ジャーナリスト・ネット公式ウエブサイト

ジャーナリストの取材記事、論考などそ掲載するブログ
ジャーナリスト・ネット公式ウエブサイト TOP  >  スポンサー広告 >  寄稿 >  夜間中学その日その日 (260)   守口夜間中学 白井善吾

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

夜間中学その日その日 (260)   守口夜間中学 白井善吾

夜間中学の毎日の出来事を中心にお伝えしているが、いま夜間中学が置かれている状況は、大変厳しさを増してきている。「危機」という言葉は使いたくないが、率直な実感だ。一言では言えない、その内容は多義にわたる。

近畿の夜間中学関係者は夜間中学の歩みを中心に今日の課題解決の方途を探る目的で、学習討論会を髙野雅夫さんを招いて、6月2日から7月29日まで11回行ってきた。念願の宿泊学習会も行うことができた。延べ34人の参加者は「本音で語る」に徹し、毎回厳しい討論を行った。これらをまとめ報告する予定であるが、夜間中学関係者の共有化が急がれる。
以下4回にわたって報告をするのは、『勉強がしたい学校がほしい』 夜間中学増設運動全国交流集会編 (宇多出版企画1994.3)に収録した論考「いまこそ増設を」に加筆し、夜間中学増設運動全国交流集会に参加する者の考え方をまとめたものである。夜間中学を巡って複雑化する現状況に、一つの考えを提起しておきたい。

いまこそ増設を (第1回)
                   
(1) 最後のひとりまで
推定数170万人から300万人。学齢期に義務教育を保障されなかった人たちの数である。日本の義務教育就学率99.9%は宣伝されても、残る0.1%の側に光が当てられることは少ない。
 国勢調査によると1960年149万人.1970年60万人.1980年31万人.1990年22万人.2000年16万人そして2010年12.8万人の人たちが*注「未就学」と記入している。この数字に表れた人たち以外に、中学校に入学はしたが何らかの理由で中途で学ぶことを断念せざるを得なかった人たちもふくめて推定した冒頭の数字である。これはとても0.1%どころの話ではない。
 またもう一つの実証として、1955年文部省が東北・関東地方の15~24歳を対象におこなった「読み書き能力」調査がある。「読み書き能力」が「じゅうぶんでない」ために「日常生活に支障をきたす」とされた人が東北地方で15.7%、関東地方で9.5%もいる。戦後10年目に行なわれたこの調査の目的はここではさておいて、その数値に注目したい。調査から57年後の今日、当事若者だった彼ら彼女らは72歳から81歳となっているわけであり、限定された2地方を全国規模に置き換えると厖大な人数となろう。文字の読み書きは人間にとって死活問題といえる。その後の人生でこれらの人たちはどのようにして「日常生活に支障をきたさない」ように「読み書き能力」を獲得したのであろうか。それともついにそのような機会もなく難儀して人生を送っているのだろうか。年齢から推測して後者の可能性が圧倒的に高いといえるのではないか。
 私たち夜間中学関係者は、この人たちが最後の一人になるまで義務教育を保障する義務を負うべきだと考える。
*注 国勢調査では未就学者を「在学したことのない人又は小学校を卒業していない人」 と定義している。「義務教育未修了者」のことではない。

(2)だれが保障するのか
 では一体だれが、どこで、これらの人たちに義務教育保障をするというのか。考えてもみよう、義務教育を受けられなかった人たちのその理由を。第1は戦争。戦争は日本人のみならずアジア近隣の国の人たちも巻き込んでいることを忘れてはならない。第2に家庭の事情。これには親の死や病気や離別、そして貧困などがある。第3に身体的理由。この中には病気もあるが、心身にハンディのある人も含まれている。これらの人たちは誰一人として好んで教育を受ける権利を放棄した者などいないはずである。歴史の犠牲、社会福祉の貧しさの犠牲、経済効率優先によって生じる歪みの犠牲、差別・抑圧の犠牲、つまりすぐれて政治的な「教育難民」だととらえることができる。
 ところが国の姿勢はまったく逆で、「学齢の人は昼の学校へ。学齢超過の人には、国の責任はない」。といって、義務教育を受けられなかったのはその本人や家庭の問題だと個人的責任にすりかえようとしている。この根本的な考え方の違いは重大である。学校教育法第16条の親の就学の「義務」は終了させても、子どもの就学の「権利」は、15歳という学齢を過ぎても固有の権利として認められるべきであり、国がどこまでも保障するべきである。それこそ憲法でうたっている義務教育を受ける権利の精神に沿うことである。そう考えるのがまともな解釈ではないだろうか。
 
(3)廃止勧告と闘った夜間中学生・教師たち
全国に35校ある夜間中学は、国が放置して顧みなかった義務教育未修了者に義務教育を保障しようという当然の思想が源流となって存在してきた。戦後の新学制が1947年にスタートしたものの、学校に来られない子どもたちが町や村にあふれていた。戦災孤児あるいは親と一緒に生活を担わねばならない子どもたちに昼の学校という制度のみを叫んでも空しい実態があった。このような「長欠生」を目の前にした現場教師は「それなら学べる時間に学びの場を開けよう」と考えた。
実態に合わせるという発想の柔軟さは教育への熱い義務感があったから生まれたものに他ならない。1947年大阪市生野第二中学校に開かれた「夕間学級」を第1号として、夕方から夜に学びの場を設ける夜間中学は1950年代前半までは雨後の筍のごとく各地に増えていった。1955年の87校5208人を最高に、その後漸減し、1966年行政管理庁が「夜間中学早期廃止勧告」を出して追うちをかけた結果、1968年21校416人、1970年20校1000人という最低数にまでなった。ちょうど日本が「もはや戦後ではない」として高度経済成長にさしかかった時期である。
夜間中学生の教育権を奪おうとするこの勧告に怒り、敢然と対決したのが東京の夜間中学卒業生髙野雅夫さんであった。自主制作映画「夜間中学生」を担いでのたった一人の夜間中学再生運動は、さまざまな市民運動、教育運動と結合した。そして夜間中学の存在を認めようとしなかった国についに学校教育法施行令25条第4項、5項を援用することで認めさせた。中学校に設ける「夜間に授業を行なう学級」として市町村教育委員会が設置できることになったのである。教育権の保障を求める当然の要求の勝利であった。以降、夜間中学での学びを必要とする人は増減を経ながら2011年2488人。学校数35校である。
(4) 誇りうる教育運動
以上のような夜間中学の歴史は、日本の教育史においては画期的なものだといえる。なぜなら従来のように「まず法ありき」ではなく、厳然たる実態があってそこから突き上げる形で法に追認させたからである。学校に行けない、教育が受けられない、やむにやまれぬ事情を持つ子どもや大人がいて、それを黙って見ていられない人間がいた。そのような市民的な運動として勝ち取られた制度なのである。このような運動によってつくられた制度は、いまあらためて外国の識字関係者や教育学者から注目されている。いくつになろうが義務教育は義務教育で保障する教育システムは、世界にも誇りうる日本だけのものである。
しかし夜間中学の創設の精神は、時代と社会の変化の中で生かされているだろうか。制度にあるから守るというような消極的制度に終わりを告げなければならない時代がきている。そして新たな夜間中学運動の黎明を招くために、いま考えなければならないことを次に述べてみたい。(つづく)
[ 2012/09/30 09:50 ] 寄稿 | TB(-) | CM(-)


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。