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奈良おんな物語《21》「女性問題と向き合って―尾崎恵津子」中:鄭容順

「社会参加」
結婚して吹田市の千里ニュータウンにある夫の会社の社宅に住んだ。
子育てをしながらPTAの役員もしていた。
PTA活動で保護者の懇談会になっても皆さんは黙っている。
子どもが通う学校現場からの問題提議がされた。


「市町村選挙に女性議員を送ろう」だった。
千里ニュータウンも新しい都市ならそこに立つ学校も新しく旧来の学校のように設備が整っていなかった。

≪市町村選挙―女性議員を議会に送ろう≫
1966年、まだできたばかりの吹田市千里ニュータウン、ニュータウンの学校には学校設備や機材が不足していた。子どもたちの教育に支障がでていた。それで立ち上がったのが子育てをしていた母親たちだった。
当時はまだまだ男性社会で町の議員たちのほとんどが男性議員、男性議員では子育てをしている普段の生活の不自由がわからない。一般市民が問題提議しても声は届かない。
そこでPTAの保護者たちが立ち上がった。
「女性議員を送ろう」をスローガンにした。
日本が戦後10数年のことです。

当時の筆者は高校卒業して小さな会社の事務員をしていたが経理が苦手だった。
いったんOL生活をやめて奈良市内にあった和文タイピストの学校に和文タイプを習いに行っているころでした。
尾崎恵津子さんは当時のことをふりかえって話す。
「ニュータウンの学校は機材等、不足していました。旧市内の学校との格差をなくすには地元の議員の声でした。地元議員でないと要求が通らないことを知ってPTAが立ちあがり私もPTAの先輩に誘われて参加しました。2人の女性議員を送りました。女性議員は『母と子どもを守る』をモットーにして20年間の議員生活でニュータウンの学校施設の改善、設置に動いて下さり女性たちの声が多く反映されていきました。
女性議員は議長1回、副議長2回務めるほど熱心に母親の声に耳を傾けて取り組んで下さいました。市長に推薦もあったが議員として職務を全うしてPTAの保護者たちの声を吸い上げて下さり信念を通されました。
東京オリンピックは1964年(昭和39年)、大阪万国博覧会は1970年(昭和45年)の前後の年の出来事です。日本が高度経済成長のうねりに乗りかけていました。そんなときに母親として子どもたちを守っていくということから男性に頼らずに女性自らの声を上げた戦中生まれの女性たちが母親になった時の強さが出始めていました」と尾崎恵津子さんは話す。

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≪いじめ問題≫
新しくできた千里ニュータウン、希望に溢れていた町だったが当時も学校にはいじめがあった。
「いじめは昔からありました。ニュータウンの学校にもありました。小学校3年のときでした。次男がいじめられていることに気がつきました。学校の教師から電話がありました。これから自宅にいじめた子どもを連れて謝りにいくと連絡があって次男がいじめられていることがわかったのです。
中学校に行くとまたいじめがあったのです。いじめられているとわかって1週間、学校に出向き校内を廻りました。何日かすると次男が落ちついてきました。
教師にいいたいです。子どもがいじめられていると分かれば教師は口出しができるのです。余計なおせっかいではありません。学校が取り上げて親子、教師が話し合っていかなければなりません。
対処したことは報告していく、そうすれば子どもたちは学校と親が対処してくれているという安心感がでてきます。1人で苦しむことはありません。
教師も一緒に対処していくことが大切です」と話す。
この話の後、尾崎恵津子さんはまた、
「この時代に育った子どもたちが成人式を迎えて成人式の会場で乱闘していく事件が多発していきます。この子たちが育った1970年代前後、時代を積み重ねてきました。その子どもたちが親になって現在社会に起こっている歪んだ秩序がはびこるようになりました。家庭と学校教育、基本的な地域社会は家庭と学校がつながった社会です。自治会が大きくなりすぎています。コミニユテイーは小さいのが基本、地域社会のコミニユテイーは小さい方が機能していきます。
現在の社会ではそれができていません。ここが問題です。集合住宅に住んでいて同じ階でなくても挨拶することでコミニユケーションができています。現在は挨拶もできないコミニユテイーになっています」と、高度成長とともに子育てをしてきた当時を振り返って、地域社会のコミニユテイーが崩れていることを指摘した。

<写真説明>取材でお話を聞くときに撮影したもの。2012年7月30日、近鉄学園前駅の近くの喫茶店です。猛暑という暑さの中の取材、「こんなに毎年暑い夏だったかしら」という言葉がでるほど炎天下でした。
[ 2012/09/27 07:10 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


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