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夜間中学その日その日 (283)   拳編集委員会

第15回みんなで語り合う会
「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」梅の便りが届くこの時期、1年間の学校行事も最後の1カ月を残すのみだ。
今の学校は4月に始まり、3月に区切りをつけ、年度が替わる。卒業式、入学式がその区切りの象徴だ。卒業生があり、入学生がある。昼の学校ほどでもないが、夜間中学にも年度末はあわただしい。


天神さんの命日、2月25日、守口夜間中学では夜間中学生同士が一堂に会し、本音で話そうと「みんなで語りあう会」が開かれた。会場には「武器になる文字とコトバを!」大きな横断幕が飾られている。もちろん、運営、進行すべて夜間中学生自らが行う。
「生徒会活動が大切であることを訴え、多くの仲間が参加し活動を行っています。夜間中学は運動でできた学校です。髙野雅夫さんがいなかったら、守口夜間中学は存在していません。今日のテーマは“私にとっての夜間中学とは?”です。一言でも発言し意見を出し合おう」生徒会長の呼びかけで進行していった。
今年卒業を迎える夜間中学生は「電車の色で乗る電車を覚え、降りる駅をまわりの景色で覚えた」「カバンに包帯を入れ、会社では、手に包帯を巻いて、書けないことを隠してきました」と夜間中学にたどり着く半生を語った。発表を聞き入った夜間中学生から「よう読めた。頑張ったね」激励の声が飛んだ。
「全国夜間中校研究大会で髙野雅夫さんの母校を訪問した」「(学校で鑑賞した)映画『おじいさんと草原の小学校』の主人公マルゲはケニアの夜間中学生だ。私たちの仲間だ」「夜間中学との出会いは私の運命の出会いだ」と発表した。「キムさんを生徒会に誘ったのは私です。よく頑張ったね」大きな拍手が巻き起こった。
「私の母は奄美大島の出身です。戦争が終わっても、日本に帰ることができず、中国に取り残されました。中国人と結婚、いたずら坊主の私が生まれました。文化大革命で中学1年生から農業の仕事でした」日本語が話せないまま、帰国後すぐ働き始めました。中国人はたった1人の職場でした。仕事中、大けがをし、やめさせられた。公民館の日本語学習に参加した後、夜間中学に入学した。「私たちに日本語の勉強は大切です」「夜間中学が大好きです。交流や行事に積極的に参加しています。夜間中学の活動に協力したい」「亡くなるまで勉強です」。この発表に促され、中国からの帰国者もたくさん意見を述べた。
学校に行く年齢の時「文化大革命がはじまり、全然勉強が出来なかった。友達に教えてもらって、夜間中学に来た。この学校の存在は不思議なものです」「3人の発表を聞いて感動した。私と同じことを言ってくれました」「日本語ができないと、仕事で本当に苦労します。夜間中学に来る時が一番うれしい」「まもなく卒業する。年齢の関係で、学んだこともすぐ忘れる。この学校が永遠に存在することこれが日本への希望だ」。日本語が十分でない仲間のために、通訳や翻訳を引き受けてくれた人も夜間中学卒業生だ。中国語と日本語、言葉の壁を取り除き、夜間中学生同士の理解が大きく進んだ。
「フィリピンで毎日さびしかった。いじめられた。どうして日本人がフィリピンにいるのかと」「日本人なのに日本語ができない。日本語を勉強して自分の言葉でもっと話したい。そしてわかりあいたい」このように、自分の言葉で、しゃべった。
マイクをむけ、仲間の発言を促す役目をした夜間中学生は「私も奄美大島の近く、徳之島が故郷です。言葉が違うことで苦労しました。夜間中学と出会い、みんなと出会い、このようにマイクを持って、話ができるようになりました」と意見を述べた。
生徒会長は「2013年守口夜間中学は開設40年を迎えます」「髙野さんは、『夜間中学は本音が言える場所だ』と言っています。これからも運動を続けていきましょう。今日はありがとう」このようにまとめた。
100分の時間があっというまに過ぎた。19人の仲間がマイクを持って、自分のコトバでしゃべった。夜間中学生同士が繋がりあうことができた行事に編みあがった。校門横の白梅は間もなく見ごろを迎える。

[ 2013/03/07 09:44 ] 寄稿 | TB(-) | CM(-)


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