ジャーナリスト・ネット公式ウエブサイト

ジャーナリストの取材記事、論考などそ掲載するブログ
ジャーナリスト・ネット公式ウエブサイト TOP  >  スポンサー広告 >  鄭容順 >  メデイアウオッチング「大阪市立桜宮高校の体罰について思うこと」:鄭容順

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

メデイアウオッチング「大阪市立桜宮高校の体罰について思うこと」:鄭容順

昨年末に起きた大阪市立桜宮高校の生徒が顧問教師の体罰で堪えられなくなって自ら命を絶った事件が起きた。



新年が明けてから橋下市長の談話などで問題はさらに浮上してきた。
いや、浮上させて「教師の体罰」について皆が考えなくてはならない。
筆者の小学生のころ(1950年代)、やんちやの男の子は男子教師にお尻を叩かれていた。しかし教師たちは手加減をして叩いていた。
そんな顔がはれるほど血が出るほど叩かなかったように記憶をしている。
言葉を厳しく口調を強くして叱る姿を見ていた。
当時の教師は威厳があった。
戦争から敗戦して日本の学校教育制度も変わったが教師たちはまだまだ威厳があった。軍靴の後ろを切って上履きにしていた教師のあの靴音、歩く音にも威厳があった。さきほどまで教室で暴れていたやんちゃ坊主たちはこの軍靴を再利用した音にはいつもビクビクしていた。この足音でいちもくさんに席についたものだった。

敗戦後の日本は経済発展を遂げてきた。しかし近年のリーマンショックで不景気の中にいる。しかしほとんどはそれなりに暮らしている。
教育環境も変わった。
教師の質も変われば児童・生徒・保護者の質も変わった。
サラリーマン化した教師はサラリーマンではないが会社企業のように出来高を求めていく学校教師の環境になった。
特に運動を監督している教師たちは他校より強くなって勝利につながる試合をすることに叱咤激励をしていく。
子どもの本来の性格などはオブラートに包んで今ある成績、今目の前にある子どもの運動技術にこだわってついに体罰というところにきている。

成績の順位にこだわり保護者は中学受験から入試に関心を持っていく。街の中に氾濫する塾の建物に保護者はふりまわされている。
話は余談になるが塾通いも必要です。そこで子どもと塾講師の相性が合うのか。どうかが大切です。どんなに進学率がよくても子どもがその塾に合わなかったら子どもには災難です。子どもが合う塾を探すのが保護者の子どもへの愛情です。保護者の独断で決めてはいけないと筆者は考えている。

昔から教師の体罰はあった。昔の教師たちは子ども時代、子ども同士で遊びながら喧嘩して痛みを知って痛みの加減を知っていった。
現在の学校教師たちは子どもの頃に外で遊んだ記憶があるだろうか。
保護者は成績第一で塾、塾のはしごをさせて遊ぶ時間を奪ってきた。
さらに「ゆとり教育」は子どもに自習学習を提議づけたものの遊ぶ時間を多くなった週5日制の学校で土曜日が休日になった。週5日制も今後考える問題です。この日に塾のはしごをしている子どもたちが多くいるだろう。
毎日、黒板を見て頭の中に問題と回答を刻み付けていく子どもたちの生活、コミニユケーション能力がどんどん欠けていく。
難解な問題が解けても外で友だちと遊ぶ経験の少なかったことで会話能力にコミニユケーション能力も身につかないままに社会人になっていく。生きる力を養うのは遊びや会話である。

勉強という学習能力も大切だ。しかしその前に町の中にでて社会生活という暮らし、買い物の手伝いをして近隣や学校友だちと遊んでいくことをしてもらいたい。子どもの目から見た大人を観察、そして子どもたちと遊ぶ中で意見の違いもあれば喧嘩もして仲直りをしていく人間関係の基本をこの子どものときに作っていく。その中で子どもたちは必ず何か夢中になるものを見つけている。子どもたちは夢や、やりたいことを子どもの目線から見つけている。
今、自分の興味持てるものに一生懸命になっているのは何か。親は子どもの素直な姿を見て気長く見守るという姿勢を示してもらいたい。それが辛抱で我慢につながっていく。これが生きる智恵を学び生きる力を作っていく。

