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奈良おんな物語《26》「歌人・水野智子」中:鄭容順

「歌人前登志夫との出会い」
「結婚後は平凡な主婦として年を重ねてきました。子育てを終えるころ、新しい心のより所を探し俳句、書道、俳画などいろいろに試みていましたが、ある時ふと手にした短歌雑誌に掲載された『山家日記』というエッセイに激しく心ひかれました、ある朝、新聞を開くと朝日カルチャー講座の講師の中にそのエッセイの著者の名前を見出したのです。即座にその講座を受講することにしました。それが短歌の師、前登志夫先生との出会いなのです」と話す水野智子さん。


前の偲ぶ集い-中5

前の偲ぶ集い-中6

~「山家日記」は後に名著『存在の秋』(小沢書店)として刊行され現在は「講談社学術文庫」にもおさめられている~
「先生の講座は短歌教室というより快い講話を聴く会のようでした。
まず『ヨダカが山家の谷へやってきて鳴いきました』と語りはじめられます。
私は、まずその声の『韻き』に魅了されました。そして『キョ、キョ、キョ』と澄んだ声でねぇ。鳥のさえずりというより、小石と小石を打ち合わせるような清冽な声で、古代の雅楽に用いられた磬(けい)という石板をうちならすのを連想するんですよ。それに今年初めてのホトトギスも鳴きましてね。去年より1週間ほど遅かったが」というように、吉野の山の風と香りをそのまま運んでこられるようなお話から始まるのです。
作歌の方法というより、まず歌うべき心を育てて頂きました。そして現地講座では日本の原郷ともいえる吉野、熊野の自然に分け入ってその土地からの呼びかけを全身で受け止め、味わうことを身を持って教えて下さいました。
先生はそれを『古代感愛のこころ』と名づけておられます。(水野智子さんの談)前登志夫さんの自然との会話に魅せれ自然の触れ合いの大切さを筆者にも説いて下さった。なるほど。吉野山には古代からずっと息づいている山の神さんがいるうな気がした筆者です。

阿蘇山、中3

山歩き-中4

水野智子さんの学んだ大学の当時の学長は日本有数の万葉学者、高木市之助氏で名著『吉野の鮎』の著者でもある。
後に「『吉野の歌人前登志夫』の教えを受けることになったとき、深い縁(えにし)を感じずにいられなかった」とも水野智子さんは語っている。

歌碑-金峯山、中12

歌碑、金峯山、中13

前登志夫 歌人 (1926~2008)

奈良県下市町生まれ。山の暮らしの中から、格調高い、自然と人との歴史の時間が交わる多くの名歌を詠んだ。芸術院恩賜賞、毎日芸術賞、読売文学賞など、受賞多数。『子午線の繭』『縄文紀』』『野生の聲』『大空の干潮』ほかの歌集、また散文の名手でもあり、紀行文など特に人気が高い。
『吉野紀行』『森の時間』など出版多数。金峰山を始め、各地に、歌碑も多くある。奈良県内の学校など校歌の作詞も多く、各メディアはその訃報を「櫻の咲く頃に西行のように死去」と報じた。


歌碑、高見山、中14

歌碑-黒瀧村、中15

金峯山の歌碑について、ホームページ

「夫の逝去」
1987年、水野智子さんが54歳の時に夫と死別された。

「短歌に支えられて」
ご主人の逝去後、短歌の師、前登志夫先生の「『短歌をバネにお心を癒されますように・・・』というお手紙に励まされて歌を詠むことで自らの心の均衡を保ってきた」と歌集のあとがきにも書いておられるが、それからの長い年月を、前登志夫先生の主催する結社「ヤママユ」の同人会員となり、日々精進を続けてこられた。そして2003年に夫の十七回忌を記念して、歌集『もう一つの窓』(不識書院)を上梓されたのです。

歌集『もう一つの窓に』には、師の前登志夫さんが「生の豊かさ」と題して「序文」を寄せておられる。

もう一つの窓の表紙-中7

もう1つの窓、前さんの文、中8

もう1つの窓、短歌、中9

もう一つの窓の目次中10

ここにその一部を紹介します。

「著者である水野智子の世界には、生の豊かさの深い輝きがある。静謐であり、主張するところの淡い言語空間であるが、不思議な豊かさに溢れている。
事物の多様な明暗や、その表情の細やかさ、まれなる奥行きの透明さによって
魂の癒しをおぼえる。

○新年を祝ぐ獅子頭口閉づるときあたたかき木の音のする
○かなかなは沁みて哀しき盲ひたる父のめぐりに日暮れを運び来
○高空を恋ふるかたちに水分(みくまり)の森の水引草(みずひき)茎立ちにけり
○この闇に芽吹くものあり稜線のかなた明るむ春の稲妻

