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コラム「風」竹島の隠岐の漁民と朝鮮人海女:井上脩身

 1枚のモノクロ写真に私の目はくぎづけになった。ごつごつとした石の浜辺に並ぶ12人の男と4人の女。男の多くは頭に鉢巻き。女はチマチョゴリ姿。背後の海には巨岩が突き出て、不気味な雰囲気。キャプションには「竹島でアカシア猟に従事していた隠岐の漁民と朝鮮人の海女」とある。昭和初期に撮影されたという。

 竹島(韓国名・独島)は隠岐島北西約160㌔の日本海に浮かぶ。ややこしいことに、竹島の西約90㌔の鬱陵島はかつて「竹島」と呼ばれていた。江戸時代、米子の大谷、村川の両家が幕府の許可を得て鬱陵島で独占的にアシカ猟やアワビ採取などの事業を展開。1693年、同島に朝鮮人がいたことから、幕府は李氏朝鮮に対し、同島への渡海禁制を要求。交渉は決裂し、幕府は「隣国との友好を失うのは得策でない」として、日本人の鬱陵島への渡海を禁止した。この経緯は「竹島一件」と称されている。

 竹島は鬱陵島への中継地だったが、明治政府は日露戦争が終わった1905年、竹島を隠岐島の村に編入。隠岐の漁民たちは「おらが村」として、竹島を拠点にアシカ猟を行い、アワビ漁にも力を入れた。
 そうした中で撮影された浜辺の写真。竹島問題を調べていた写真家の山本皓一さんが06年、村上家の子孫の一人に見せてもらった。みすぼらしい身なりの漁師たちの前に、アシカから取った油脂の貯蔵用とみられる樽が転がっている。4人の海女は鬱陵島からの出稼ぎ。もっぱら海に潜ってアワビを採った。
 1952年、李承晩大統領が竹島の領有権を主張。54年、韓国の沿岸警備隊が竹島で駐留を始めた。「独島は不当に島根県に編入した」というのが韓国側の言い分だ。

 山本さんは06年、鬱陵島からでる韓国の観光船に乗って竹島に上陸。生活物資運搬用ロープウェイを見学する韓国人観光客など、韓国の実効支配の実態をカメラでとらえ、択捉島や尖閣諸島への上陸記も合わせて07年、ルポ「日本人が行けない日本領土」を上梓。その中に浜辺の写真は収められた。
私がこの本を読み終えた時、韓国の李明博大統領が竹島を訪れた。日本側の抗議の親書を突き返すなどの強硬姿勢をとる同大統領。背景には従軍慰安婦問題があるとされる。

浜辺写真にもう一度目をやった。撮影当時、朝鮮は日本の植民地だった。「海女たちに給与が支払われていた」と山本さん。一方で「彼女らは夜、焚火を囲んでの酒盛りの支度をした」ともいう(前掲書)。隠岐の素朴な漁民が彼女らを慰安婦扱いしたとは思えない。だが、植民地支配されていた朝鮮の人たちの目にはどう映ったのだろう。
 竹島をめぐる日韓の対立。1枚の写真は、問題の根の深さを表している。(フリーライター)
[ 2012/09/01 00:36 ] 井上脩身 | TB(-) | CM(-)


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