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コラム「風」江戸っ子気質と富士山:井上脩身 

 富士山が今月、カンボジアで開かれるユネスコ世界遺産委員会で世界文化遺産に登録される。かつては、東京のどこからでも望むことができた富士山。1970年代以降、高層ビルが群がるように建てられ、現在は高層階でなければその姿を見ることができない。東京スカイツリー時代の富士山は庶民の目線からは程遠い、文字通り“高嶺の花”なのだ。世界文化遺産になることを手放しに喜ぶわけにはいかない。


 私(筆者)は学生時代を東京の練馬区で過ごした。晩秋のある夕方、ダイコン畑のそばを通って下宿に帰る途中、西の山々の向こうで台形の山がシルエットとなって頭をのぞかせていた。見たことのない光景だ。富士山ではないか。走って帰り、下宿の2階の窓から首を出し、富士山が見えることを確かめた。深い感動を覚えた。以来、朝起きるとまず富士山を眺めるのが日課になった。
私は大阪府高槻市で育ち、生駒山を眺めながら学校に通った。小学生の時、先生が生駒山を織り込んで作詞・作曲した応援歌を歌わされたものだが、富士山が見えるというのは全く意味が異なった。富士山は私の下宿生活の一部なのだ。

正岡子規が松山から上京して間なしのころ「富士筑波西には花よあすかやま」と詠んだ。子規19歳。ほやほやの江戸っ子気どりがうかがえる。葛飾北斎が「冨嶽三十六景」の中で描いた、両国橋から見た富士山。「オレっちから富士が見えなきゃおしまいだ」とでもいいたげな江戸っこぶりが濃厚に表れている。
 我が国最初の高層ビルである霞が関ビルディング(地上36階、高さ147㍍)ができたのは、私が初めて下宿の窓から見た4年後の68年。やがて、高層ビル群は都心部から周縁部へと広がり、企業活動だけでなく、人の暮らしも効率のよさが追い求められた。いま、東京都内の道路から富士山が見えるのは、荒川区西日暮里の「富士見坂」など数えるほどだ。富士山を見る生活ができるのは、億をはるかに超える高層マンションに住む一握りの富裕層。「東京スカイツリーから富士山を見よう」が庶民向けキャッチコピーになりそうなほど、富士山見物は金のかかる時代になった。その金のない者は銭湯の絵で我慢するしかない。

 よくもあしくも江戸っ子の精神風土を培って来た富士山。その最大の特徴は江戸時代以来、首都の庶民生活に溶け込んでいたことである。高度経済成長とともに下駄履き的庶民文化は廃れた。「オレっちから見えない」富士山は世界文化遺産になったところで、庶民には縁のないよそ行きの文化財でしかない。
[ 2013/06/08 00:19 ] 井上脩身 | TB(-) | CM(-)


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