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コラム・風「春まだ浅く…」:片山通夫

 春まだ浅く 月若き 命の森の夜の香に
あくがれ出て 我が魂の 夢むともなく夢むれば
狭霧(さぎり)の彼方そのかみの 望みは遠くたゆたひぬ



 石川啄木の《雲は天才である》という作品に含まれている詩だ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/4097_9491.html
さて、異常に長いというか、寒い冬が終わろうとしている。こんな時期にふと思い出すのが、啄木のこの詩。

 啄木が《雲は天才である》を書いたのは、1906年のことだった。この前年には日露戦争が終わって、南樺太をロシアから割譲を受けた。
 おそらくその頃の我が国は、朝鮮半島を併合し、樺太を手中にして意気軒昂だった。それもロシア帝国という大国に勝った勢いは国民を鼓舞したことだったろう。

 その頃の世情のなかで書いた《雲は天才である》には、当時の啄木が日露戦争に勝利し、朝鮮半島を植民地にしたことを素直に喜んでいた。啄木は岩手日報に「戦雲余録」(1904年3月3日-19日)を断続的に掲載していた。《世界には永遠の理想があり、一時の文明や平和には安んずることができないから、文明平和の廃道を救うには、ただ革命と戦争の2つがあるのみだ》と断じていた。また《今の世には社会主義者などと云ふ、非戦論客があって、戦争が罪業だなどと真面目な顔をして説いて居る者がある…》と書き、幸徳秋水や堺利彦らをばっさり切って捨てている。啄木は《露国は我百年の怨敵であるから、日本人にとって彼程憎い国はない》と書き、ロシアに対する反発も強かった。

 ところが啄木は一転して反戦派に変わった。何があったのだろうか?
 日露戦争講和後、大逆事件が発覚(1909年年6月)した後、幸徳秋水の「平民新聞」を調べ、トルストイの戦争論を書き写し、考えたというか、目を見開いたようだった。無造作に戦争を是認し、かつ好む「日本人」の1人だった事を告白、トルストイや幸徳秋水らを切実に思うようになったと言えるのではないか。
 
そして啄木は詠んだ。(一握の砂)

 地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつつ秋風を聞く

《春まだ浅い》夜に啄木を思いつつ・・・。

[ 2013/03/09 08:40 ] 片山通夫 | TB(-) | CM(-)


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