あるがままに歌われているが深く充実して動じるところがない。日常の事物がそのまま形象なのである。本当の暮らしの中に息づく文化とは、そういうものだと思っている。
著者の知性と感性のバランスの良さは抜群の資質だと思うが聡明な主婦でありつつユーモアがあり周りを明るくしてくれる。水野さんの民話などの語りのうまさは並々のものではない。
―中略―
・・日常身辺の現実をうたわれるときも節度があり、内部の豊かさを熟成させてこられたと思う。病気で壮年にして斃れられなければ、おそらく大企業の頂点に立たれたであろうご夫君の歌にも、落ち着いたものがある。

○相対死ひそかに恋ふれば梅雨の裡ひっそりと夕茜する
○遠山に垂るる稲妻見てあればかすかに鳴りぬ君の氷枕
○む黙なる夫に蹤き来て大海鼠買ひしは去年の大歳の市

直截に悲哀を叫びあげるよりも、事物や風景のイメージによって、こころを抒べている。全体が叙景歌のようにみえるが、この歌集の一木一草は象徴性を帯びているのである。・・・

◎雪となる前の静けき大杉に来たりし鴉の白き息見ゆ
◎ひきしぼりきりきり空に放ちたるひばりいつしか夕星(ゆふづつ)となる
◎幼年の夢のはざまにこぼれたるは死を齧りて歯の欠けしこと
◎雲出川大きく撓み流ゆく伊勢の広野に麦青みたり

おわりに家族と歌と、おのれの孤独を存在の奥処にみつめている歌をそれぞれ一首ずつ引用して結びとしよう。
◎真二つに切りし西瓜の朱のいろしんと見つめて家族はありき
◎もうひとりのわたくし眠る黒き森に夜すがら鳴きて夜鷹はありき
   2003年   七夕過ぎて             前登志夫  

ヤママユ―中11


                結社誌「ヤママユ」には歌誌「かりん」の小高賢氏が「均整という美質」と題して水野智子さんの歌集の批評を書いている。
「作者が作品の隅々にまで気を配り,ていねいに造型していることがよくわかる、作品のすべてによく鉋がかかっているのだ。・・・・伝統を引き継ぎながら、淡彩画的にさりげなく提出されて、逆に、読者が感情移入してしまうのである」と述べ「非常にレベルの高い歌集である。短歌をやっていてよかったという作者の思いも良く伝わってくる」と述べている。

○傍示といふバスの終点(はて)までゆきたしと常思ひをり 来てみれば秋
○単線の鉄路うつすら錆うきてもう来ないのか次の電車は
○白絹をますぐに裁ちてためらはぬ母の鋏をわれは怖れき  小高賢 選

次にご主人の病床にある苦しい日々を詠まれた歌の中から水野智子さん、筆者の心に残った歌を何首か選んで見た。

◆夢に見し茅萓(ちがや)の花は淋しかり君去りゆくと見つつ醒めにき
◆麻酔より醒めつつあるやガラス戸の彼方に夫はかすか身じろぐ
◆夫の死を告ぐる日やある廊の果てに夜半を点れるみどりの電話
◆病む夫の遠くにありて眠る夜の闇を打ちつつ鳴けり夜鷹は
◆いたつきに鋭心(とごころ)消えて幼き日の食べ物せちに夫は欲りする
◆春風と共に入り来て蝶のごとナースは夫のうすき血を抜く
◆濯ぎ物あまた干したる窓を過ぎしそのまぎれなき日常を恋ふ
◆かたまりて数人の客降りしのち柩のごとき夜の電車よ
◆死に近き眠りの裡になほも生ふる顎髭を子と剃りつつ黙す
◆玉の緒の絶えし静寂(しじま)に寒蝉の鳴くと聞きしは空耳ならず
◆一つまたひとつ管を外されおもむろに死の静寂に入りゆく夫か
◆二羽の鳶ゆるらに浮かべ澄む秋の気流に乗りて君は逝きけむ
◆君の頭の重きに耐えし掌底に今朝晩秋のみずをくむかな。

筆者は水野智子さんが病床に伏す夫の看病の日々、心がチリチリ刺すような不安に揺れながら、すでにすべてについて覚悟しておられたのか。見事な短歌とその観察眼の鋭さにお会いしたときの印象とまた違う水野智子さんを見るようだった。温かくて優しく穏やかな中にも現実を見据える確かな眼を持つ知的な一人の女性でした。
筆者は「一つまたひとつ管を外されおもむろに死の静寂に入りゆく夫か」の歌に、夫の死に直面する彼女の心情を想像して目頭が熱くなった。

「長女 みずのまさこさんのこと」
夫の十七回忌には長女の「みずのまさこ」さんも歌集『Mather Leike』を出版しておられる。
彼女は京都薬科大学卒業後、薬品会社の研究室に勤務の傍ら、母と同じ頃に短歌を始めた。武川忠一主宰の結社『音』に所属している。
現在は管理薬局に勤務、また主婦として母として家庭を守る傍ら、歌人としても評論に、作歌にと活躍中である。そして語り聞かせの会で若いお母さんや子どもたちに絵本の朗読をするなどパワフルな女性です。
彼女の歌集から2、3紹介します。

