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奈良おんな物語《28》「フリージャーナリスト・浅野詠子」上:鄭容順

「プロフイル」
浅野詠子さん(53歳)は1959年、神奈川県平塚市に生まれ、地元の公立小・中学校へ進んだ。神奈川県立大磯高校、青山学院大学経営学部で学び、1985年、奈良県の地元紙・奈良新聞社に入社した。記者としての最初の赴任地は吉野支社。5年間の勤務を通し、山村から多くを学び、その後の生き方にも影響していく。独特な文化、そして国産材の歴史が深い吉野に魅かれていった。


アサノエイコ-イチョウヤ

吉野支局から本社のある奈良市に戻り、家庭面の担当記者として活動。その後、社会面を担当し、自治体のあり方について疑問に思うところを取り上げ、続々と記事にした。「公共事業と地方議員の癒着」などをテーマに連載記事をたくさん書いた。記者としての素質が備わった浅野詠子さん。
22年間勤務した奈良新聞社を2008年に退職した。退職するときの肩書きは「特報課長」だった。
記者時代に培った人脈は広く、地元の奈良をはじめ、自宅からも近い大阪にも活動範囲を広げてフリージャーナリストとして活動している。

「湘南」
浅野詠子さんが生まれ育ったのは神奈川県平塚市、湘南電車が通る町で育った。「湘南」という言葉はよく小説や映画、若者たちが好む場所として全国によく知られている。筆者の知識その程度です。
資料を検索すると「湘南」の項目が多くあった。
「湘南」はもともと現在の中国の瑚南省を流れる瑚江の南部のことで、かつては長沙国瑚南県が存在し、中世には禅宗のメッカとなった。日本における「湘南」も禅宗の流入に伴って広まったと考えられる。
江戸期には大磯発祥の命名とされる「湘南」は、明治期に政治結社名や合併村名に用いられた。当時、相模川以西地域が湘南、相模川以東地域は湘東または新湘南という認識だった。明治期の「湘南」は山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域に限られていたと考えられる。
明治維新により、当時、西欧で流行していた海水浴保養が日本にも流入し、適した保養地として逗子や葉山、鎌倉、藤沢など相模湾沿岸が注目されて別荘地になり湘南文化が芽生える。
1897年、『湘南雑筆』として編纂した随筆集などが出版されてこの頃から「湘南」は相模川西岸から相模湾沿岸一帯を表すように変化していく。

「平塚市」
平塚市は神奈川県のほぼ中央。浅野さんの母校、市立江陽中学も「見よ湘南の中央に…」で始まる応援歌がある。相模川の右岸に位置し、南は相模湾に面する。相模川から金目川までの間は市域北端部まで平野になっており、南部には市街地が広がる。金目川より西側は大磯丘陵の一部となる丘陵地帯である。緑も多く南部は国道1号とJR東海道新幹線と小田原厚木道路がやや離れて横断している。首都圏にある人口25万人を越える都市だが、鉄道の旅客駅はなぜかJR平塚駅のただ一駅だけ。戦後早くから商工業都市として発展した。

浅野詠子さんは話す。
「旧国鉄の平塚駅前の気さくな商店街で生まれ育ち、そこは湘南の下町と言っていいかもしれません。戦後の振興策として地元の商店主らは七夕祭を考えだしました。道路の両脇に立てられる竹飾りは豪壮な光景で、全国から見物客がやって来ます。
後にJRとなる東海道線(湘南電車)の平塚駅を利用し、横浜まで出て東急東横線に乗り換えると、通学する青山学院大学のある渋谷に出られます。
1時間と少しあれば行けたでしょう。でも私は品川駅で降り、山の手線に乗り換えて渋谷駅に出ていました。座って本を読もうと思ったのですが、よく寝ていました」と話す。
湘南の潮風を受けて神奈川県を抜け東京に出ていく。そして日本の首都、大都会の東京に入っていく。渋谷のまちの変遷を見てきた浅野詠子さんだが、なぜか1985年、奈良新聞社に入社した。
駅の名前を聞くだけで潮風の匂いがしてくる。藤沢―茅ヶ崎―平塚―大磯と。筆者の住んでいる奈良から見ると、憧れの夢がありそうだ。
平塚市は1945年7月16日、大空襲にあっている。これを平塚大空襲ともいう。軍需工場が多くあったことから当時の市域における面積の8割戸数の6割が焼失した。死者237人、重軽傷者268人、罹災戸数7678戸の大被害を受けた。このとき落された爆弾(主に焼夷弾)の数は1162・5トン、447716本で東京都の八王子についで第2位です。
第1回の七夕祭は1951年に開催、1950年に開催された平塚大空襲の復興祭が起源とされている。またこの祭は仙台の七夕祭を抜いて全国1位だがまた東北大震災の復興を願って仙台の七夕祭も開催してもらいたいものだ。

<写真説明>2013年4月10日、近鉄奈良駅近くの喫茶・銀杏やさんで。現在は生き生きとフリージャーナリストとして活躍している浅野詠子さん。
[ 2013/05/28 06:00 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


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