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コラム「風」日朝正常化交渉がカードにー北の核開発に対して:川瀬俊治

どうして朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮共和国)が核開発に傾注したかの歴史的経過をしることは重要だろう。チョウ・コンボクという学者が「北韓の核政策」という論文を書いている。この論文に依拠するが、メディアがほとんど論じていないことでもある。


 アイゼンファー大統領が53年に「核の平和利用」宣言を出してから2年半後になるが朝鮮はソ連と56年に核関連共同研究機関に関する条約を結んだ。この条約で朝鮮は30人の研究者をソ連に送る。ここで朝鮮の研究者は核技術についての教育を受けた。58年1月にはキルジュ郡近くに核兵器訓練センターを建設でソ連の支援を受けた(チャン・ジュニクの研究から)。翌59年には朝ソ原子力条約に署名した。

 63年にはソ連式原子炉IRT-2000の建設をはじめ65年に完成させた。これが原子力発電所稼動を意味しない。というのは金日成が74年に中国を訪れ中国に核開発プログラムの支援を求め、84年にモスクワを訪れた金日成は電力不足解消のため原子力発電所設立のためのサポートを要請したことからも原子力圧電所稼動ではないことがわかる。

 ソ連から圧力も受けた。核非拡散体制(NPT)の加盟だ。朝鮮共和国は92年までIAEAの査察は拒否してきたが、ソ連との経済技術条約を結ぶ代わりにNPTに加盟した。さらに代償としてソ連は軽水炉四基建設を約束した。85年のことだ。しかし、ソ連の財政事情悪化で88年計画は解消された。核問題の南北の差は歴然としている。88年といえばすでに韓国の原子力発電の現行体制が出来上がっていた時期だ。

 朝鮮戦争後の58年アメリカは戦術核を韓国に配備した。以降、朝鮮はアメリカの核の脅威を受けてきた。そこで61年にソ連、中国と友好条約を締結したのだが、中ソとも「核の傘」の提供をしなかった。戦術核を配備しなかったということか。

 中ソが「核の傘」まで朝鮮共和国に配備しなかったことが、韓国が90年代初頭、両国と条約を結べることになった背景かもしれない。ところが朝鮮共和国は2大資本主義圏の日本とアメリカとの条約を結べなかった。日本の「北朝鮮バッシング」でわかるように、またブッシュ大統領の「悪の枢軸」で鮮明なように、日米両国の戦思考が強固に極東政治を差配したからだ。

 朝鮮共和国が最後の頼みどころとして核開発に集中したのはこうした経過がある。ここで問題にするのは日米の冷戦思考だが、米ソを軸とした冷戦思考ではない。日本も軸としているところに特徴がある。その克服として6か国協議のスタートがある。もうとっくに忘れ去られていうr6か国協議を今後どうして再開するか。最終目標は朝鮮半島の非核化だが、日本の立ち居地は決まっている。脱冷戦思考だ。安倍―オバマ会談をみてもわかるのは益々強くなる冷戦思考だが、拉致事件解決と日朝国交正常化は別のスタンスで進むべきだ。日朝国交正常化が交渉のカードに日本は掲げて行くことではないか。
[ 2013/03/02 23:17 ] 川瀬俊治 | TB(-) | CM(-)


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