ジャーナリスト・ネット公式ウエブサイト

ジャーナリストの取材記事、論考などそ掲載するブログ
ジャーナリスト・ネット公式ウエブサイト TOP  >  スポンサー広告 >  犬塚芳美 >  映写室「ベニシアさんの四季の庭」上映案内:犬塚芳美

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

映写室「ベニシアさんの四季の庭」上映案内:犬塚芳美

―英国貴族が、京都大原で見つけた幸せのかたち―

<京都大原の里で>、日本人よりも日本人らしく暮らすイギリス女性がいます。彼女の名前は、ベニシア・スタンリー・スミス。絣のもんぺを履いて、古民家を改造して住みと、少し前の日本の暮らしを実践していますが、同時に庭には、故郷イギリスのハーブが一杯茂っているのです。日本とイギリス、両国の文化を融合し作り上げた豊かな暮らし。ここに至るまでのベニシアさんの軌跡を伺いました。

venetia_main_convert_20130913214930.jpg
©ベニシア四季の庭製作委員会2013

<私は日本の古いものが好きで>、それらを残したいと思います。今日着ているのも、日本の昔の着物で作った服です。手作り市で手に入れました。こういうものを買うことで、創る人の生活を支え、志しを応援したい。支える人がいないと廃れてしまいますから。
大原での暮らしも、昔からやっている事と昔から作っているもので成り立たせています。基本は、土に戻せるもの、燃やせるもので暮らすと言うことです。そうでないものはゴミになりますから。

<自分の好きな事をしてきたのですが>、そういう暮らしぶりがテレビ番組になり、注目を集めて、今度は映画になりました。こういう状況がいまだに信じられません。呼ばれて色々なところに講演に行きます。元々日本を回りたいと思っていたのに、幸運にも仕事で回れています。しかも、出会った人たちが、「テレビを見て元気になった」とか言ってくれます。私の人生はハプニングだらけですが、今も大きなハプニングの中に巻き込まれています。

<私の庭は>そういう人生を映している気がします。庭は一定ではなくて、変化を続け、その時々の姿を見せます。四季の変化もありますし、暮らしや年齢による変化もある。自然にもあがらえなくて、台風で倒れて、もう一度作り直したり、いつも未完成です。でもそれが好きなの。去年はここに咲いていた花が、今年は違う花に取って代わられてもいい。変化のないのはつまらないと思いませんか?

venetia_sub1_convert_20130913215024.jpg
©ベニシア四季の庭製作委員会2013

<正(ご主人)と会って>、初めて山に行きました。頂上近くのお花畑とか、本当に美しい。こんな所があるのかと、驚きました。
正は、山岳写真家なので、そういう所をよく知っています。皆が私の庭を褒めてくれても、「ベニシアの畑は小さい、これっぽっち」とよく言います。私もそう思います。山の上には比べようもない、広い広いお花畑がありますから。たいていの外人は知りません。観光局の人は、日本の素晴しさとして、もっと外国人にアピールするべきだと思います。

<母は4回結婚しました> 母の再婚は最初が3歳、次が5歳ですから、その時はよく分からなかった。寂しいと思うかもしれないけれど、乳母が良い人で、しっかりと私を育ててくれたから、大変ではありませんでした。しかも、母のおかげで私には父が4人います。4人全て良い人で、その全ての人から愛を貰い、生き方を教えてもらいました。幼いころに、大人の人生を4つ、垣間見れたわけです。人生は勉強だと思えば、なんでも勉強の材料になります。

<始めて日本に来た時は>、まだハーブが普及していませんでした。母がお料理の為に色々植えていたので、私には欠かせないもので、これは困るし寂しかった。細々と自分で育てていたのですが、40歳からハーブの効用を広めようと思いました。生活の為に働かないといけなかったけれど、まだ小さかった長男と一緒にも過ごしたい。家でハーブを教えたら仕事になるし、彼とも一緒にいれると思ったのです。
<少し話が脱線しますが>、幼児期は色々な意味でかけがえのないものです。3歳までは可能だったら家にいたほうがいいと思います。私は仕事をし過ぎました。仕方がなかったのだけれど、子供たちにはプレッシャーだったのでしょう。特に長女は大変だったんだろうなあと、今、精神を病んでいる彼女を見ると思います。

