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特定秘密保護法は「罪刑法定主義」の否定:川瀬俊治

 特定秘密保護法への世論の反対が6割をこえると出た(朝日新聞)。問題はこの法律は近代社会の法体系のもっとも基礎にあるものを否定する危険性をもつ。

 それは罪刑法定主義だ。罪が定まるから刑罰が規定されるというものだ。その罪と刑罰が対をなしていない場合は、その法に規定する刑罰を科せられない。当然だ。

 監禁罪の刑罰規定をはるかにこえる事件がおきた。10年以上も前だが、新潟県で起きた事件だ。

 近所の小学生を10年以上を監禁していた男性がいた。監禁罪の規定はせいぜい1年も満たない。それが10年以上だから監禁罪での刑罰では最高刑を科しても犯罪の残虐性を正すことができない。そこでどのような判断をされたか詳細は知らないが、以降、たしか監禁罪の刑罰が重く規定されたと思う。

 また耐震偽装での犯罪もそうだ。建築基準法では設計図の偽装をそんなに重罪化していなかった。ところが一級建築士が耐震偽装で安価なマンション販売に協力したというのだ。このことでマンションを購入した人は偽装のこの建物から出なければならなかった。たした刑罰は一年以内の科料だったと思う。事犯の重大性に鑑みて罰則が時代にあっていなかった。

 これほど罪と刑罰は明記されていないといけない。厳密に戦後日本社会は守ってきた。「この男は気に入らない」という権力の匙加減で罰せられてはいけない。専制時代はその被害どれだけ民衆は被害を受けてきたか。近代法の基礎はこの悪弊を断ち切る罪刑法定主義を貫くことになった。

 ところが今回に特定秘密保護法はその罪がわれわれにはわからず罰だけ法律で明記されるというアナクロニズムの法律なのだ。しかも事犯は永久に公開されないものもあるという。なんということか。とても容認できない。権力は時代のねじを逆に回す。民主主義は絶えざる闘争で獲得されるものだ。黙認していたらそういう「民主主義」になる。

 ただ「微罪逮捕」が繰り返されてきたのが現代だ。これも実は罪刑法定主義の換骨奪胎であった。だからその延長でこのとんでもない法案がでてきた。「微罪逮捕」の被害者にわれあれはあまりにも無関心でいすぎた。司法も「微罪逮捕」を追認してきた。その延長線上に今回の法案があるとはいえないか。日常が実は闘争であることを教えてはいないか。
[ 2013/11/13 22:29 ] 川瀬俊治 | TB(-) | CM(-)


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