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メデイアウオッチング「猿沢池の柳の枯れ死に寄せて」:鄭容順

朝日新聞の2013年3月13日の新聞に「猿沢池のヤナギ 謎の枯れ死」という大見出しが目にとまった。風情のあった猿沢池のしだれ柳の30本のうち3分の1に激減したという記事だった。

猿沢池柳と観光客2013-4-2-撮影

猿沢池の花見-2013-4-2撮影

室町時代には南都八景にも選ばれ芥川龍之介も小説にとりあげたほど多くの人に親しまれたしだれ柳、奈良県の観光スポットは猿沢池としだれ柳だった。
多くのカメラマニアたちが猿沢池を背景にしてしだれ柳を入れての撮影したものだった。興福寺の五重の塔を背景にした景観は奈良という歴史ある風情をだしていた。
1980年代半ばまでしだれ柳はすだれのように垂れて揺れていた。
筆者はしなやかに揺れるしだれ柳に生きる強さとたおやかに優しく生きることを教えられているようだった。

その昔、素性法師(そせい)は平安時代前期から中期にかけての歌人・僧侶、桓武天皇の曾孫、三十六歌仙のひとりは猿沢池の柳を歌にしている。
桜が春の花なら 柳は地味ながら春の緑の代表したことを歌に詠んだ。
<見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なり>

近年は猿沢池まで足を運ぶことが少なくなって「猿沢池の柳が枯れ死」をしていることはまったく知らなかった。新聞記事を見て驚きなんとかもう1度、しだれ柳を植えて元の景観に取り戻せないものかと思った。

新聞記事によると枯れ始めたのは10年ほど前からという。
土を入れ替え2006年に6本、2009年に10数本を植え替えたが数年で大半が枯れ死した。残る9本も推定樹齢50年のものが多く他のしだれ柳は植え替えられたもの。しかし現在はしだれ柳も長く力強く垂れ下がったものがなくひ弱なしだれ柳になっている。
奈良県はその原因について昨年12月、犬の小便や病虫害などの影響を推測して土の成分、保水性、酸性度を調査したが問題はなく原因不明という。
原因の1つとして考えられるのは水の問題で池の周囲はかつて土だったのを1965年、アスフアルトに舗装された。池も護岸の石積がコンクリートで固められた。
そして交通量も増えてどこかで水脈が詰まっていてしだれ柳に水が届かなくなっているとも考えられている。奈良県は「猿沢池は奈良公園の顔です。なんとか原因を究明して柳が茂る景観を取り戻したい」と話している。

ひ弱なしだれ柳-1

枯れ死した柳の後-1

枯れ死した柳の後-2

猿沢池のしだれ柳の枯れ死に胸を痛めている人が多くいます。
枯れ死について「声」を寄せて頂いたのでここに紹介します。

奈良市奈良町の「よつばカフエ」の松本よしえさん
「そういえば奈良に来た数年は春になると、あのゆらゆらとした柳のある風景と独特のにおいに季節を感じました。今回のこのニュースに猿沢池の柳を思い出しました。慣れ親しんだ自然の風景が失われるのは寂しいです。猿沢池に柳があることが当たり前すぎていました。あることに感謝を忘れているといつのまにか無くしていることがあるのですね。大切にしないといけないと改めて認識しています」

奈良市の尾崎恵津子さん
「猿沢池の柳は60数年前に小学校の修学旅行の思い出の中にあります。若草山に登って興福寺、猿沢池の行程でした。猿沢池の柳の枝が風になびいていたのは長い黒髪が風に靡くがごとくとても美しく感じたものでした。結婚後、奈良に移り住みました。絵画に興味を持ち写生に行くと柳の葉が少ないのに驚きました。
近頃は池の周りをコンクリートで固め、樹木に雨水の浸透が儘ならない状況が続いているのではないでしょうか。猿沢池の柳の枯れ死と聞いてこれは『自然環境と観光を目指す奈良の美しさ』を考える時、行政と県民が一丸となって考えなければなりません」

奈良市の梅本咲子さん
「私も含めて奈良市民の『奈良を愛する心の欠乏』です。無関心だと思います。観光都市と名打っている奈良です。最も大切にしなければならない猿沢池、ましてや衣掛けの柳は他府県から嫁いできた私に姑が一番先に案内した場所です。
姑から言い伝えの言葉として聞きました。
奈良の人が早起きなのは---と、『石子詰め』の話しました。覚えやすい奈良の伝統文化を語り継ぐ使命を覚えます。子育て時代にも興福寺の階段と猿沢池は忘れられません。子どもたちと鯉に餌を与えていた光景もいい思い出として今も残っています。
私としての提案ですが
[市民も無関心ではいけないのですが、先ず行政の責任ある対処をお願いしますと、同時に解説用立看板を取り付けて歴史の中に色付いている伝統文化を大切にして下さい]

