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奈良おんな物語《32》「奈良の穀醤(こくびしお)の研究・横井啓子」上:鄭容順

「プロフイル」
横井啓子さんは1949年生まれ。奈良県北葛城郡河合町に在住、『なら食』研究会代表、人生の半分ともいえる35年間を食文化に打ち込んできた。1977年、奈良県民になって子育ての中で奈良県の醤油を知ることになった。
と同時に世界最古の農業技術書「斉民要術」の解説書に出合い、穀醤(こくびしお)の研究を始める。


横井啓子さん--自宅で

奈良の食文化について多くの人に知って頂きたい、そんな思いを込めて2005年『なら食』研究会を発足。また2007年、奈良県工業技術センター(現在、奈良県産業振興総合センター)奈良県醤油工業協同組合との三者で「ひしおの会」を発足、古代から伝わる穀醤の復元作業を進めた。
2010年、平城京遷都1300年祭に合わせて、奈良時代にあったと思われる穀醤を「古代ひしお」として商品化した。
2011年9月30日、日本醤油協会から第1回の「醤油地域貢献賞」を受賞、
「奈良の地に食の始まりの歴史がある」と横井啓子さんは話す。

包装されているひしお

ひしおの中身

「子育ての中で知った奈良県の醤油」
自宅近くの公園で子どもを遊ばせている時に出会った、おそらく70代後半か80代くらいの高齢者の婦人はこう言った。「うちの主人(奈良県の生まれ)は、煮物は決まった醤油の味付けでないと食べない」と。そこで初めて奈良で作られている醤油の存在を知ることになった。
横井啓子さんは「これまで大手企業が製造する醤油を使っていた。この時、決まった醤油しか食べないという高齢者婦人の『ひと言』がそもそもの醤油に関心を持った始まりです。人の出会いが人生を変えていきますね。」と話す。

「地域消費」
奈良県で醤油を醸造している会社など28軒(現在23軒)を訪問して醤油を調査していく。
奈良県醤油工業協同組合のホームページ

横井啓子さんは奈良県で醤油を造るところを直接に見学していく。「日本では昔はリヤカーや自転車に積んで販売していく商いであった。地元が作る醤油はその地域に発するものがあり、それが地域の消費につながっていき、地域の味覚を作っていった。これを「地域消費」という。これが『県の味・町や村の味』となる。」と話す。
ここでまた新しい出会いを持った横井啓子さん。
古代から作られていたという「穀醤」を知ることになった。「穀醤」は穀物を麹(こうじ)にして、その麹に塩と水を加えて醸造し発酵させた食品で味噌や醤油のもとになったもの。
主に中国の麹は餅麹(もちこうじ)、日本の麹は散麹(ばらこうじ)である。日本には独自の麹文化がある。米でつくる米麹で日本のお酒は造られていく。麹に加え、今一つ大切なもの、それは水。日本の水、軟水がもたらす「食文化」が、日本の食文化を形成していった。
「水に直接放つことができる豆腐、魚も生で食べられるのは、日本の水が軟水だからです。硬水の外国ではスープにする文化が生れる。つまりその国の水に応じた食文化が生れるのです」と話し、食文化を解説していく。
水と食物を考えると、山や川の環境問題につながる。それが日本の味を作ってきたし、これからも作っていくと説明する横井啓子さんです。

<写真説明>1、河合町の自宅で撮影した横井啓子さん。チャーミングな顔と奈良女子大で講演していた講師の姿とは一緒にならないほどかわいい人柄に魅了。2、奈良県内で販売されている「醤(ひしお)」です。3、その中の「醤」はこんなかわいい器に入っています。

[ 2013/10/01 06:00 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


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