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夜間中学その日その日 (309)   足立 龍枝

今年、守口夜間中学は開設40周年、節目の年を迎えた。11月2日には「開設40周年記念の集い」、11月8日は「夜間中学の公開授業」を企画している。また40周年記念誌の編集作業に取り組んでいる。元気が湧き上がる取り組みをめざしていきたい。
そして卒業生、元教員から、原稿が届き始めた。執筆者の了解の得られた文章をこの欄でも紹介させていただく。(白井)

 守口夜間中学開設40周年、おめでとうございます。
 4月末の守口夜間中学同窓会総会に出席し、今年も元気な皆さんにお会いできました。私は三中夜間・そして「あけぼの教室(守口市成人基礎学習講座)」を退職して13年になりますので、同窓会では、はじめてお会いする方も多くなりました。
 生徒の皆さんが「学校の教室で勉強がしたい」「毎日通える学校に行きたい」そして、子どもや孫たちが、いそいそと出かけていく「同窓会というものを味わってみたい」というのが、夜間中学に入学した時の気持ちだったと思います。
 生徒会のかかえる難問をよりよい方向に向けて、協力していこうという同窓会の姿勢にいつも感動します。何かできることはないかと心を新たにしています。

 私が勤務していたころに、八戸ノ里から近鉄線・環状線・京阪電車を乗りついで通ってきていた「薜桂喜ソル・ケイヒ」さんという韓国馬山生まれの生徒さんがいました。日本に来る前に、村の若者が教えてくれる「夜学校」に通ったことがあると話していて、周りの友だちからは「薜さんは、九九もハングルの読み書きもできるでー」と言われていました。
 日本の植民地になってしまった朝鮮の若者たちは、国を取り戻すには子どもはもちろん大人も、もっと勉強をして力をつけなければダメだと、それぞれの地域で活動を始めました。1920年~1930年代のことです。
 ソウルの近くの水原(スウォン)、現在の安山市の教会の礼拝堂を教室にして始めた崔容信(チェ・ヨンシン)先生の学校は、教室に入りきれない(日本が人数制限をしたため)子どもが、木に上ったり、窓の外から背伸びをして先生の言葉を聞こうと必死でした。先生は、外の子どもたちに聞こえるように、黒板の字が見えるように、大声で授業をしました。その時の先生の言葉をハングル書芸で書きました。

「아는것이 힘アヌンゴシ ヒム」 (「知ることは力」)  
「매워야 산다 ペウォヤ サンダ」(「学んでこそ生きる」)

 この習字は、七年前にハングル書芸を5か月習って書きました。
村の人々と協力して新しい教室(当時は講習所)を作ろうとがんばっている時に、病で倒れ容信先生は26歳で亡くなってしまわれました。先生の遺言どおり、教室から見えるところにお墓をつくり、今は立派な資料館もできています。「常緑樹」という小説になり、映画にもなりました。
 今年は、高校の教科書に、夜間中学のページが編集され、嬉しいできごとが続きます。
夜間中学や「あけぼの教室(守口市成人基礎学習講座)」がますます元気の出る場所でありますよう応援します。

[ 2013/08/30 09:00 ] 寄稿 | TB(-) | CM(-)


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