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夜間中学その日その日 (331)   拳編集委員会

守口夜間中学40年のあゆみ ①
大阪の夜間中学は1969年に公認された岸城夜間中学(岸和田市)、天王寺夜間中学を始めとして天満、殿馬場、八尾、長栄、文の里、そして守口と相次いで開設40周年を迎えた。この後、豊中(1975年)、昭和(1976年)、東生野(1997年)、太平寺(2001年)と続く。


夜間中学がどのように生まれ、どんな歩みをしてきたのか、夜間中学にたどり着いた後輩に先輩が伝えていくこのとりくみは重要性を増してきている。守口夜間中学では40周年記念の集いで、映像を投影しながら、夜間中学生が解説を行い夜間中学のあゆみを発表した。2回に分けて紹介する。

① 皆さん、夜間中学がどのように始まったかご存知ですか?
敗戦後、混乱の中でたくさんの学校に行けない子どもが出ました。そこで、昼の中学校の先生達が、その子ども達の学習の場として、1947年大阪で夕間学級を始めました。それがもととなり、夜間中学ができていきました。
しかし、1966年 当時の行政管理庁は、「夜間中学は、法律上認められていない。なるべく早く廃止するように」という夜間中学早期廃止勧告を出しました。

②この勧告に、私達の先輩である髙野雅夫さんをはじめ、夜間中学関係者は「まだまだ夜間中学を必要としている人がいるはずだ」と考え、髙野さんは、ビラ300万枚と仲間と作った証言映画『夜間中学生』を持って、1968年大阪に来ました。その呼びかけに夜間中学入学希望者が集まり、1969年天王寺夜間中学ができました。
1971年、髙野さんが守口市教職員組合で夜間中学の必要性を訴えた事がきっかけになり、守口夜間中学の開設に向けて、先生達の組合が立ち上がり、市長に訴えました。
一方、当時の守口市から天王寺や菅南夜間中学に通っていた生徒は、守口に夜間中学を作って欲しいと声をあげました。
その結果、当時の木崎市長が「よっしゃ、守口夜間中学、これやりましょう。私は、家庭的、社会的、何らかの事由によって、義務教育の修了を断念しなければならなかった方々のうち、勉学の意欲に燃える人たちのために、第三中学校にて夜間中学校を開設。教育の場を醸成したい考えであります」と議会で所信表明し、守口夜間中学開設へと動き出したのです。
戦争や社会的な理由で義務教育を断念しなければならなかった人たちの学びを、個人の責任にするのではなく、学ぶ権利を保障するために、色んな人たちが頑張った成果だと言えます。入学手続きを終えた23名の入学者と、開設に関わった人たちの熱い思いに支えられて1973年4月25日守口夜間中学開校。入学式を迎えました。
③1974年 生徒数は40名に増え、生徒一人一人の状況に応じて学びの内容や卒業時期を考えていけるよう学校も守口市も工夫していきました。その頃の、天橋立での臨海学舎と新入生歓迎集会の様子です。

④1975年3月、第一回卒業式が行われ当時の木崎市長も参加しました。

⑤1990年 生徒数は160名になりました。守口だけでなく、大阪の夜間中学全体の生徒数が増え、夜間中学増設の運動が高まっていきました。そんな中、国際識字年記念の取り組みの一つとして、第1回よみかきこうりゅうかいが行われました。
夜間中学も積極的に参加し、識字・読み書き教室や、さまざまな団体と力を合わせ、夜間中学増設にむけて頑張りました。

⑥1991年 生徒会連合会が夜間中学増設要求の決起集会を開き、署名運動をしました。その運動が実り、1997年には東生野設立。2001年には太平寺が独立しました。
⑦1993年 生徒数216名。開設20周年を迎えました。当時の募集活動や守口三中の運動場であった連合運動会の様子です。

⑧1994年 大阪府教育委員会が在籍年数・入学時期・入学条件・出席日数に関する4項目を示しました。
在籍年数を制限されたことに納得できない守口の夜間中学生は、「もっと学びたい」と卒業後の学びの場を要求しました。
その結果、1997年「守口市成人基礎学習講座 あけぼの教室」ができたのです。
「あけぼの教室」は先輩たちの「納得するまで学びたい」という強い思いと、夜間中学を支えてくれた多くの方達の支援によってできた貴重な場です。

⑨2002年以来、守口では韓国との交流にも積極的に参加してきました。 韓国を訪問し、安養市民大学の皆さんと、識字交流をしました。

⑩2003年 開設30周年を迎えました。この年の生徒数は、217名。
生徒会活動を記録した『昔の自分がうそみたい 学校は不思議な所』を発行しました。

⑪2004年 第56回全国人権・同和教育研究大会が大阪でありました。
守口の公開授業に参加した島根県の先生が「夜間中学生と島根の子どもたちを是非出会わせたい」と思い、島根県から修学旅行で守口夜間中学を訪れ、交流が実現したと聞いています。今年も横田中学と小野中学校が来てくれました。
またこの年には『不思議な力 夜間中学』を出版しました。先輩たちの人生や思いを綴った作文が載っています。

⑫2005年 髙野雅夫さんが来校。対話集会をもちました。
 
⑬2006年 在日韓国人生徒が、夜間中学生の仲間の助けにより、沖縄で戦死した兄の名を「平和の礎」に刻むまでがテレビ放映されました。
戦争が、夜間中学生にとって決して忘れることができない出来事であることを、改めて思い知らされました。また「守口市成人基礎学習講座 あけぼの教室」は10周年を迎えました。(つづく)

[ 2014/01/09 09:49 ] 夜間中学・白井 | TB(-) | CM(-)


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