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映写室「千年の愉楽」佐野史郎さん・高岡蒼佑さん・井浦新さんの合同会見:犬塚芳美

―若松孝二監督の遺作― 

 若松孝二監督の訃報が届いたのは去年の秋です。前作「11・25自決の日」のキャンペーンで、「まだまだ撮りたいものがある。賞も狙っていく」と、お茶目に話して下さったのに、3月一般公開の「千年の愉楽」が遺作になってしまいました。

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©若松プロダクション  


<物語は>、いまわの際の、一人の老婆の回想の形で始まります。まるで監督の思いであるかのように、物語は時を超え、生と性をつないで、あの世とこの世の境目をなくしていくのです。紀州の路地の片隅に住む老婆オリュウノオバ(寺島しのぶ)は、この地域のたった一人の産婆でした。彼女の頭をよぎる美しい男たち。自分の美しさや生を呪う様に、女たちと快楽を貪り、命を果てさせた男たち。そうせざるを得なかった男たちの苦しみを、オリュウノオバは、否定も肯定もせず、ただ黙って自愛の目で見続けてきたのです。

 <原作は監督の長年の友人、中上健次さん> この映画の根底に、被差別部落の問題があるとは、一見しただけでは解らないのですが、言葉を味わい、言葉を探ると、底の方から閉ざされた世界の悲しみと、悲劇が浮かび上がります。まずは人間を描いて、後で浮かび上がる社会問題。反権力で、弱い者の味方を自認する若松監督の、面目いかんとする遺作となりました。
 会見に、いつもは先頭に立って引っ張るその人はいません。不在だからこそ感じる存在の大きさ。出演者と記者たちの、監督を偲ぶ会のようにもなりました。誰もの脳裏に、あの人懐っこい顔が浮かんで消えないのです。

《佐野史郎さん(オリュウノオバの夫で地域の僧侶役)》
<撮影中はこれが最後の作品になるとは>、思っても無かったのですが、振り返ってみると、今までの監督とはちょっと違っていました。撮影現場に、穏やかなゆったりとした時間が流れていたのです。そういう時間を監督と共有できて幸せでした。
 <作品はファンタジーの形をとりつつ>、この地に住む人々のありようを、深いところまで描いています。原作の中上さんの出自に重ねてやっているわけで、根底には被差別部落の問題があるわけです。監督は、このところの、日本が揺らいだ、昭和のある年代の若者の3部作で、再び脚光を浴びたけれど、監督が一番やりたかったのは、この作品だったのではと思いました。次の構想もありましたが、この作品に監督の思いがすべて入っている気がします。

 <監督はロケーションの場所を>とても大事にされます。撮影に入る前に、物語の舞台になる地方をくまなく調べ、自分の庭のように知り尽くされるのですが、今回も、三重の須賀利と言う、陸の孤島のような場所を見つけて、とても喜んでいました。須賀利の風景を前にして、「ここがいいんだよ」と嬉しそうに言った、表情が忘れられません。
 <演技で言うと>、監督は何事も押し付けず、自分で考えなさいという姿勢の方です。役者としては辛いのですが、自分を出そうとすると、そんなものはいらない。役になれといわれました。でも監督に言われると実に説得力があるのです。そして、せっかちですぐにカットを言います。今回もそうでした。でも台本を読んでいると、ある時には、まだ次のカットが必要なのがわかります。監督を無視して、カメラマンと僕の阿吽の呼吸で、そのまま続けたシーンもありました。

 <寺島しのぶさんとは>、2度目の共演ですが、若松組の寺島さんをずっと見てきていますし、それなりに知っています。彼女は若松組の顔ですから、そこにいろという監督の指示通り、僕は心地よく彼女と一緒にいました。完成したものを見ると、二人の夫婦愛、何も言わなくても思っていることが伝わるという風情が、上手く出ています。妻を連れて帰った三好に対し、寺島さんが、それを知る前と知った後で表情を変えます。女心の混じる複雑な思いを表すその表情、監督は寺島さんの演技を、「彼女じゃあないとあれは出来ないよ」と絶賛していました。毎回良い男が登場するので、寺島さんは嬉しそうでしたね。

