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メディア・ウォッチング “原発と原爆”に迫ったTV番組ザ・スクープ(続) 三室勇

「第三章 1950年代ビキニ―広島 〈原子力の平和利用〉と日本」では、米国のアイゼンハワー大統領が1953年12月に国連で提唱した「原子力の平和利用」の背景と日本での展開、宣伝工作が描かれていく。

1952年10月の国防総省の機密文書にあるとおり「平和利用とは“繁栄を生む原子力”のほうが“戦争を生む原子力”よりも世界で受け入れやすい」という思惑があったからだ。それは米国は核兵器を手放さないという意思の表れだといってよい。先述したアルバレスは「原子力の平和利用と核兵器は安全保障政策上、表裏一体で、核には二面性がある」と発言していることからもわかる。世界に向けた「原子力平和利用」の提言は、唯一の被爆国日本にも向けられる。その矢先にビキニ水爆実験で乗組員が被曝した第五福竜丸事件が起こる。残留放射能を認めない米国は急性放射線障害と診断した日本の医師に対して、輸血治療による肝炎だと主張して、一切被曝による障害とは見つめずに今日に至っている。

このころ反米・反原水爆の機運は日本で高まり、反原水爆署名は3200万筆に及んだという。こうした日本の情勢に危機感を持った米国は対日宣伝工作に力を入れるようになる。本国米国ではショック療法とも思える米国原子力委員会のトーマス・マレー委員長の発言は際立っている。1954年9月、ニューヨークタイムズに掲載された記事には「広島、長崎の記憶が鮮明なうちに日本に原発をつくることは、ドラマチックであり、原爆の惨劇を乗り越えていくことになるだろう」。こうした発言をうけて、民主党のイエーツ議員は広島に原子炉を建設する決議案を議会に提出する。日本での教宣活動としては、原子力平和利用使節団による講演会活動が行なわれたり、広島平和記念館を会場にした「原子力平和利用博覧会」などが企画された。そうした宣伝工作は見事に功を奏することになる。1956年7月のアンケート調査、「原子力は悪いもの」71%だったものが、1957年の調査では15%にまで減少していた。私自身の記憶でも町内会の催しで映画「ATOMS FOR PEACE」のたぐいの宣伝映画を見た記憶がある。米国は日本のメディアほかあらゆる機関を通じて宣伝工作を行ったことがわかる。こうして日本は世界第三位の原発大国に至ったわけだ。
 米国務省高官の手紙(1957年12月)には「原子力平和利用は目覚ましい効果をとげ、目的を達成した。いずれ日本人自身が日本でも核兵器を使えることを望むだろう」とある。

1983年の第1回原水爆禁止世界大会の広島アピールには「原子力戦争を企てる力を打ち砕き、その原子力を人類の幸福と繁栄に用いなければならない」とあるが、これこそ米国が世界に向けて仕掛けた宣伝工作の成功例といってもよいかもしれない。
[ 2013/08/15 09:34 ] 三室勇 | TB(-) | CM(-)


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