奈良市の中村愛子さん
「猿沢池としだれ柳。猿沢池とその畔の枝垂れ柳は一体となって古都奈良のひとつの景観を作り上げている。この池の畔のベンチに座って私はよく体を休ませたものだ。目を閉じると大分以前、秋に見にいった「采女祭り」を思い出す。
池に龍頭の船がいくつか浮かび昔の装束の人々が乗っていた。赤々と松明が池面に映え、夢のように美しかった。そして池の周りの枝垂れがそよぎその風情をいや増してくれる。
その枝垂れ柳がここ十年程で大分減ったそうだ。謎の枯れ死とのこと。采女が入水の時、衣を掛けたという柳の伝説も消えそうである。県には一刻も早くその対策を立てて欲しいと私は願っている。

ここで参考のために「石子積め」の伝説を紹介します。
猿沢池を越えていくと土手の土塀沿いに「傳説三作石子詰之跡」と書かれた木標と説明版がある。
≪むかし、興福寺の菩提院大御堂のそばに寺小屋があり、ある日、その子どもたちの一人、三作(みのさく)が習字をしていると鹿がやってきて草子をくわえていこうとした。三作は鹿を追い払おうと、けさん(文鎮のようなもの)を投げつけたところ、打ちどころが悪くて鹿が死んでしまった。
奈良の鹿は神の使いとされ当時は「鹿を殺せば石子詰め」といって、死んだ鹿と一緒に生き埋めにされることになっていた。
13歳の三作もこの罪から逃れられない。三作の母親は大変に嘆き悲しんだがどうすることもできない。その後、母親は三作の供養のために明け7つ(午前4時)と暮の6つ(午後6時)にあわせて13の鐘を鳴らして自分がこの世を去った後の香華のためにと紅葉の木を植えた。これが鹿と紅葉の取り合わせの所以かも。
そして奈良の早起きは昔から有名、朝起きて自分の家の所で鹿が死んでおれば大変なことになるため競って早起きしたといわれている。そのため今も早起きの習慣がついているといわれている。

もう1つ猿沢池の七不思議を紹介します。
猿沢池の水は決して澄むことなく濁ることもない。水が流入する川はなく流出する川もないのに常に一定の水量を保っている。亀はたくさんいるのになぜか蛙はいない。藻も生えない。毎年多くの魚が放たれているので増える一方にもかかわらず魚であふれる様子がない。水より魚の方が多くてもおかしくない池です。それで「澄まず」「濁らず」「出ず」「入らず」「蛙はわかず」「藻は生えず」「魚が七分に水三分」。
興福寺が行う「放生会」の放生として749年(天平21年)に造られた人工池、「放生会」とは万物の生命を慈しみ捕らえられた生き物を野に放つ宗教儀式である。古代史から行われている宗教儀式にいつのまにか七不思議が宿ったのだろうか。歴史とともに歩んだ猿沢池の景観は決してなくしてはならないと改めて行政に対して早急の対策をお願いしたいものだ。

猿沢池インターネットから

筆者の猿沢池との思い出は高校時代(1960年から1962年)、友人たちと国鉄奈良駅に出て三条通を歩いて猿沢池に来たものだった。当時、柳の木はそこにあるものだと思っていた。そしてしなやかに揺れる柳に見とれていたものだった。自分の住んでいる町にない景観に見とれていた。
ここから興福寺に向う石段を上って興福寺の境内を歩いた。
そして春日大社参道を歩いて飛火野に行ったものだった。
結婚して子育てをしている時、子どもとジャンケン遊びをして興福寺行く石段を上ったものだった。
雑誌記者(1982年から1987年)になって猿沢池には何度も訪れた。
辛いことや悲しいことがあると猿沢池に来ては柳のしなやかさとたおやかさにふれた。「強く生きないと。強くならないと」と、そんな言葉が聞こえてきそうで元気をもらったものだった。
そして在日韓国人の中で仕事をするようになってから「柳」の韓国語は「ポドル」と知った。韓国の伝統舞踊を成業にする大阪市内の舞踊団体の名称が「ポドルへ(会)」です。在日韓国人2世の女性が代表している。しなやかに優しく芯のある舞踊表現の現われではないのかと彼女たちの舞踊を観賞している。しなやかにたおやかに柳が風に揺れていてもしっかりと幹は強いという姿にも似ている。

猿沢池の柳の枯れ死に心が痛く今回はこの素材を取り上げた。企画に協力して下さった「声」にとても感謝しています。
猿沢池はしだれ柳と一体になっている景観です。しだれ柳と猿沢池は対の風情で奈良の景観をさらに深くしている。もう実態調査に入って対策を検討されているかもしれないが景観の復帰に1日も早く取り組んでもらいたいものだ。

また地元の人から聞いたことです。
「鴻池競技場周辺の桜並木の所も根元がない所が目立ってきている。早く実態を調査して鴻池の樹木の景観を壊さないで下さい」という声もここに伝えておきます。

写真は2013年4月2日、午後1時半頃、猿沢池に行って撮影したもの。ひ弱なしだれ柳とかつてそこにはしだれ柳があった根元、枯れ死しているので切り倒されたのだろう。

写真説明、2013年4月2日、午後1時半頃、猿沢池に行って撮影した。
1・2、猿沢池の畔で休憩する人やお弁当を食べる人で賑わい鳩が観光客を迎えていた。3.4・5は現在のしだれ柳と枯れ死した根元です。6、インタネットで検索するとしだれ柳が生い茂っていた。1980年代に撮影されたもの。
[ 2013/04/09 07:29 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


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