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奈良おんな物語《27》「二つの国・『短歌・時調に思い』廣岡冨美」中:鄭容順

□著書の中から「時調唱の春」と「迎日の海」を通して廣岡冨美さんの横顔を紹介していきます。

廣岡冨美さんは昨年(2012年)11月、「歌集―時調唱の春」を京都カルチャー出版から発刊した。時調唱は韓国でシジョチャンと読む。施設に入居しながらの発刊。編集作業をしたのは民団奈良県本部の韓国語教室で一緒に学んだ、奈良外国語観光ボランテイアガイドの会の代表を務める池田常雄さんです。
池田常雄さんのことは筆者の感想で述べることにしてまず発行された著書から紹介したい。
著書はA5版71ページ建て、紺色の表紙は丁重に透明ビニールのブックカバーの仕上げにしている。心を込めて作られた著書の内容は韓国と日本で日々心に響いたことを歌にしておられる。挿絵は画家の池田千恵子さんが担当した。

中-1-時調唱の春の表紙

迎日の海の歌集の表紙

この著書を民団新聞に紹介した金イルナムさん(在日韓国人2世、時調(三行詩)の会同人)の書評を紹介します。
金イルナムさんの寄稿を参考(民団新聞12月21日付けから)にした。
「著者は1930年、韓国大邱に生まれ1945年の敗戦で大阪に帰り、高校教諭を定年退職して現在に至る「未来」「黒豹」の歌人だ。
その間、個人の歌集のほかに名訳『韓国近現代時調選集』を上梓。また韓国の伝統定型詩である時調の国宝級唱者を日本に招いての公演も実現している。在日2世である私が初めて本格的な時調に触れたのは日本人である廣岡冨美先生の訳詩集「時調選集」を通じてであった。

「在日の君の若き日を知る一人 語りつつ突如号泣せり」

時調唱公演には私もご招待にあずかり、亡き近藤芳美先生、尹学準先生らが参席されるなか末席を汚したこともある。その折の廣岡先生の端正な風貌に秘められた力強い優しさは印象的だった。

「お故郷(くに)はどこ出身はどこと問われいて答えようなしに日本に生まれざり」
「言葉のずれほんの少しを蔑(なみ)されき植民地育ちよと蔑されにけり」
「わが命尽きなば迎日(ヨンイル)の海に撒け東海に静かにわれ撒かれたし」
「この海に育てられたり長く恋いぬこの海を愛して半世紀が過ぐ」

迎日湾は慶尚北道浦項市の海で真東に面することに由来する。私は最近、江陵から浦項までの海岸線をひとり、バスでたどった。この旅は私の韓国周回を完成する旅だったが東海の海の情緒は格別だった。
このあたりの海は北上する暖流黒潮の支流と南下する寒流リマン海流が出会うところで、沖では寒暖2つの海流がぶつかりあって渦を巻く。そのため常に波が高くけがれのない波しぶきに心が洗われるようだった。
日本人である廣岡先生がかくも韓国を愛するのは、15歳まで過したかの地でかならずや一人の「よき人」と出会ったためであろうと私は信じて疑わない。

日本に生まれ育った私自身がそうであったように、たとえ9人の悪しき人がいたとしても自分を理解し、いつくしんでくれた一人の「よき人」とのいが、その土地を「よき土地」とするのである。
「私が韓国・朝鮮を詠むのは私が生きる上での主題でもあるからなのだ。これらの国と日本は長い歴史を共有するアジアの隣国である。そして今後ともそうである。韓国の大邱に生まれ育った私には二つの国が祖国である。それらの国に目を向けてもらいたいとの想いがある」
以下省略。

「著書―廣岡冨美歌集『時調唱の春』―『光化門』以後―」 
著書71ページの中に目次とあとがきなど5ページを除いた66ページは廣岡冨美さんが韓国などを素材にして心に響いたものを歌にはして残された。
目次は時調唱の春、尹学準先生を偲びて、韓国語、朝鮮国に生まれて、ハングル教室、牡丹峰公園、高句麗の古墳群、具常氏、渤海、寧辺、李仲變、薬師寺にて―平山郁夫氏を偲ぶ―、金石範氏、沖縄の14項目から104首が収録された。