<映画には私の家族が一杯出ています> 私が一人で頑張ってきたのを見聞きしているので、応援したいと思うのでしょう。撮影に協力してくれました。ただし娘一人は出ていません。彼女は自分を晒すのに抵抗がありました。長女のジュリーは病気のせいで、少しマナーが悪いのです。少し躊躇ったけれど、それもオープンにしました。彼女は繊細だから、他の人からの思いを受け止め過ぎる。そして精神を病みました。彼女を登場させることで、統合失調症について、知ってもらえればと思います。

<私がこんなに古いものが好きなのは>、生まれ育ったイギリスの影響が大きいと思います。イギリスでは代々受け継いだものを、とても大切にしますから。祖父の家には代々伝わる家具が丁寧に磨かれておかれています。
<又、母は広い庭を自分で>作っていました。大勢メイドもいるし、庭仕事をする人を雇うことも出来たのですが、自分で手入れし、子供たちにもそれぞれ仕事を分け与えました。そこで庭仕事を覚えたのです。その頃の経験が今生きていると思います。

<ここに移る前は>、修学院に住んでいました。良い所だったのだけど、借家で1年後には出ないといけなくなったのです。それから一生懸命、色々なところを見て歩きました。私は古い家が好きなので、もちろん古い家を探しました。でもいいものが見つからない。諦めかけていた時に、今住んでいる物件が出ました。私は20回近く引っ越していますが、大原の家を見たとたんに、(自分はここで死ぬ。ずっと住む家だ)と思ったのです。借家を探していたのに売り物件で、本当は私たちには手の届かないものでしたが、幸運が重なって買うことが出来ました。そして自分たちで直して住み始めました。

<私は危機の度に誰かに助けられ>、直感的に動いているようですが、そういう波動を受け止めれるように、普段から暮らしています。動物は呼吸の速さで寿命が決まるといわれます。例えば、大きな象はとてもゆっくり呼吸して長寿です。だから意識してゆっくり呼吸します。色々辛いこともありました。そういう時は特に、パニックにならないよう、朝皆が眠っている時間に起きて、一人で瞑想し、ゆっくりと呼吸します。私が自分自身と向き合える大切な時間です。そうやって乗り切ってきました。

<日本での生活は>大変な時代も長くありました。イギリスに帰れば、辛い思いから開放され、豊かな暮らしがあります。でも帰りたいとは一度も思いませんでした。イギリスに帰ると階級社会で箱の中に入れられてしまいます。例え恵まれていても、私はそういうことが嫌いでした。

<私が日本に惹き付けられた根本は>、小さい頃におじいちゃんの家で、日本の古いものを色々見たからだと思います。祖父はそういうものを集めていました。偶然聞いたレコードの、尺八の音が耳に残っていたのもあるかと思います。日本人の書いた本も読んでいました。憧れの下地は出来ていたのです。
<アジアに憧れ、若い頃にふらっと>インドへ行きます。インドからネパールに入った時、二人の日本人に出会いました。大学生だったのですが、「日本は学生運動が盛んで、若者が頑張っている」と言うんです。気持ちが動きました。その頃のイギリスは老人社会になって閉塞的だったのです。じゃあ行ってみようとなって、一文無しで日本に来ました。東京で食べたキンピラゴボウが気に入り、住んでみようと思いました。

<色々なことがありました> 結婚、離婚、再婚。再婚してからも、楽しい事もあれば、夫婦の危機、子供のことと心配事が一杯でした。だから、これからは静かに暮らしたいと思います。占いでは、私は日本の女の人を助けるためにイギリスからきたようなのです。何度も言われたので、本当なのでしょう。これからもそういう仕事が待っているのだと思います。(構成:犬塚芳美)

<インタビュー後記:犬塚> 旧知の知人に会ったような、穏やかな時間が流れました。特別なことではなく、自然体で自分の好きなことをしてきただけ、と仰るけれど、びっしりと書き込まれたノートには、自然体を支える、ベニシアさんの確固たる哲学が、さりげなく書き込まれていました。世界で一番古いものを大事にするのがイギリス人だと言われます。
この頃巷で、世界で一番自国の古いものを粗末にするのが日本人だと言われだしました。住環境が古いものを締め出すのでしょうか? 故郷の傾きかけた蔵、古い箪笥、石臼、、ベニシアさんの暮らしは、発想を変えれば私にも出来るもの。そういうスローライフがやたら素敵に思える今日この頃です。

この作品は、9月14日からテアトル梅田、京都シネマ、
10月19日シネ・リーブル神戸 にて公開。
[ 2013/09/14 22:23 ] 犬塚芳美 | TB(-) | CM(-)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。