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夜間中学その日その日 (289)   守口夜間中学 白井善吾

「自衛隊のイラク派遣反対」のとりくみ
夜間中学生から教員が問いかけを受けた二つ目の例として、自衛隊のイラク派遣反対に立ち上がった夜間中学生の署名活動がある。2003年12月、小泉首相(当時)は閣議決定をおこない、2004年1月9日、イラクへ自衛隊の派遣命令を出した。


1990年8月、イラクがクウェートに侵攻した湾岸戦争の時もそうだった。テレビ画面に映し出される、まるでテレビゲームのような戦闘画面を見ながら、夜間中学生は「(炸裂する砲弾の中では、)きっと私たちのような戦争孤児や義務教育が受けられなくなる子どもが生まれているはずや」「私たちよりたくさん、学校で勉強した人たちが、戦争をする」「勉強すればするほど戦争が好きになるんでしょうか?」「しかしその人たちは死なない。そうなる前に逃げてしまう。死ぬのはいつも私らや」夜間中学生が語った言葉が強く印象に残っている。何も言うことができず、ただ頷くだけであった。
自衛隊のイラク派遣の時、私が行ったクラスの授業では、準備していった教材は吹き飛んでしまった。「こんなこと日本の国ができるんですか、戦争はしません。軍隊は持ちませんと憲法に書いている国ですよ」。夜間中学生のこの発言をきっかけに、夜間中学生は話し始めた。「先生たち、歴史の勉強の時いつも戦争はいけないと話しています。今起こっている戦争についてどう考えますか?」と夜間中学生は私にも発言を促した。夜間中学生は自分の人生を重ね合わせ、語った言葉には重みがあった。返す言葉はなかった。
戦闘状態が続くイラクで自分たちと同じように義務教育が受けられず、同じ人生を歩まなければならなくなる子どもたちがたくさん生まれる。そのイラクに、自衛隊を派遣するのを私たちは黙って見ておくことはできない。夜間中学生として主張し、行動しようと声が夜間中学生からあがった。他のクラスの授業も同じ様子であったという。
守口夜間中学生徒会でも議論を行った。そして戦争を体験しその犠牲になった夜間中学生の声を届けようと近畿夜間中学校生徒会連合会に提案をし、2004年1月、生徒会として署名活動に取り組むことが決まった。
これを受けて主に教員側から生徒会の行動について議論が起こった。夜間中学生徒会の想いや考えはその通りだと思う。しかしそれは「(社会)運動」ではないか、「(学校)教育」はそれをしてはいけない。これに対し、教育と運動と分けることはできない。とりわけ夜間中学はそれをしてはいけない。夜間中学生はこの社会から生み出されてきた。その人たちの社会批判、運動は必然性をもっている。この声を届けるとりくみは、夜間中学の生命線ではないかと言う考え方だ。私は後者の考え方に立つ。
夜間中学の学びの中で生まれてきた、夜間中学生の声や取り組みを社会に届ける。それに腐心することは夜間中学の生命線だと考える。
長い人生を歩んできた人たちが夜間中学の学びを通して、社会の出来事に積極的に発した夜間中学生のコトバは重い。おそらく夜間中学で学ぶことがなければ声にだし、行動することはなかったと思う。夜間中学生は「日本の国で一番重要な法律である憲法を守れ」「耳障りの好い、人道復興支援活動という法律の名前をつけようが憲法違反だ」と主張した。
夜間中学生の立ち上がりは、各夜間中学の教員、管理職、教育行政、名前を明らかにしない府会議員の”脅迫手紙”などにより、近畿夜間中学校生徒会連合会全体の行動にはならなかった。当時の生徒会連合会の会長は団結を第一に考え、各夜間中学の判断にゆだねる、苦渋の選択をおこなった。結果的に署名は今も届けることができていない。
「授業では歴史上の出来事にはいろいろ批判や解説をしながら、それと同じことが起こっている時に何もしない。何のために勉強しているのか?」生徒会の会議で声を届けるべきだと主張した夜間中学生のコトバだ。この時の教訓は2008年から始まる就学援助・補食給食の闘いに生かされることになる。

[ 2013/04/13 20:26 ] 寄稿 | TB(-) | CM(-)


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