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夜間中学その日その日 (323)   拳通信編集委員会

「一枚のビラのおかげで入学できた」守口夜間中学いろはの「い」の歌だ。今夜間中学にたどり着けたのは、ある日、偶然街で手にした夜間中学生徒募集のビラだ。それによって夜間中学に来ることができたというのだ。しかしそれもすぐには来たんではない。親としての仕事を終え、責任を果たした後、長年の夢を叶える為、校門をくぐった。

「はじめての 机にすわり 手がふるえた」この様に始まった夜間中学での学習であった。そして座っているこの学校が市民運動の結果、開設された夜間中学であることを知った。先輩の様々な闘いがあったことも知った。
夜間中学が今あることの意義を記念の集いを終えた今、私たちは確認することができたと考えている。
「先生、記念の集会よかったですね。みんなで力を合わしてできたのが良かったです。先生たちも大変やったと思いますが、来てくれた皆さんが見てくれる舞台の上で立派に発表できたと思います」「昼の子どもと一緒に劇ができたのが良かったです」「役者が全部そろって練習できたことが一度もない。今日来ている人は次の日休んでいる。これが夜間中学です。こんな様子で、劇ができあがった。びっくりしました。みんなもきっと感動したと思うと(見に来た)家族が言っていました」「Yさんはっきりとしゃべっていました」「夜間中学に来てこんなこと(40年の記念行事)に出会うことができてよかったです」「昼の子どもや先生方がシートを敷き、重い椅子や机を並べてくれた。私らだけでできたんとちがいます」「あんな作品を集会が終わったらすぐに外してしまうのはもったいない。多くの人たちに見てもらうことはできなかったんですか」休み明けの11月5日授業の中で夜間中学生はこの日の感想をこのように語っていた。
さて、夜間中学生の発表を受け髙野雅夫さんは集会で次のように語った。
夜間中学は故郷
アンニョハセヨ。東京荒川九中夜間中学卒業生髙野雅夫です。1964年3月18日、24歳で夜間中学を卒業して来年で満50年になります。この半世紀、夜間中学校の卒業生だということを最高の誇りに生きてきた。それは旧満州引揚げの戦争孤児で5歳ころから敗戦後の闇市で野良犬のように飢えをしのぎ、野良犬のように生きてきた俺たちを夜間中学校は人間として育ててくれた育ての親だからです。もし俺が夜間中学で人間としての誇りと権利を奪い返していなかったら、仲間たちに出会っていなかったら俺は100%人殺しという形で世の中に恨みを晴らしていたでしょう。
だから1966年行政管理庁が夜間中学は法律違反だと言ったときに生命をかけても守りたいと思いました。大阪に生命をかけても夜間中学を作りたいと心に誓いました。夜間中学は俺たちにとって世界に誇る母校です、そして故郷であり祖国です。
 
夜間中学の現状
しかし今年8月4日、千葉県松戸市の松戸自主夜間中学30周年記念の集会で、埼玉県で公立の夜間中学を作る運動をやっている野川さんが、埼玉県から東京の夜間中学に通い卒業した10名の卒業生に、埼玉県に公立の夜間中学を作る運動をするから是非協力してほしいと連絡をしたときに、2名しか協力者はなく残りの8名は今後一切連絡をしないでほしいと言ったそうです。今後一切連絡しないでほしい、全く意味がわかりませんでした。彼等は夜間中学で何を学んできたのか、東京の夜間中学の教師は生徒達にいったい何を伝えてきたのか悔しくて情けなくて悲しくてその晩は一睡もできませんでした。

8人の仲間の遺志を継いで
よく大阪の夜間中学は髙野雅夫が作ったというふうに言われます。しかしそれは本当は嘘です。確かに大阪に夜間中学を作れとゼッケンをつけて毎日毎日大阪市、大阪府の教育委員会に、東京には7校も夜間中学があるのに何故大阪には1校もないのか、必ず仲間たちがいるから作ってほしいと訴え続けました。しかし「大阪は同和教育や人権教育や民族教育をちゃんとやっているからそんな人は一人もいません」と冷たくあしらわれました。当時大阪市内に300万人住んでいるということを聞き、300万枚ビラをまき続けたら必ず仲間たちが名乗り出てくれることを信じて毎日毎日、梅田の歩道橋、阿倍野の歩道橋や心斎橋などでビラをまき続けました。そのビラを見た8人の仲間が名乗り出てくれ、1969年6月5日、天王寺夜間中学に89名の仲間たちが駆けつけてくれました。大阪に一人もいないと言われた大阪に89名の仲間がいたではないか、入学式当日感動で胸が震えました。
しかしそれと同時に、この夜間中学が10年早く出来ていたら、その89名の仲間はもっと豊かな青春をもっと豊かな人生を送れた、そう思うと悔しくてなりませんでした。その中心になった小林晃、神部博之、八木秀夫は30代の若さで自殺、野垂れ死に、病死でこの世を去りました。誰からも認められることもなく死んでいった彼らの無念な尊い死を忘れないでください。この50年間力及ばず、多くの仲間を失いました。その屍を乗り越えてこの40周年を迎えていることを忘れないで下さい。横浜5校の夜間中学は来年から1校になります。東北、北海道、四国、九州、沖縄には今でも公立の夜間中学がありません。

未来に挑戦し続けよう!
国際識字年で明らかにされたように世界には10億の仲間が学びを奪われています。その8割はアジアの女性とこども達、この地球上にたった一人でも学びを奪われた仲間たちがいる限り国際識字年が、国連識字の10年が果たせなかった人類の夢に、人類の最高の夢に、夜間中学生こそ夜間中学の卒業生こそ挑戦してほしい、誇り高く挑戦してほしいと思っています。俺たちもこれからも生命の続く限り夜間中学の卒業生だということを最高の誇りに生きていきます。
最後になりましたがこういう発言の場を作っていただいたみなさん、そしてこの守口夜間中学校を40年間支え続けてくださった全てのみなさん有難うございました。カムサハムニダ。
一つ一つ。私たち参加者の心に届く熱いメッセージだ。
2013年11月8日、午後6時~守口夜間中学は開設40周年記念学校公開、授業公開を行う。
[ 2013/11/07 23:51 ] 夜間中学・白井 | TB(-) | CM(-)


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