少々のことでへこたれない。
子どもたちは何もいわないが大人と子どもの狭間で大人と子どもの背中を見て1つ1つ生き方を学んでいくのである。
昔の子どもたちは少しのことではへこたれなかった。
先生に叱られたことも友達と喧嘩したことも親に話さなかった。
負けて悔しかったこともいちいち親に話さなかった。
先生になぜ叱られたのか。その意味が分かっていて自分が悪いからいえなかった。昔の教師の言葉には言葉の力があった。
教師と子ども、子どもと親という縦の関係で人間関係ができていて言葉1つ1つが子どもも脳裏に染み込んでいった。今は友だち関係のような言葉使いでは子どもの心に言葉は響かなくなっている。これも今後、考えていかなければならない。どんな時も子どもが大人になったときに1人で考えていく。どうすることもできなかったら親や友人に相談していくが1人でまず考えて解決していく方法を身につけさせていく。
そこにはとてつもない時間がかかる。それでも昔の教師たちは焦らないでその子どもの能力に応じた方法で考える力をつけさせた。
言葉という言葉の魂で教えた。
言葉の魂があると子どもたちに必ず通じていく。

現在はプロセスを見ないでなんでもかんでも結果を見ることがその人の生き様と思っている。
スポーツ選手は特に早急の結果が要求されていく。
競技は強いことにこしたことはないが果たして体罰までして強豪校にしていく意味が重大なのか。人を育てる教育がそこにあることを学校も教師も保護者も知らないといけない。
長い目で見守ることで文学的に才能を見せていく子どもいる。
これが子どもを育成をしていくものではないだろうか。

そして橋下市長はまた早急な手回しをしている。
学校や教師が言うことを聞かないなら今年の入試は中止という。
何もそこまで早急にやらなくてもいいのではないか。
入試中止で将来の見通しがたてない子どもがでてくる。
せめて高校卒業するまでは一緒に机を並べたものと同じ時代を生きていく。これが親も教師も望むものである。
なぜ、中止をするのか。体罰を受けた教師やその学校関係者には醜い戒めのように思えてならない。ただ1つの事件をもみ消しているように思えてならないと思うのは私だけだろうか。

体罰をした教師は叩かれた痛みがないから叩いていうことを聞かそうとするのか。現在の社会状況、子どもたちの環境は変わった。
過保護に育つか虐待されたか、そんな世の中に違和感を覚える環境になった。
何でも叩いていうこと聞かしていく。昔はそれが普通だったかもしれないが今の子どもたちはほとんど叩きなれていない家庭環境で育っている。
そんな時代背景を読めなかったのか。体罰をした教師が残念でならない。
体罰があったから強豪校になったという考え方が今は通じない。学校教育の中でも禁止されている。それを学校も教育委員会も放置したままだった。それを黙認していた保護者もそうです。
教師も辛抱がなくなっているのか。何度も何度も話して説いて言い聞かせていく方法が子どもの教育です。
しかし現在社会の家庭教育がおざなりになっていて話して説き伏せている教師たちにさらにエスカレートして教師いじめをする生徒もいることも確かです。
家庭教育ができていない子どもたち、教師のいうことをきかない子どももいるのが現実です。
「中学生になったら大人扱いをしないといけない。大人扱いとは体罰をしてはいけない。話して言い聞かせることです」と体育の指導員をしているある男性が話していた。
桜宮高校に限らず全国の学校でスポーツの強豪校は体罰も行われて学校も保護者もそれを見て見ぬふりしてきた。この機会にスポーツの強豪校のあり方を見つめなおさないといけないという1つの機会になった。

しかし橋下市長さん、大阪市立桜宮高校の入試中止はやりすぎです。
体育指導の教師を集めて強豪校と体罰について話し合うことが今取り組む課題ではないだろうか。

こんなとき筆者はまたとんでもないこと考えていた。
この2・3年、野球球団の阪神タイガースは弱くなった。
シーズンを終ると負けた罪として1人1人の選手に監督が平手打ちの体罰をしているのだろうか。いやとんでもない。大人の選手にまさかそんなことはしないだろう。プロ野球選手は年棒に影響してくるのか。戦力外といわれていくことなのか。
そうなれば橋下市長はここで大阪市教育委員会のクリーニングをして何が問題なのか。きっちりととらえてどう解決していくのか。学校と教師と教育委員会は様々にだぶついた心をきっちりと締めていくことが先決ではないだろうか。
新聞の記事を見て子どもの将来を考えて今年の入試の中止するとはどうかなと懸念している。どうすればいいのか。皆が一緒になって考える重大な問題につきあたっている。
子どもには罪がない。大人の責任だと筆者は思っている。
桜宮高校に関する記事は毎日ほど新聞に掲載されテレビのニュースでも取り上げている。そうしたニユースに気にとめてここに書いたものの内容のないもになった。何か参考になれば幸いです。


[ 2013/01/22 06:10 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。