◆ 人と人戦ひてのち火を運ぶひとりがわたる風の草原 『Mather Leike』 
◆「おかあさん僕はどこからきたんだろう」湖見ゆる窓閉ざさずにおく
◆ かくまでに出勤時間をきにかけて父は最期に腕時計見る

―最近の作品から―
◆ 若鮎を食してのちのダイニング琵琶湖の鮎は琵琶湖のにほひ 『魔法時間』
◆ 信長が初めて象を目にせしはこんな明るい秋の日ならむ
◆ 月の夜はざらりと怖い人知れぬ願ひがふいに叶ってしまふ
◆ オホカミも野犬も狩られこの国の野獣はなべて二足歩行す
◆ 左岸より花充ちてくる三月は雪の記憶を埋めるやうに
◆ やがて来る独りきりの夜のためまずは小さきなべを磨かむ
◆ 階段をゆっくり歩む子と母と 後から気づくしあはせもある
◆ 林檎パイたっぷり匂ふキッチンの魔法の時間まもなく終る

「ご子息のこと」
ご子息は母親の体調管理者であり、その手術も自ら執刀するなど気丈な外科医である。静岡に住んでいるので水野さんは毎月、検診のかたわら家族とともに過ごすために奈良と静岡をいったり来たりの生活をしている。
新幹線での往復は小旅行の趣があり、窓外の風景を楽しみながらの時間は短歌を作る時間でもある。ご子息は医師になってから病院の新人紹介のインタビユーに「歌って踊れる医者になりたい」と応え、熱烈なドラゴンズファンでもあるという。なかなかユニークなお医者さんのようだ。

次に水野智子さんがご子息に捧げた歌を紹介する。

◆ドナーカードにサインはするなと言ひけるは医師にしてわが息子なりけり
◆歌って踊れる医者になりたい 百本の薔薇を送らむそんなおまへに
                 『もう一つの窓』
―医療行政に苦慮する息子―
◆かにかくに憂き世と言へり救急の一人救へず帰り来たりて 
◆ドラゴンズの優勝のみを生甲斐とするか深夜の観戦 ビール

歌集『もう一つの窓』には約15年間の歌400首が掲載されているその中から筆者の心に響いた歌をもうすこし抄出します。

◆耕せば猫も穴掘るふくふくとひかり吸い込む春の黒土
◆バアチャンと自ら呼びてふはふはの赤児を抱く我におどろく
◆あかあかと沈む夕陽に真向かへば抱きし赤子は、あ、と声をあぐ
◆御堂筋に向く窓なべて閉ざされて最上階はまだ日くれず  
◆この闇に誰と遊ぶや母のこゑ鉄道唱歌は品川あたり  
◆巣立ちたる燕をりをり帰り来て夢の中まで零す土塊    
◆ のりこぼし坊に溢れてあを澄める僧のうなじに寒きはまれり
◆ 大湯屋にこよひ煙の立ち初むる試別火(ころべっか)なる清き飲食(おんじき) 
◆ さやさやと紙子(かみこ)ふれ合ふ音のして霜降る夜の眠り浅けれ
◆「雲出川(くもづがは)大きく撓み流れゆく伊勢の広野に麦青みたり
◆ ここ過ぎてひとつ駅の名かなしめり「白子、白子」と呟きつつ
◆ 独楽廻す術を知らざる少年の指ひもすがらマウス操る
◆ タマゴッチのひよこがピピと餌をねだる昼臥しの児のポケットの中
◆ どんぐりを音符のやうに並べてももう歌はないわたくしの森
◆ 襦子、朱珍、みそらの蒼の裳(チマ)、赤古里(チョゴリ)ひさぐオモニの遠き眼差し
◆ 「香りよき街百選」に選ばれし焼肉の香の満つる鶴橋
◆ ごつた煮のこの街やき干海鼠入りのキムチを夫と求めき
◆ パンソリの恨(ハン)の呟き底ごもり沸々たぎる大歳なりき
◆ 真二つに切りし西瓜の朱のいろしんと見つめて家族はありき
◆ なにもかも消えてしまったあの夏のムカシトンボの銀の編隊
◆ スニーカーの紐締めなほし歩きゆかん使用可能の手足まだある

<写真説明>1・2、前登志夫の追悼会で作成された資料から(2012年4月17日、音声館で行われた)3・4、阿蘇山の麓(阿蘇火口にて・ヤママユ夏季研究会)や山歩きでの撮影、山歩きなどをして自然から短歌の素材を感じ学んでいく。前登志夫は3の写真は左から2人目、4の写真は右端。5・6・7・8は前登志夫の短歌が刻まれた歌碑、⑤・⑥、金峯山、⑦高見山、⑧黒瀧村。
9、水野智子著書「歌集―もう一つの窓」の表紙、10、前登志夫が寄稿した「序」、11、水野智子作の短歌、12、著書の目次、13、山繭の会から発行されている「ヤママユ」
[ 2013/02/28 07:00 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


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