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コラム・風「古事記にみる国譲りに思う」:片山通夫


 古事記が編纂されて今年は1300年だという。言うまでもないが、古事記は「神代における天地(あめつち)のはじまりから推古天皇の時代に至るまでの、神話や伝説を含むさまざまな出来事」が収録されている。



 この稿を書くにあたって、梅原猛氏の「古事記」増補版(学研M文庫)を買い求めた。梅原猛氏は従来読み解くことができなかった枕詞なども、日本語の祖語としてのアイヌ語を駆使して解読してゆく。同氏の仮説が正しいか否かは浅学の筆者などには判断がつきかねるが、興味が湧くことは確かだ。

 さて、1300年前に編まれた時代は、およそ平城遷都の時代に重なる。遷都という国家的大事業は、言葉を変えて言えば人工的に設計された地に移すということであり、政権にとってかなり危険の伴う決定だったと推察される。このことからも、時の政権が自信と共に不安=正当性を裏付けるためにも、古事記の編纂は重要だったのではないか?

通常、我々がこの書から思うところは、《天孫降臨》に代表される神話の部分だ。それと今ひとつ、出雲の《国譲り》のエピソードだ。大国主命が、ヤマトの朝廷にほとんど無条件で《国を譲る》という行為は、昨今我が国を取り巻く領土問題と照らし合わせてみるに、実におおらかな話である。そこに何があったのか興味は尽きない。現代という世知辛い世の中の考えに照らしてみると、強大な勢力であったであろうヤマトの勢力に、出雲という(片田舎の)勢力が、全く歯が立たないという出雲側の判断があったのではないだろうか。 しかしそれでも《国譲り》の説明はつきかねる。最後まで戦うという選択は出雲側になかったのはどうしてだろうか。
古事記ではこのあたりは実にサラっと書かれている。大国主命が《戦争》や《亡命》ならぬ《隠遁(=出雲大社の建設要請)》という道を選んだ理由を知りたいものだ。

 《国譲り》で思い出したのが、本州の北部から北海道(蝦夷地)という自ら生きる地域を《和人》に奪われたアイヌ民族のことだ。以前、北海道の開拓記念館をある韓国人と訪れたとき「ここにも《日本人の侵略の跡があるのですね》」と言われたことがあった。そのコーナーには《先住民としてのアイヌ民族》のことが展示されていた。いま、古事記を読んでいて、大国主命の《国譲り》とアイヌ民族がその土地を奪われて《同化》を余儀なくされてきたことを思い合わせている。
 無責任に解釈を広げて行くと、現在のオキナワ問題も同じ根を持っているのではないだろうか。

 余談だが、先日、富山県の黒部へ行った。その黒部という地名の語源だが、《山高く、立の真黒に生茂る日の目も見えない辺りをさしていう言葉》、《黒部山奥には「ネズコ」と呼ばれる常緑針葉樹が生えており、この別名が黒檜(くろび)と言われていた》などという説の他に、《アイヌ語のクンネベツ「黒(暗)い川」、またはクルベツ「魔の川」からきている》という説があり、このアイヌ語から来たという説が黒部渓谷を目の当たりにして当を得ていると感じられた。筆者は沖縄の言葉についてもよくわからないが、《アイヌの言葉が日本の其処此処に残っている》ということだけでも知っておくべきだ。
[ 2012/11/03 00:19 ] 片山通夫 | TB(-) | CM(-)


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