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奈良おんな物語《32》「奈良の穀醤(こくびしお)の研究・横井啓子」中:鄭容順

「穀醤の研究にかかわって」
図書館などで味噌・醤油の歴史を調べていく。そのとき出合った著書が「斉民要術」だった。


「斉民要術(せいみんようじゅつ)」は中国北魏の賈思勰(かしきょう)が著した総合的農書。92編、全10巻。成立は532年から549年、世界農学史上、最も早い農業専門書、中国に現存する最古で最も完全な著書である。
その中に穀物で作った醤「穀醤」があった。おそらくこの醤が奈良時代にあったとされ、のちのちまで日本の味覚の価値観を生むことになったと横井啓子さんは考える。

著書

「食育」
横井啓子さんは「現在社会は心の不安定で様々なことが起きている。人間はアイデンティティーに揺らぎを感じると、心理的に不安定になるといわれており、つまり、極端に言えば、自分が『存在していない』と思えてくるのです。それが心に不安感をあおり、他者との関係を保てなくなると考えられています。アイデンティティーは食生活のありかたで作られ、つまり『食育』が重要だと考えています。」と指摘をしている。
また「現代社会では地球も狭くなり、世界中どこにでも行くことができる。そこで、自分の味覚を確認し、日本の食文化を知ることは、自分が日本人であることを意識することになり、その結果において世界とつながっていけるのではないでしょうか。
味覚はその人の履歴であるといわれています。ところが今現在、生活が忙しく、それを助けるように便利になり、日本人としての味覚の蓄積ができないということが起きている。」と語っている。日本の味覚、奈良の味覚、つまりその土地の大事なものを伝えていきたい。


「穀醤の完成」
奈良県の味噌・醤油の製造会社など1軒1軒を訪ねては教わり調査してきた。他府県の製造会社も見学してきた。35年間続けてきた食文化、なかでも醤油の研究の結果、横井啓子さんが古代のレシビに添うようにして作った「穀醤」が2010年1月できあがった。

穀醤の完成です。

万葉集にも醤が詠われたのがある。
―醤酢(ひしほす)に 蒜(ひる)搗(つ)きかてて、鯛(たい)願ふ 我れにな見えそ、水葱(なぎ)の羹(あつもの) 長忌寸吉麻呂(ながのいみきおきまろ)―  巻16―3829
この意味は―醤(ひしほ)と酢とまぜたものに蒜(ひる)をつぶして加え、鯛につけて食べたい。水葱(みずなぎ)の羹(あつもの)なんか食べたくない―

完成した「穀醤」を奈良県醤油工業協同組合に持っていった。
万葉集にもでている「醤」、古代の人々が親しんだ「醤」。その「醤」のなかでも「穀醤」を奈良から全国の人に発信し、1人でも多く奈良県で造られた「穀醤」を食べて頂きたい。自宅近くの公園に行ったときに高齢者の婦人の言葉「うちの主人は決まった醤油の味付けでないと食べてくれない」。この言葉が「古代ひしお」の原点になった。
普通は高齢者婦人にこんなつぶやきを聞いてもそんな人もいるのだなとしか思わない。しかし横井啓子さんは高齢者婦人の言葉が心に響いた。もともと探究心が備わっていたのだろう。
奈良県の醤油屋を探すことから始めていくと、不思議なことに周りの人たちから情報が入ってくるようになった。情報を1つ1つ、時間を見つけては情報の確認作業をしていくと、またその出会いから友人・知人の輪が広がっていった。
古代から利用されていた「穀醤」を多くの人に知って頂きたい。この心がまた横井啓子さんを動かした。

奈良県醤油工業協同組合に横井啓子さんが試行錯誤で再現した「穀醤」を製造して頂きたく持ち込む。これを成功させ、なんとか平城遷都1300年祭の会場でお披露目ができれば、多くの人が「穀醤」を通して奈良の醤油を知る機会になると考えた。
「ひしおの会」が製造して完成した奈良県の醤「古代ひしお」は奈良県のお土産として販売ルートにのせることができた。
平城遷都1300年祭を終えて「古代ひしお」は現在、県内の醤油屋、JR奈良駅前の店、近鉄奈良駅近くにある奈良県商工観光館、ネットなどで販売している。

「横井啓子さんの『醤(ひしお)』についての解説」
―奈良には古代の調味料「穀醤(こくびしお)」の成り立ちといきさつがあります。歴史はどうしても無機質な暗記の集積として考え、過去の遺跡のように見えがちだが、実は過去に生きた『人間ドラマ』の蓄積である。そのドラマをひも解いていくと奈良時代は現在に与えた『食』のターニングポイントがいくつもある。そのなかの1つに発酵塩蔵物である古代の調味料『醤』があり、日本人の味覚の価値観であり基盤となっている。
その『醤』の成り立ちといきさつを追っていくと『醤』が、律令国家と仏教という2つの大きな流れに影響を受けていることに気付く。
まず、稲作が農業の中心として定着した頃、わが国の風土、四季の寒暖などから食べ物を保存することが絶対的に必要とされた。その必要性が智恵と工夫を生み出していったことは確かなことだろう。これら食物文化の進歩が保存技術を発達させていく中に、おぼろげながらも『醤』の存在を推しはかる事ができる。つまり人々が自然発生的に食物を塩に漬け保存するうちに、発酵・熟成して旨みを持つことを体験的に学んでいき、生活に根付かせていったと推測できる。しかしこの種の『醤』が遺物として残る可能性はきわめて乏しいため、存在を確認することは困難です。

解説する横井啓子さん

インターネットの画面

―奈良県に<古代ひしお>誕生の歩み―にさらに詳細にこの後の研究した文章
が紹介されている。さらに詳細に知りたい方は下記のホームページを参照。
古代ひしおの歩み

さらに横井啓子さんが35年研究・調査したもの『なら食』研究会で報告されている。ホームページは
「なら食」研究会

<写真説明>1、調査に文献資料や著書は多いに役立つことになった。2、穀醤が完成、喜びが顔に溢れている。コツコツと地道に続けて来られた横井啓子さんの笑顔です。1・2の写真は「日本のまほろば―奥大和―総合情報サイト」のホームページから転載。奈良時代の作醤法を再現、ここから古代ひしおを通して地域の味覚伝達が始まった。3・4、穀醤について解説する横井啓子さん。インターネットで画面を出しての説明は分りやすいです。この写真は「なら食」研究会のホームから転載。

[ 2013/10/03 06:00 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


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