著書の写真から


項目ごとに1首ずつ筆者の独断と偏見で選んでここに記述して紹介することにします。
「時調唱の春---遥かなる韓の国より歌唄う人が来ませり春宵一刻」

挿絵中6―A

挿絵中-6-B  

「尹学準先生を偲びて---安東の人まぎれなく君は両班なり『オンドル夜話』を日本に遺す」
「韓国語---ありがとう 先ずに覚えし韓国語感謝(カムサ)ハムニダ感謝します」「朝鮮国に生まれて---祖国とも呼ぶほどに熱き愛はなし敗戦の国家は植民を棄てつ」
「ハングル教室---その国の言葉奪いし史実さえ知らぬ主婦らのハングル教室」
「牡丹峰公園---国分かつ荒々しきは目に見えず牡丹峰公園に木槿咲き盛る」
「高句麗の古墳群---夏草にそぼ降る雨の雪梅里古墳群やさしき古墳群は伽倻
(かや)国に似つ」

挿絵―中―8c  

「具常氏---具常文学館を尋(と)めゆかむとて下車したり倭館は雨白き花咲く」

挿絵-中-9ーD  


「渤海---渤海使を送りしを伝う入江あり能登の富来町(とぎまち)福良の港」
「寧辺(ヨンビョン)---寧辺の原子炉稼動寧辺のチンダルレの花素月(ソウォル)は詩う」

挿絵-中10-E  

「李仲變---朝鮮の近代洋画家李仲變(イチュンソプ)「叫ぶ牝牛」の黄色荒らし」
「薬師寺にて―平山郁夫氏を偲ぶ---一足踏み入り画殿に出会いたる 「長安大雁塔」おぼろなる金色」
「金石範氏---鶴橋駅みどりの窓口に並びます一人を金石範(キムソッポム)氏となりと見き」
「沖縄---病院の跡とはすなわち洞窟なり丘は茂りぬ風はかなしも」

著書の最後に廣岡冨美さんが記述している文書を紹介します。
「この集は私にとって六冊目の歌集である。名古屋から出ている『黒豹』からの五十首に加えて「未来」に出した五十余首とを合わせてこの集は成った。
82歳になった私の最後の歌集となろう。頭がまだはっきりしているうちに出そうと思った次第である。
今回も韓国・朝鮮を詠んだ作品を中心に集めた。私が韓国・朝鮮を詠むのは、私の生きる上での主題でもあるからなのだ。これらの国と日本は長い歴史を共有するアジアの隣国である。そして今後ともそうである。韓国の大邱に生まれ浦項に育った私には二つの国が祖国である。それらの国に目を向けてもらいたいとの想いがある。

ところで私の作品は『黒豹』や『未来』の仲間にしか通じない作品かもしれない。近藤芳美先生に作品として認めてもらっているという甘えかもしれない。それは傲慢なのであろう。仕方がないと思っている。『黒豹』はそれを許して下さっている。〃ありがたい〃に尽きる。短歌とは何か、詩とは何かを常に考えている。私の作品は『短歌的抒情』にはほど遠いものだろうと思っている。
言葉に余裕を持たせて歌を遊ばせてはどうかと言ってくれる人もいるが、不器用の私にはそれができない。〃生き方〃を歌うことが短歌だと体にしみ込んでいるようだ。
なおも本歌集の出版にあたっては、奈良韓国教育院の韓国語教室で長く机を共にした池田常雄氏が献身的な編集雑務をして下さり、画家である千恵子夫人からは挿絵を頂いた。また京都カルチャー出版の吉田政光氏にも多大なご尽力を頂いた。この場をお借りして御礼を申し上げたい。
2012年10月                 廣岡冨美

