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夜間中学その日その日 (330)   守口夜間中学 白井善吾

2014年 夜間中学の学びが問われる! 闘いの年!!
大阪の夜間中学は1969年に公認された岸城夜間中学(岸和田市)、天王寺夜間中学を始めとして天満、殿馬場、八尾、長栄、文の里、そして守口と相次いで開設40周年を迎えた。この後、豊中(1975年)、昭和(1976年)、東生野(1997年)、太平寺(2001年)と続く。


大阪における夜間中学開設運動は1968年10月11日、東京の夜間中学卒業生、髙野雅夫さんが映画「夜間中学生」と文集『ぼくら夜間中学生』を担いで大阪に降り立った時に始まった。
1969年6月5日天王寺夜間中学第1回入学式を迎えるまでの214日の闘いは髙野雅夫さんが『ルンプロ元年 자립』や『夜間中学生 タカノマサオ』(解放出版)に詳しく記述している。
1966年11月29日行政管理庁(当時)が出した夜間中学校早期廃止勧告を夜間中学の死刑宣言だと捉えた髙野雅夫さんは敢然と立ちあがった。この運動を支えた理念は、義務教育未修了者の恵まれない人々を救うという慈恵的な考え方ではなく、憲法で規定されている学習権を保障するのだという権利思想に裏打ちされたものであった。多くの市民や組織が共感した開設運動の結果が天王寺夜間中学開校に結びつくエネルギーとなった。
入学式の日、髙野雅夫さんは次のような挨拶をおこなった。
「7年前、21歳で生まれて初めて夜間中学校に入学し、生まれて初めて差別のない社会を知った。その時の感激は皆さんと同じで泪が止まらなかったことを今でも忘れられない。しかし憲法や教育基本法で全ての人たちに義務教育の権利を保障していることを知ったとき、感激が怒りに変わった。自分だけが卒業したらいいという考えは120万人以上の義務教育を終わっていない仲間たちを差別したことになる。なぜならば差別されているのは俺たちだけではないからだ。ここ大阪の被差別部落や在日朝鮮人、釜ヶ崎、沖縄スラムなど、もし俺たちがその仲間たちに何もしなかったら、俺たちはその仲間たちを差別したことになるんだ。『おまえは部落や。朝鮮や』と言っただけが差別ではなく、そういう現実を知らないということも差別だし、知っていて、何もしないということこそ大きな差別なんだ。大阪での俺の任務は終わった。これからは君たち夜間中学生の任務だ。大阪の夜間中学生の歴史を日本の歴史を創っていってほしい。君たち自身の心と足と手で。日本中に差別になく仲間が独りでもいる限り、俺はまたてくてくと歩き続けます。俺たちにとって文字やコトバは知識じゃない。生きるためのたたかうための武器なのだ。本当の意味で夜間中学なんか必要としない社会を俺たち自身の力で怒りで創ろうではないか」
2013年12月9日大阪市教育委員会は「大阪市立天王寺中学校夜間学級について」とする文書を配った。近畿夜間中学校生徒会連合会役員代表者会で夜間中学生はこの文書について次のように指摘した。
「こんな無責任な文書、突っ返すべきだ」「弱いものを助けるのが行政でしょ!その行政が弱い者いじめをする!許せない!」「要望書を出そう」「私たちの力を合わせて要望をしていこう」「早くやろう。ぐずぐずしていたらあかん」。
2014年は夜間中学の学びが問われる闘いの年になる。
改めて、入学式の日、髙野雅夫さんの挨拶を読み返した。現実はまだ「本当の意味で夜間中学なんか必要としない社会」にはなっていない。
1964年3月18日、この日髙野雅夫さんは東京荒川九中夜間中学を卒業した。今年で卒業満50年を迎える。半世紀にわたって夜間中学運動を実践している。
夜間中学生、卒業生、教職員は団結して起ち上がろう!
[ 2014/01/02 14:29 ] 夜間中学・白井 | TB(-) | CM(-)


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