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メデイアウオッチング―「2020年・東京オリンピック決定」に思う:鄭容順

日本時間の2013年9月8日、午前5時過ぎに開催地は東京に決定した。
筆者は寝床の中でその時、ニユースを流していたテレビ局の瞬間の放映は知らない。
9月7日の午後7時のニュース番組で「これから10時間後にどこで開催されるのか決定します」と話し、アルゼンチン・ブエノスアイレスは今、9月7日の朝の7時頃と伝えた。


9月8日の早朝のテレビ番組、どの局も「東京開催決定」を伝えていた。
第1回は1964年10月、東京オリンピックが開催され、56年ぶり、2020年東京で第2回目が開催されるということでメデイアも興奮していた。
今回の東京開催のPRは「治安がよくて交通網も完備されて開催には何も問題がない」ことだった。一方で東京オリンピックを阻止する文言が原発問題だった。しかし猪瀬直樹東京都知事始め招致活動しているプレゼンター、そして安倍晋三首相ら、政府関係者も駆けつけて日本開催をPRした。
それまでの道のり、石原慎太郎東京都前知事が開催の口火を切って12年、平坦ではなかった。今回は日本政府も本気になって動きロビー活動も盛んに行なわれた。いずれこんなことも表面化されてくるだろう。

猪瀬知事は1946年生まれ。1964年東京オリンピック開催当時は長野県で大学生活を送り学生運動をしていた。17歳か18歳だった。筆者は19歳で京都府の南の端の田舎で普通の女子として青春を送っていた。
東京で開催された当時の東京オリンピック、一般家庭には電話も普及していなかった。家庭にはテレビと電気洗濯機と電気釜とプロパンガスが入っている程度だった。当時の伝達事項も速やかに出来なくて大変だったと想像ができる。当時の東京都知事は東龍太郎、まったく名前は記憶にないほど政治には関心がなかった。テレビが家庭に普及し出してニュースの中に美濃部亮吉知事がよく出だしてやっと東京都知事の名前を知って行くことになった。
猪瀬知事は学生運動をしておられたので政治の動きはよく知っておられただろう。そして東京オリンピックをどんな思いで見ておられたのだろうか。
口火を切った石原慎太郎は「太陽の季節」の発表で芥川賞をとった作家だった。
弟の石原裕次郎、日本映画界のトップスターで兄弟とも政治とは距離を置いて東京オリンピックを見ていただろう。


1964年の東京オリンピック開催から50年が経った日本、今や伝達事項はコンピュターでスマートフオンなど電子機器がフル活用される時代になった。
一般の海外渡航は自由になった。海外渡航をまだまだ困難な時代だった1964年の東京オリンピック、海外の文化もそう多くは入ってこなかった。また各国の外国人が来たのは1964年の東京オリンピック、そして1970年開催の大阪万国博覧会だった。
それから多くの日本文化や歳時が失われていく。地域という人々のつながりの生活が壊れていった。1964年当時、高層建物は東京が多くついで大阪など大都市だったがまだまた長屋や日本家屋があって人々の暮らしは路地から路地、路地から広場、広場から田園、田園から山という暮らし文化があった。地方、地方独自の歳時もあり祭も盛んに行われていた。
今は日本文化という暮らしは減少し、核家族化した家族構成は様々な問題を引き起こしている。人々は個人的・自己中心的に様変わりした。

2020年に開かれる東京オリンピック、様変わりした日本、文明は世界の先端を行く日本になったが文化が廃れていった日本でもある。
これを機会に日本の歳時・祭事を復活させて日本が育んできた文化、地域生活のありかたを紹介していく機会にしてもらいたい。1964年と違って日本列島は日帰りできるほどに交通網は発達した。地域文化をもう1度見直して掘り起こして活性化していく機会にしてもらいたい。地域文化の掘り起こしで農村は農村の文化、商業は商い文化、また奈良は古への史跡・名所を世界の人につなげていく機会にしてもらいたい。リニヤ中央新幹線の開通にはほど遠いが、このPRも兼ねて奈良県に残る昔のことを分りやすく肌で感じるものにしてもらいたいものだ。
今度は東京オリンピックと地域とのつながり、交通至便と電子機器が発達したなかでその手腕が問われることになってきた。そして1964年の沖縄県はアメリカの占領下だったが、2020年の東京オリンピックは日本列島の最南端、南国とどう結び付けていくのか。これも課題になってきた。

1964年開催時の韓国の大統領は朴正煕大統領だった。
冷戦構造真っ只中で南北分断の悲劇は誰の心にも痛みを持って染みていた。
それから24年して韓国は1988年にソウルオリンピックを開催している。先人たちの血の滲む招致活動の末の開催になった。
当時、1世がまだ多くが健在で1964年に開催された東京オリンピックの韓国の選手団派遣に様々な苦労話を披露してくれた。1988年のソウルオリンピック開催決定には、ぜひ韓国のオリンピック成功させようと在日韓国人の経済人は動き、寄付活動を展開したことはまだ記憶に新しい。
今や韓国は先進国です。日韓の友好交流は欠かせないものになってきた。
隣国と関係良くいく方法を模索しなければならない。歴史認識の違いはある。これはどうして双方すり合わせて関係良くしていくのか。
東京オリンピック開催時の韓国の大統領は朴正煕大統領だった。そしてこの縁に不思議があり何を意味するのだろうか。開催決定に遭遇したのは朴正煕大統領の長女、朴槿恵大統領です。今後、2020年・東京オリンピック開催をどんな思いで理解して日本とどうすりあわしていくのか。気になって懸念している。韓国の大統領は5年に1度の改選です。2020年は朴槿恵大統領が大統領職から退いて新大統領に変わっている。
1964年から今日、南北分断は未だに解決されず分断されたままである。2020年には統一されているのか。どうか。分断の歴史は今なお続き、1970年代から80年代、韓国に留学して投獄された在日コリアンもいる。この心の襞が埋まらないままに2020年、東京オリンピックが開催される。そして1964年から変わった歴史史実がある。日本には北朝鮮から脱出した脱北者、日本で生まれて帰国した同胞にその子供たち200人が日本で暮らしている。北朝鮮は3代目世襲という指導者と国の成り立ちもできないことから北朝鮮を支持した活動家たちは韓国籍に切り替えていく現象になっている。これをどうとらえて見ていくのか。日本で生まれた在日コリアン2世・3世の着眼になってきた。
そして1964年の東京オリンピックの開催を体験して北朝鮮に帰国、そして数年前に北朝鮮を脱出して大阪に戻ってきた脱北者、2020年東京オリンピック開催にどんな心境になっているのだろうか。
また多くの在日コリアンは日本国籍に切り替え、日本の国籍法で日本人と韓国人との間に生まれた子弟のほとんどは自動的に日本国籍になっていく。
在日韓国人の減少に1世たちはどんな考えで2020年のオリンピック、東京開催を見ているのだろか。1964年開催から未だに朝鮮半島は南北分断されたままです。こんなことが走馬灯に思った東京開催決定だった。まだまだ山積された在日コリアンの問題、日本政府はどんなふうにして改善していくのか。スポーツを通して国際交流をどうしていくのか。その力量も問われていく。国際交流という東京オリンピックに向けて真摯に対応してもらいたいとも思っている。

[ 2013/09/10 06:30 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


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