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ことしの一推し 憲法原理は変えられない しんぶん赤旗「山内敏弘一橋大学名誉教授に聞く」:常本 一

今年は特に憲法が問われた一年。改憲、護憲、96条改定先行論、解釈改憲などなど、実にかまびすしい。しかしそのなかで、意外な論点が見落とされているのかもしれないと、ある新聞のインタビュー記事を読んでいて気づいた。そこで書籍ではないものの、ここで取り上げることをお許し願いたい。

「安倍首相は徳川家康公のようになられた」―。最近こんなことを言う人がいて一驚したが、実は安倍首相が憲法9条を変えたいがため、次々と「外濠」を埋めだしたさまを皮肉ったもの。なるほど特定秘密保護法にしろ、教育委員会制度の改変案にしろ、「本丸」の9条をうかがう首相の意欲は、歴史に名を残そうとしているかのようである。
 とりわけ96条改定先行論には開いた口がふさがらなかった。「憲法を変えるため改憲の手続きを定めた96条をまず変えよう!」って、「96条も憲法やん!」と、思わず突っ込みを入れたのは筆者だけだろうか。
 とはいうものの、笑ってばかりはいられない。その余りのコソクな手に評判が悪くなり引っ込めたようだが、それをめぐる喧騒によって改憲のプロセスばかりに目がいき、肝心の改憲の内容については議論が深まっているとは思えない節がある。(自民党案が9条の1項についてはほとんど変えないとの作戦も奏功しているのかもしれない)
 改憲の内容について真摯な議論がなされている場合でも、「改憲の範囲には限界がある」ことを前提として語られているような文脈にはなかなか出会わない。しかし、実は、憲法は正式な手続きを踏んだとしても、どこまでも変えられるものではないのである。
 今年7月1日付しんぶん赤旗の学問・文化欄において、山内名誉教授は語る。「…現行96条の改正手続きをもってしても日本国憲法の基本原理に反する改正はできませんよと、前文はうたっているのです」
 学校で習ったように、日本国憲法の精神には3つの憲法原理、すなわち国民主権、平和主義、人権尊重が存在する。それをうたっているのが前文であり、平和主義に限っていえば、それを明確に記している部分が「…政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し…」である。
 そして、その前段に続き、山内名誉教授が指摘するように、「…この憲法は、かかる原理(3つの原理)に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」とある。筆者には目からウロコであった。漫然と前文を読んでいた自分が恥ずかしい。
 では、現行の自民党9条改定案は、憲法原理である平和主義に反しているのだろうか。自民党案を見てみると、9条2項を削除し、国防軍の保持と制約のない自衛権を明記している。そして安倍内閣は、「積極的平和主義」の美名の下に、アメリカとともに第三国で生じた紛争にも介入する勢いなのである。これでは平和主義に反するとされても仕方がない。
「いや、世界の憲兵アメリカと組んで起こす戦争は、戦争ではなくて警察行為だ」との強弁もあるかもしれない。しかし、「警察行為」でも死者は生じる。我々日本人には決して忘れてはいけないことがある。あの悲惨な戦争を経験し、「もう一人の日本人も殺されたくないし、もう一人の外国の人も殺したくない」と固く誓った事実。憲法9条の下で戦後それを実現してきたのは、我々日本国民の誇りなのではないだろうか。子々孫々と継承すべき誇りなのではないだろうか。
最後にもう一度確認しておきたい。96条による正式な手続きをもってしても、9条を現行の自民党案に変えることは憲法上、不可能なのである。
(山内敏弘さんは96条の会の発起人となったり、多数の講演をこなすなどアクティブな憲法学者。近著:『改憲問題と立憲平和主義』敬文堂 3500円)
 

[ 2013/12/25 16:15 ] 常本一 | TB(-) | CM(-)


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