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コラム風「原発事故の恐怖を忘れないために」:南亭駄樂

 「まだ東電福島第一原発事故は収束していない」と国会事故調査委員会の黒川清委員長が発言したのはつい最近のことだ。しかし、私たちは、すでに原発事故をはるか遠い話にしてしまってはいないだろうか。もう一度2年間の地震・津波と原発事故を思い起こさなければならない。そのための映像や雑誌、書籍などの資料はまわりにたくさんある。
 私は『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(門田隆将著、PHP)を読んでみた。


 私は、2年前の大津波の後、福島第一原発で全電源喪失から始まった原発事故を固唾をのんで見守っていたことを思い出す。自衛隊のヘリコプターで空から冷却水をかける光景を見たときは「こんなことしか方法が残されていないのか」と絶望的になり、海水をかけると聞いたときには「原発を諦めたな」と思った。そして、爆発が起きたときには「やってしまった!」と自分が取り返しのつかないことをしてしまったかのような責任感と虚脱感を感じた。
 しかし、原子力ムラは原発を諦めてはいなかった。自公政権は現在、原発再稼働に向けて突っ走っている。果たして彼らは事故の重みを真剣に考えているのだろうか。
私たちは、原発事故を思い起こし、検証し、原発事故が何を意味しているのかを絶えず確認し続けなければならないのではないか。東電福島第一原発事故を忘れてはいけないのだ。

『死の淵を見た男』を、私は原発事故の現場におけるリアリティを感じるための資料として読んだ。そこには死を覚悟した東電社員・作業員たちの行動が著されているからだ。
 2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)が発生、午後3時41分、津波が東電福島第一原発を襲った。本書には津波襲来によって小部屋に閉じ込められた3号機作業員2人の間一髪の脱出劇が描かれている。津波の水は胸の高さまで上り、天井までの空間を水没させようとしていた。
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(p44)天井までは、あと四、五十センチだろうか。このままいけば、自分は水中に没するだけだ。
「ああ、終わった・・・・・・・・・もうダメだ」
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(p47)伊賀は、力いっぱい丸太を叩きつけた。だが、なかなか割れない。(略)やっとガラスは割れた。
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 福島第一原発は全電源を喪失、原子炉を冷却する機能を失った。その瞬間を本書は次のように描いている。
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(p49)「デイジー(DG)、トリップ!」
 若い運転員の叫び声に、一、二号機の中操(中央操作室)は一瞬、音が消えた。
「なに?」
「デイジー、トリップ?」
 それは間違いなく“あり得ることのない事態”である。デージー・トリップとは、非常用のディーゼル発電機が「トリップする」、すなわち電気が「落ちた」ということだ。地震の交流電源が失われていた中で、最後の“命綱”が切れたことを物語っている。それは、原子炉の冷却のために、最も大切なものが失われたということにほかならなかった。
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(p50・51)「SBO!」
 静寂を破るように当直長の伊沢が、そう叫んだ。SBO-Station Black Out、すなわち「全交流電源喪失」である。これは、原子炉を冷却する電気が完全になくなったことを表している。
 考えられうる最悪の事態だった。
「SBO!」
「SBO!」
 それぞれの運転員たちが、事態を確かめ合うように「SBO」という言葉を口にした。あっちからもこっちからも「SBO」という言葉が上がり、中操内に響いていった。
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(p56)「非常用電源がオフ! 停まりましたぁ!」
 それは、腹の底から絞り出した叫びだった。悲壮感を漂わせた声に、緊対室(緊急対策室)に詰めていた東電職員は、一瞬にして背筋が凍りついた。
 伊沢からの連絡を受けた緊対室の発電班がそう叫んだのである。
非常用電源がオフ--あり得ないことが起こった。
「どういうことだ!」
 所長の吉田は反射的にそう叫んでいた。
「わかりません」
「なぜなんだ? すぐ確認しろ!」
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電源喪失後、現場の仕事は、冷却をいかに行うか、原子炉を爆発させないようにするにはどうしたらいいか(圧力が高くなったらベントして圧力を逃す=放射能を外部に放出する)に集中することになった。それは、すべて初めての作業だった。そして、ほとんど人力によって行わなければならなかった。それは高線量被曝をも意味していた。次は、冷却水ラインを確保するために人の手でバルブを開けに行く場面である。
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(p78)すでに、三十分前には、GM管式サーベイメーターが振り切れるほどの放射線が検知されている。果たして、原子炉に「水」が供給されているかどうかがわからないままおこなう手探りの作業だ。恐怖心は、相当なものだったと思われる。
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(p80)電気があれば中操でスイッチを入れて動かせる電動弁である。これを原子炉建屋まで運転員が行って、現場で直接、ハンドルをまわして開けていくのである。
 それは、時間との勝負でもあり、放射線に対する恐怖との闘いでもあった。
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 翌3月12日午後3時36分、福島第一原発1号機が水素爆発を起こした。半径20キロ圏内の住民には避難指示が出された。
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(p210)その瞬間、伊沢たちの身体は、凄まじい衝撃音と共に浮き上がった。
 それは、何度も襲っていた余震とはまったく異なる突然の“激震”だった。椅子から転げ落ちる者、床に座ったまま宙に浮き、そのままズシンと落ちる者・・・・・・天井に取りつけてある蛍光灯や通風口のルーバー(羽板)も音を立てて落ちてきた。
「マスク! マスクをつけろ!」
 埃が舞い、中操全体が白っぽくなる中で、伊沢が叫んでいた。
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(p212・213)爆発の衝撃は、原子炉建屋から四百メートル離れている免震重要棟でも凄まじかった。(略)
 汚染の数値は、当然ながら急上昇した。
「爆発のあと、10万カウントまで測れるGM管式サーベイメータが振り切れる状態で、測定上限値になりました。免震棟の玄関ドアのガラスの内側で、ガンマ線の線量として3ミリシーベルト、外には瓦礫がボンボンと降ってきましたけれど、外に行って測ると、瓦礫によっては6ミリシーベルトとかの線量を持っているものが沢山ありました」
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 以上のほか、緊迫した情勢の描写は至るところに見られるが、ここは本書の紹介ではないのでこの辺にとどめ、あとは読んでいただくことにしたい。

 ここで、私が言いたいのは、これらの緊迫した情勢はいまだに続いており、それは原発そのものが持つ本質によるものだということである。すなわち、私たち人類は、軍事、平和利用にかかわらず、核エネルギーを制御できていないということであり、そのことを認識しなければならないということだ。
 人間は想像する動物である。現実に福島で起きたことを想像し、その本質を想像し、今後私たちが歩むべき道を想像することができるはずだ。そのために、東電福島第一原発事故を忘れてはならない、ということを再度訴えたいと思う。
[ 2013/04/13 16:53 ] 南亭駄樂 | TB(-) | CM(-)


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