 <監督は何かを目指しながら挫折した男>たちを、長年描いてきました。でも、そういう愚かな男の向こうに女性賛歌があります。そういう点から、若松監督はマザコンだとも言われてきました。皆に親しみを感じさせる所以で、若松作品は女性に対する大いなる憧憬、権力への反発が特徴ですね。でも監督は、映画は運動ではないとも言ってきました。
<部落問題もついこの間までは>、触れられない問題だった。この作品にしても、多くの人が映画化を目指しながら挫折しています。作れたのは若松監督だからです。監督は、部落問題すらも特別に扱わず、人間を描くための手段として、そこらへんに転がっている風景や事象として描きました。それも、全てそれらを命として描いた。若松監督の凄いところです。
最後のお別れは、監督と役者というより、家族として送ったように思います。

《高岡蒼佑さん(中本の男、三好役)》
<初めての若松組でしたが>、聞いていたぴりぴりした雰囲気とは違い、現場には穏やかな時間が流れていました。佐野さんと寺島さんが屋台骨を作ってくださったので、自然に自分のテントを張ることが出来ました。そして、その時に演じるべき芝居を演じ切れた気がします。
<世界各地の色々な映画祭に>監督と一緒に参加できたのが、大切な思い出です。今度はキャンペーンで、監督と一緒に全国を回りたかったのですが、残念です。

 <監督は1発撮りで>、とてもせっかちです。撮影が早く進むと、翌日の分まで進んで、準備できないスタッフを怒っていました。心準備もあり、翌日の分までというのは、僕にも戸惑いがありました。
 <撮影当時>、バッシングされていた僕を、色眼鏡をかけずに使って下さり、感謝しています。話題性というより、監督の頑張れよという思いだったのだろうと思います。僕は訳が分からず、三好を役として生きただけですが、監督の描く世界についても、これから色々ななことを考えたいと思います。

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©若松プロダクション

《井浦新さん(中本の男、彦之助役)》
<この物語の根幹となる>、中本の役をやらせて頂きました。監督からは、東京で1日撮影があるので、スケジュールを空けておいてと言われていました。役がわかったときは、この物語の軸となる大事な役だと緊張しました。監督からは、中本の血を伝える、大事な何かを作品の中に残して欲しいといわれました。難しくて、緊張して撮影に入ったのですが、撮影は30分で終わりました。しかしとても濃厚な30分でした。ワンシーンにかけた監督の気迫を今でも忘れることが出来ません。「連合赤軍…」以来、僕はこのところずっと、若松作品に出ています。前作の「11・25自決の日」では、主役の三島役をいただきました。何者でもない只の男を、役者に育ててもらって感謝しています。

 <監督はファースト・カットを>とても大事にされるのですが、考えてみると、今までさせていただいたことがなく、今回が初めての経験でした。緊張していましたが、いきなり本番スタートで、どんな役か、どんな動きをするかの事前打ち合わせもありません。現場で、監督の役者も一緒にスタートで、ものすごい集中力を要しました。ファーストシーンをガチンコでスタートというのは、初めての経験です。

<僕の撮影現場の小屋は>、川べりのホームレスの人が出入りするようなところですが、どういう手を使ったのか、お借りできたんです。撮影が終わっても、せっかちな監督が、今回に限ってそこを動かない。僕もこの作品唯一の現場だったので、監督と一緒にいたのですが、丁寧に小屋の持ち主にお礼を言う姿を見て、監督の原点に触れた気がしました。
 大きな力に屈せず、差別をせず、人間対人間で、世の中を見る。監督のこういうところに惚れて、とことんかかわって行きたいんだと思わされました。

 <寺島さんに対して>、監督は皮膚で芝居の出来る数少ない女優だと、キャタビラ―の時に言っていました。寺島さんを見ていると、日本の原風景を感じます。衣装にしても、ずっとこれを着ていたのかなあと思うほど、体になじませていました。
 監督はおろかな男を描きながら、その先に女性賛歌があります。60年代から、若松監督の作品に、テーマの一つとして流れているものです。寺島さんというミューズをえて、監督の作品は完成していったのではないでしょうか。そういう意味でも、この作品は監督の究極の思いを描いている気がします。
  
この作品は、3月9日からテアトル梅田、第七芸術劇場、京都シネマ、
3月16日からシネ・リーブル神戸 にて公開
[ 2013/02/16 00:57 ] 犬塚芳美 | TB(-) | CM(-)


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