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夜間中学その日その日 (340)   守口夜間中学 白井善吾

岩井好子さんを偲ぶ会が奈良で開催された。2014年1月25日の大阪の会は日教組教育研究全国集会に出席していたので参加できなかった。2月15日も同じ時間帯で、日韓識字文解交流実行委員会が開催され、3月韓国を訪問する訪問団の学習会が開催されていたが、掛け持ちで参加させていただいた。

大阪の雪はほとんど解けていたが、生駒トンネルを出ると雪国であった。参加できない人たちがいらっしゃるだろうと思いながら会場につくと、そうではなかった。私が予想した参加者の層ではなく、うどん学校の学習者、スタッフ、正強高校、ジャーナリストなど夜間中学を縁の下から支えた方々の参加があった。

偲ぶ会では私は「夜間中学と川瀬記者」と題する岩井好子さんの一文を紹介した。川瀬俊治著『奈良からの報告・夜間中学設立運動』(たいまつ社1978年12月10日発行)は夜間中学運動を記した、夜間中学の基本的文献になっている出版物だ。この本の推薦の文として岩井さんが寄せられた文章だ。

「聞きまひょう、夜間中学ってナンデッカ」私が持って行ったたくさんの資料を、ぱらぱら繰っていた川瀬記者は座りなおした。現在の教育の矛盾が全部集まったような夜間中学問題を私がしゃべると、川瀬さんの、体に似合わない神経質な手が紙面を走った。それから2年半、川瀬さんは常に夜間中学の側にいた。そして彼は「うどん学校」私設奈良夜間中学の教師の一員となっていた。生徒を見つめ、教師たちを支えてくれていた。彼は常に「ほれなかけまへんなァ…」その言葉とは裏腹にその記事は正確だった。公立夜間中学が奈良に開校された裏に、ペンで夜間中学問題を奈良県民に正しく伝えてくれた川瀬俊治記者がいたのだ。
在日朝鮮人問題、学習塾問題を連載していた彼が、「夜間中学設立運動」をまとめてくれた。彼は彼の生命である「書く」ことによって夜間中学生に答えてくれたのだ。今後、この書で十分ふれられなかった国家や文化の問題にまでそのペンが進むこと、祈ってやまない。(奈良に夜間中学をつくり育てる会事務局長/大阪市立天王寺夜間中学教諭)」

1977年12月6日、「公立夜間中学を1978年4月から開校する」と奈良市は発表した。記事を書き終え、岩井さんに川瀬記者が電話をした。公立化決定のニュースはその時は知らなかったそうだ。
この時のことを川瀬さんは次のように書いている。
「『やった。やった』と電話で開口一番彼女はこういった。そして『本当に信じていいの。信じられへんわ。信じられへんわ』とくりかえした」。 

1972年、吹田で夜間中学開設運動にかかわるようになって以来、岩井好子さんと知己を得ることになったが、夜間中学生の言葉から夜間中学生一人一人の抱えている課題に想いをし、その解決のために奔走されていたことが浮かんできた。夜間中学運動全国交流集会、識字年推進大阪連絡会、麦豆教室でと話し合ったことが想い出される。

この後、興奮冷めやらない状態で駆けつけた日韓識字文解交流実行委員会では偲ぶ会のこと報告、夜間中学の主役は夜間中学生。天王寺夜間中学″閉鎖〝の動きを止めることができるのは夜間中学生にかかっている。どのように進めるか、韓国の識字教室で学ぶ学習者の交流を通して学びとっていただきたいと話していた。
[ 2014/02/16 11:12 ] 夜間中学・白井 | TB(-) | CM(-)


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