「歌集『迎日の海・栞』の出版」
歌集は1990年1月、浮游社から発行された。歌は186首が収録された。
年月を経た「歌集」を取りあげたのは廣岡冨美さんを「奈良おんな物語」に推薦して下さった人が「この歌集には廣岡冨美さんの思いがよく書かれていて伝わるものがあります」と話して「歌集『迎日の海』」を貸して下さった。
歌集を開くとあとがきに廣岡冨美さんをの気持ちを代弁したような思いを寄せた文書にまずあとがきから紹介をすることにした。

まずは廣岡冨美さんの歌集に心を寄せた人から言葉を取り上げます。
心を寄せた人<あとがき>から。
≪近藤芳美さんから「著書―廣岡冨美歌集『迎日の海』」に寄せて≫

A5版146ページ建に廣岡冨美さん自身のあとがきも掲載されているが「廣岡さんの歌集によせて」は近藤芳美さん(「未来短歌会」を結成、歌誌「未来」を創刊、2006年6月21日他界)が書かれたものである。
著書は生前に寄稿されたものを抜粋してそのままに記述していく。
「わたし自身、朝鮮半島に生まれた。日本がその地を植民地支配していた日であり、銀行員である父の任地に従って半島の町々を転々と移り住んだ。咸鏡南道の咸興というところにいたとき、まだ学童となる前であったわたしは、父の社宅の前を埋める無数の悲しみの群れを見た。
1919年、目前にした3・1運動であった。わたしたち日本人は万歳騒動と呼んだ。いい知れぬ感情がその日の幼い胸に刻み、それは今日に至っても私は自身の1番底に何ものかを澱ませているであろう。
そうして、そのわたしと同じように、廣岡冨美さんもまたかつての植民地と呼んだ大邱という町に生まれた。わたしよりずっと後であり、多分、彼女の記憶にもあの狂信に突き走っていく帝国主義戦争の最後の時期の影が重なり合っているのであろう。
戦後、わたしはまだ1度もその地に訪れていない。やすやすと行ってはならないところ、という気持は歳月の経過と共にいくらか変わってきているのかもしれないが、最後のところ、許されてはいてないはずだと自分自身の思いが消えない。
廣岡さんの場合、すでに幾度か韓国の旅を重ねられているのであろう。むしろ積極的に謝罪としての思いがあってのことなのであろう。そうしてその思いの上に歌を作られようとする。今度の歌集もそうした意味のものか。わたしと違い或る年齢までそこに育ち、多くの友人も持たれる彼女にはまたわたしとは別な感情があるのであろう。その積極的な感情を無論大事なものと思わなければならない。

或るとき、朝鮮半島出身のひとりの女性の出版記念会があって出席し、祝辞を述べなければならないことがあった。自身では気付かないままな、わたしは韓国、あるいは朝鮮という言い直しのことばを幾度か繰り返していた。後で答辞にたたられた女性がそのことを指摘され、韓国、あるねいは朝鮮といっていただかなければならないということが悲しいと涙ぐまれた。
すべてわかっているように思えながらも、わたしたちに本当にわかりお得ないものがまだまだあるのであろう。
それでいながらどこかに望郷ともいえる思いがわたしたちにある。
たとえば韓国の農村の踊りなどがテレビで映され、長鼓の音が聞こえたりするとのある場合、いたたまれない。疼くような感情を胸に抱くことがある。わたしも廣岡さんもそれを身に沈ませ、幼い日を生きて来たことは逃れようもない。そのことをもきっと彼女の歌集はどこかで告げているのだろう。

