと今年の1月31日、片岡寧豊さんが指導する琴教室のあるアトリエで再会した。26年ぶりにお会いする片岡寧豊さん。とても明るく強く生きてこられたことに涙がでるほどうれしかった。
筆者は「元気でよかった」と何度もいった。26年の歳月、悲しみも嬉しさも幾つも幾つも乗越えてこられた。片岡寧豊さんの存在をさらに大きくしていた。
好きな花と奈良に住んで万葉花と出会い、時代の流れの中で万葉集と花を取り入れたその企画力は亡くなった夫が天国で支えているように思えてきた。明るくなった片岡寧豊さんに再会できて本当によかった。「奈良おんな物語」の1人としてご協力して頂いたことにとても感動し心から感謝している。
「花」を愛でる人は人を優しくしていて凛とした強さも作っていく。花心は花と会話をする人に活ける人にチャンスと息吹を与えていく。そんなことを身近にみるようだった。片岡寧豊さんの娘さん2人、幼い頃に父親を亡くしたのに手塩にかけて大事に育てられた。見えないご苦労がたくさんあったのに娘さん2人は社会人として大活躍しておられる。
わが息子と同じ小学校、奈良市立都跡小学校だが息子よりかなり後輩なので重なって通学していないようだ。けれど息子が通った小学校近くに住んでいる片岡寧豊さん。筆者の若かりし頃と唐招提寺、薬師寺周辺の知人、友人の顔も重なってくる。
片岡寧豊さんは「こどものお弁当は朝早く起きて作りました。親子が支えあって生きてきて今も互いに助けて助けられています」と話す言葉に片岡寧豊さんと同じ年の筆者とはまた違う人生に心の中で拍手を送っていた。
今後もさらにご活躍を期待、1つのことに夢中になるとその探究心で勉強に繋がっていく。思い立ったら車を飛ばして行動している片岡寧豊さん。奈良県・奈良市では万葉の花は片岡寧豊さんといわれている。多忙な時間の中、2回も時間を作って下さったことに心から感謝をしている。本人の努力と奈良という地の利、万葉集でまた1人の女性をたくましく生きる道を作った奈良にまた改めて大切さを思っている。

<写真説明>1著書「万葉の花」2010年3月20日、青幻舎発行。2著書「やまと花万葉」2010年4月28日、東方出版発行。3かたくりの花。4・5奈良県三郷町文化センターでの講演会「万葉の花に寄せて」、講演会場と着物はかたくりの花柄、講演の前に生け花をするが会場から質問が出されて草花にも関心が高まった。6南都華香会書作展で生け花を添えた。7・8・9今年も近鉄百貨店奈良で開かれた「第12回南都華香会書作展」に生け花を添えた。1奈良市内の喫茶店銀杏やで2月13日2回目の取材、電子辞書で文字を検索している片岡寧豊さん。追加写真、近江妙連の咲いたところ、2012年7月30日・8月3日の2回、カルチャーの現地講座での観察時に片岡寧豊さんが撮影したもの。






[ 2014/04/11 05:00 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


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