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コラム 「8月15日に想うこと」:片山通夫

今日は68年前にあの戦争が終結した日だ。この稿をテレビで中継されている、「全国戦没者追悼式」を見ながら書いている。
 



 そこでふと思った。この国では「終戦の日」もしくは「終戦記念日」と言う。「無条件降伏」したにもかかわらずにだ。この表現はいつの頃から始まったのか。実に曖昧な表現である。
ちょっと調べて見た。どうも「天皇のあの放送」にあったようなのだ。きっと「無条件降伏」なんて言葉を使う雰囲気にはなっていなかった様だったと推測する。つまり「国体の護持」とやらのなせる技なのだろう。

 ところがこの言葉がその後のこの国の方向性を定めたのではないかと思う。なぜなら、68年経った今、NHKなどは「終戦の日」という表現。他には「終戦記念日」なんて言葉も使われているようだ。もっとも「終戦」に記念日なんてナンセンスだと思うのだが。

 この「終戦」という「素直に敗戦を認めることができない」我々日本人のあいまいさが、戦後68年経った今でも尾を引いていて、安倍首相のいう「侵略の定義定まっていない」なんて考え方に繋がっている。つまり「敗戦(無条件降伏)を終戦と言い換える」ことによる無責任さが、戦後、あの戦争をきっちりと総括できなかったししなかったことにも繋がってくるわけだ。

 ドイツの例を引くまでもなく、ロシアのエリツィン大統領は「シベリアに日本人を長期にわたって抑留し強制的に労働させた」ことに関しては、1993年10月に訪日した際、「非人間的な行為に対して謝罪の意を表する」と表明している。

 わが国も、せめて「終戦」なんて責任の所在のはっきりしないあいまいな言葉を使うことは、止めたいと思う。明らかに「敗戦」であり、「無条件降伏」なのだから・・・。

 テレビでは安倍首相が式辞を述べている。亡くなった人々への哀悼の意はよしとしたい。しかしそこには「あの戦争を起こした反省の弁」には全く言及されていない。歴代の首相もそうだったのかは知らない。

 我々日本人は外国人を含むあまたの人々を不幸のどん底に陥れたあの戦争を、今日のこの日に思い起こして、安倍自民党の暴走を食い止めなければならない。
 まさか「第二次戦没者追悼式」を開催しなければならない愚を犯すことは断じてできない。
[ 2013/08/15 12:08 ] 片山通夫 | TB(-) | CM(-)


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