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日曜新聞読書欄簡単レビュー:川瀬俊治

2日遅れましたが、日曜新聞読書欄簡単レビューです。今回は毎日新聞から1冊紹介します。

 毎日新聞がとりあげた鈴木順子さん『シモーヌ・ヴェーユ -犠牲の「思想」』(藤原書店、3780円)で指摘された「権利」より前に「義務」が根源的あるという指摘は、すでに10年以上も前に雑誌「現代思想」で最首悟(さいしゅ さとる)さんがシモーヌ・ヴェーユを引用しながら、多重障がいにある娘との生活体験を引用しながら指摘していたことだ。最首さんの『星子が居る 言葉なく語りかける重複障害の娘との20年』(世織書房、1998年)を読んでいたのと、人権問題の土台を考える上で、この指摘は実に印象に残った。愛すべき存在、かよわい存在に向けて「これはやらねばならない」と自分の中に「義務」が生まれる。それは「権利」の前に存在するものだという指摘だったと思う。

今回の書評でなぜ研究書として改めて「権利」より前に「義務」が根源的あるという指摘は取り上げねばならない新しいキーワードなのかわからない。すでにシモーヌ・ヴェーユの思想を論じる共通認識になっているからだ。そのあたりの研究や論及の通史的な調べがいるはずだと思うのだが。

問題は評者(鹿島茂さん)にふれてほしかったのは以下のことだ。「権利」を奪われている人たちから考えると、権利は社会の基礎とすべきではないという指摘はわかるし、そのことは事実だ。では「義務」の対象として向かう「これはやらねばならない」と思われる人、対象になる人にも「権利」の先立つ「義務」が無限連鎖のようにつらなるのか、それともその人たちは無なのか、神の子かという疑問である。そこをこの書でどう説かれているのか。シモーヌ・ヴェーユはどう苦闘しているのか。一方、本書を読むことでしか解答はないだろう。書かれているのか、書かれていないのか。

ひょっとすると「義務」の観念は、人間の俗世間を越える唯一の超克の観念かもしれない。キリスト教学や仏教学では、そういう概念を教学の中心に据えている。イスラム教のラマダンもそうだ。その共通項からすれば対立することはないはずだ。
[ 2013/02/05 21:00 ] 川瀬俊治 | TB(-) | CM(-)


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