≪金東勲さんから『著書、廣岡冨美さんの歌集出版に寄せて』≫
もう1人のあとがきは金東勲さん。1934年、韓国忠清北道で生まれ、京都大学大学院法学研究科博士課程修了、京都大学法学博士、国際法、国際人権法を専攻。奈良県生駒市に住んで龍谷大学教授、アジア太平洋人権情報センターも歴任した。現在は韓国ソウルに住まいを移して韓国の大学で講義活動を行っている。
「人は生まれるときに親を選べないように、民族または国家を選ぶことができない。たまたま日本人としてさらには朝鮮半島に生まれたために、36年間に及ぶ植民地支配という日本と朝鮮半島との不幸な関係を1個人が背負って生きていかねばならないことは何とも悲しくやりきれないだろう。
昭和天皇がなくなったとき、天皇の戦争責任をめぐって議論が彿謄したことはまだ記憶にあたらしい。ところが朝鮮半島に対する植民地支配の責任の所在と償い方については戦後40年以上が経過した今日にいたっても、全国的レベルにおける議論はいまだに見れない。そればかりか、「開き直り」とさえ思われる発言と態度が政府・指導部のなかにくり返しみられることは周知のとおりである。
こうした政府・指導層の態度とは対照的に、植民地支配に直接的責任を持たない1個人が日本人であり朝鮮半島に生まれ、居住したというだけで、植民地支配を嘆き謝罪の意識から解放されないまま悩みつづけている人々が私の周辺だけでもいかに多いことか。廣岡さんもそうした歴史の「重い荷物」を背負っていきている私の知人のひとりである。
本人の意思とはまったく関係がなく、朝鮮半島に生まれ、幼年時代・少女時代を彼の地に過した廣岡さんは、植民地支配がもつ歴史的そして今日的意味の重さに苦しみ悩みつつも、それから逃れるのでなく積極的に受け止めながら行きつづけようとする心情と姿が、この歌集に納められた歌の一首一首の中に読みとれる。過去の政府が犯した過誤によってもたらした両国および両民族間の不幸な関係について、普通の市民の1人がしかも懐かしい思い出さえ覚える幼少時代の事柄について謝罪の思いにかられつづけながら生きることに痛々しい思いさえする。
私自身も植民地時代には朝鮮半島に生まれ国民学校(=小学校)5年までは『鈴木茂夫』という日本人として教育を受けて育った。そして日本の敗戦=民族の解放の意味を明確に理解しないまま、太平洋戦争の戦後処理の過程で当該民族の意思とは関係なく、もたらされた南北分断が惹き起こした朝鮮戦争を経験し、現在は『金東勲』という名をもつ韓国人として、日本の大学において研究と教育に携っている。つまり、廣岡さん同様に、日本と朝鮮半島との歴史的関係にふりまわされた1人として、歴史を真正面からみつめつつ現在を間違いなく生きるためにもがきつづけている。
とりわけ40数年前に解放された筈の在日同胞が、いまだに人間の尊厳と民族性を否定され、差別と偏見によって抑圧されつづけている日本社会の実状に当面して植民地支配は、忘れて水に流すべき『過去』の出来事でなく、今なお進行していることにハッと気がつき『日韓新時代』の虚構性を改めて考えさせられる。こうした日本社会における構造的差別は、在日する韓国・朝鮮人を解放しないばかりか、廣岡さんのように過去に対する贖罪に生きようとする日本人をも解放しない。民族差別を温存させ、在韓被爆者を放置するかぎり、植民地支配は過去になりえず、真の意味の『戦後』はやってこない。両国の不幸な関係は、韓国・朝鮮人に対し差別を押しつけるだけでなく、多くの日本人にも重荷を背負わせたのである。こうした両民族の人々が人間的に解放され、『同じ人間』として『異なる民族』として認めあい尊重しあいながら共生できる社会を築くためにも『今さら』という思いを捨て過去に反省し学びながら現在を生きる勇気が必要である。
廣岡さんの歌集に盛られた思いの一首一首が過去に目をつぶる人々の目を開き、贖罪からではなく、人権と民族性を尊重しあう心で共生する未来を築く礎石になることを祈ってやまない。

<写真説明>
1、 2012年11月に発刊された「時調唱の春」歌集の表紙。2、199
0年1月に発汗された「迎日の海」歌集の表紙。3、「時調唱の春」歌集に掲載された廣岡冨美さん。4~9、「時調唱の春」歌集の挿絵、画家・池田千恵子作。




[ 2013/05/02 07:00 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


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